1.二人は友達



ガラス越し、初夏の日差しがアカデミーの廊下に降り注いでいた。
イルカは授業で使った巻物を手に抱え、長い廊下を一人歩いている。
ふと、階段の手前、見慣れた背の高いシルエットが視界に入った。
「どうしたんです、こんな時間に」
僅かに声が弾んだのは相手に伝わっただろうか。手元の本に目線を落としていた男は、そこから顔を上げイルカに応えた。
「さっき戻りましてね。イルカ先生に会いたいなーと思ったらフラフラとここに」
「そりゃあ光栄ですね!」
がはは、と笑えば相手の目も緩む。
男、はたけカカシは里の誇る上忍でありながら、イルカの友人でもあった。親しくなったのはイルカの元生徒であり彼の受け持った下忍であるナルトが修行の旅に出た後、つまりほんの数か月ほど前だ。
たまたま居酒屋で行き会って、偶然好きな酒の銘柄が同じで、何となく気易くて、という何とも頼りない、しかしごく普通の成り行きで、知り合いから友人へと関係を変えていったのだった。
二人は並んで階段を降りる。カカシの愛読書はポーチの中に仕舞われていた。
「今夜は里に居られるんですか?」
「ええ、明日まで休暇です。しばらくぶりにゆっくりできますよ」
「じゃあどうです、一杯」
巻物を抱えたままどうにかグラスを傾ける仕草をして見せると、カカシが「もちろん」と眦を細めた。
「そのためにイルカ先生を待ち伏せしてたんじゃないですか」
「今度は待ち伏せときますか、いやぁときめいちまいますねぇ」
「ときめいちゃってよ、メロメロになってもいいんですよ?」
二人でわははと笑いながら歩けば、すれ違う職員に妙な顔で見られてしまった。
気づけばもう職員室の前だ。コホン!と咳ばらいをし、神妙な顔でカカシに向かって頭を下げる。
「えー、はたけ上忍。巻物の運搬など補助いただきありがとうございました。うみのイルカ、こちらにて失礼いたします」
「はいはい、じゃあ後でね。ひと眠りしたら酒持って行きますよ」
「身に余る光栄、恐れ入ります」
くるっと機械人形のように踵を返せば、職員室の中で呆れた顔をした同僚と目が合った。
「イルカ、お前何してんだ」
「何って、上忍様へご挨拶だろうが」
「飽きないなぁ毎度毎度。ま、仲良きことは美しきかな、ってな」
抱えた巻物の中から一つだけ抜き取って、同僚がぎぃと椅子を鳴らした。
「で、今夜も酒盛りか?お前大概にしとけよ、こないだ酒臭かったし」
「あれは悪かったよ。でもなぁ、滅多に見ない銘柄を手土産にされちまうとさぁ」
担当するクラスが隣り合うこの同僚は、イルカがカカシと懇意にしている事をよく知っていた。居酒屋で飲むと色々と気を遣うから、とカカシが家飲みを好むことも、話の流れから彼の知るところとなった。
「でもお前よく普通に話せるよな、あのはたけ上忍と」
「慣れちまったんだよ、きっと」
仰々しい二つ名を多く持つカカシは、片目しか晒していない外見と相まって時に敬遠されがちだ。イルカですら、あの日居酒屋で隣り合うまではそう感じていた。
しかし、いざ話してみれば気取らずウィットに富んだところもあるし、イルカが思い出したように中忍試験でのいざこざを謝罪しても軽く流してくれた。
何より、イルカが特別な思いを抱いて送り出した生徒を導いてくれた人なのだ。良い印象を抱くのに時間はかからなかった。
四つも年の差があるとは思えないほど、気さくに接してくれるのに励まされ、イルカもいつしかくだけた態度を取るようになっていったのだ。
「まぁ良い人だよ、良い人」
どことなく聞き耳を立てていた周囲に聞かせるようにゆっくりそう言って、イルカは机上に並べた巻物を一つ、手に取った。



夏の日は長い。
それでも太陽が沈みかけているのを見て、イルカの足は急いだ。
向かう先は自宅だ。古ぼけた、中忍専用のアパート。二階の端にイルカの部屋はあった。
ほとんど息を切らすようにして階段を駆け上がった先に、果たしてその人の姿はあった。
「お待たせしてすみません」
「いーえ、今日は待ち伏せづいてるみたいで」
「またそれですか」
ガチャガチャと鍵を回してドアを開ける。手に持ったビニール袋を玄関脇の床に下ろして、カカシより先に脚絆を解いた。
イルカに続いてカカシが部屋へ上がる。勝手知ったるという風にそのまま卓袱台の上に手土産らしき紙袋を置いて、イルカに並んで台所に立った。
「今日くらいゆっくりしていて下さいよ」
「ひと眠りしたら元気になったもんで」
じゃあ、と出来合いの総菜が入ったパックを渡す。皿に盛りつければ立派なつまみだ。
「おっ、刺身があるじゃない。奮発しましたね」
「カカシさんの帰還祝いですからね」
へへ、と鼻傷を擦って笑ってみせる。
既に口布を下ろしたカカシが、唇の端をにこりと持ち上げた。
イルカが冷凍しておいた白米で簡単な焼き飯を作る間に、卓の上には皿とグラスが並べられていく。
どうにか焦がさずできた焼き飯を大皿にドカンと盛り付ければ、家飲みメニューの完成だ。
冷たいものも温かいものもごちゃ混ぜになった卓袱台の上は、乱雑ながらもどこか懐かしい感じがする。
「俺もう腹ペコです、乾杯しましょ!」
カカシの向かいにあぐらをかいて腰を落ち着ければ、グラスにビールが注がれた。カカシが手酌で入れようとするのを慌てて止めて、注ぎ返す。
「いいのに」
「まぁまぁ、帰還祝いって言ったでしょう…っと、じゃあカカシさん、無事の御帰還おめでとうございまーす!かんぱーい!」
「ありがと、乾杯」
カチン、とグラスが合わさる。
二人とも一気に飲み干し、ぷはーっと口元を拭った。
「俺ってこのために生きてんのかなーって気がします」
「イルカ先生はラーメンでしょ」
「まぁそれもそうなんですけど、仕事終わりのビールはまた格別っていうか」
手酌で二杯目を注ぐイルカを見て、カカシが指先で己の口の端をとんとんと叩いた。
「泡ついてる」
「それだけ旨いってことです」
指摘を無視してぐびぐびと二杯目も半分まで飲んでしまうイルカに、相手はもう何か言うのは諦めたようだった。
つまみをつつきながら、互いの近況を報告する。カカシが任務に出ていたのは二週間ほどで、その前日にもこうしてイルカの家で食事をしていたのだけれど、互いの家を行き来するようになってから二週間も会わなかったのは初めてだったのだ。
ともすれば高揚して早口になりかけるのを自覚しながら、イルカはアカデミーで起こった大小のハプニングや、馴染みの八百屋が二股に分かれたナスを売っていたことなどを熱心に語った。
カカシは相槌を挟みながらそれを聞いてくれ、件のナスを見てみたかったと残念そうに眉尻を下げていた。
特売で買った刺身も、お世辞にも見た目が良いとは言えない焼き飯も、美味しそうに食べてくれる。もっと良い食事をたくさん経験しているだろうに、カカシはイルカと食べるものが一番美味いと言う。親を喪って長いが、彼と囲む食卓は家族とのそれともまた違う、じんわりとした暖かさをイルカの心にもたらしてくれる。
何度も積み重ねた柔らかい時間が、イルカを彼にどうしようもなく惹きつけていた。



「泊まっていきますよね?」
食べ散らかした皿と酒の空き瓶を片付けながら、イルカが声をかける。
カカシは彼にしては珍しく、畳に寝そべりうとうとと瞼を重そうにしていた。
「あー、ごめんね。俺のことは放っといていいから」
「そんな訳にいきますか。今布団敷きますから、そこで寝ないで下さいよ」
皿洗いは明日の自分に任せることにして、流しの中で洗い桶に浸しておく。
イルカはばたばたと立ち回ると、居間に続く寝室へ布団を一組敷いた。煎餅布団よりは寝心地に勝るイルカのベッドを使ってもらっても良いのだが、以前勧めたら遠慮されたのだ。
「さぁさぁ、カカシさん布団ですよ、ふーとーん」
「俺もうダメ……ここで寝る……」
腕を引いても体をゆすっても、カカシはぴくりとも動かない。かといってこのまま畳の上で寝かせてしまえば、任務の疲れも取れないだろう。
「この手は使いたくなかった…」
イルカは呟くとカカシに聞かせるようわざとらしくため息をついて、ぐっと屈みカカシの脇と膝に手を差し入れた。
「ふんっ!」
腰に力を入れカカシを持ち上げる。
「キャー、イルカ先生素敵ー」
カカシの棒読みの台詞を聞きながら、イルカは自分よりも目方のある男を抱えて部屋を横切った。
わざと落としてやろうと揺さぶれば、カカシが笑いながら首に腕を回す。自然と、顔が近づいた。酒臭いのはお互い様で、首筋からすぅ、と漂うその匂いの中に僅かな体臭を探してしまいそうになる。
そんな自分に見て見ぬふりをして、イルカは抱えた身体を布団の上にそっと下ろした。
「おやすみなさい、カカシさん」
薄いタオルケットをかけてやりながら言えば、銀色の毛髪越しに眠そうな目が見上げてくる。
「うん、おやすみ。イルカ先生」
何とはなしに髪をぽんぽんと撫でてやれば、子供じゃないんだから、と苦笑する声が上がってきた。それには何も返さずに、イルカはほんの少し笑うと立ち上がり、寝室を後にした。
なるべく音を立てないように気遣いつつ自分の寝支度をする。寝間着代わりのTシャツとハーフパンツに着替え、顔を洗ってそっと寝室を覗けば、カカシはもう寝息を立て始めていた。
自宅でも無く、他人の気配がするこの場ではきっと芯から寝入っているわけでは無いだろうけれど、それでも彼が自分の家で無防備な姿を晒してくれることがじわりと嬉しい。どこか誇らしささえ滲ませたその感情は、イルカにとってカカシを特別な存在と位置付けるのに充分だった。
足音を消し、彼の枕元を横切ってベッドへ潜り込む。
古いフレームがぎしりと音を立てた。カカシの呼吸が一瞬止まり、またすぐ規則正しく再開する。
おそろいの柄のタオルケットに、顎までくるまってじっとカカシを見下ろした。
こちらに背を向け眠る姿は、たくましく鍛え上げられた男のそれだ。上背もそう変わらない。そんな彼とどうこうなりたいなんて、とてもじゃないが考えられなかった。
しかし、ただ想うだけなら。
恋と呼ぶにはあまりに淡い、友情と名付けるには色づき過ぎた想いを抱え、眠りが訪れるその時までただ、彼の背中を見つめていた。





2.知らない顔



女っ気の無い人だと思っていた。
イルカの寝室の片隅、籐で編まれたくず籠を見下ろしながら、カカシはしばらくその場に立ち尽くしていた。
律儀にビニール袋の被せられたその中に、丸めたティッシュに隠れるようにして薄いピンク色が覗いている。拾って確かめる訳にはいかないそれは恐らく、いや確実に避妊具の類だ。使用済みの。
昨夜訪れた時にも既にあったのだろう、生々しい行為の残滓に今の今まで気づかなかった。昨日はほとんどの時間を居間で過ごしたし、寝床にもイルカが運んできてくれた。隠れるようにして置かれていたこの小さな円筒が、ふと目の端に入ったのは偶然だ。
イルカと親しくなって数か月が経つ。互いの家を行き来しつつ食事をし、会話をする。時には今日のように、寝床を借りて朝食まで一緒にとることだってある。
それだけ親密に過ごしているというのに、彼の口から恋人がいるなどとは聞いたことが無かった。カカシが里を離れている間に連れ込んでいるのだろうか。
どこか不器用に見える彼にそんな業ができるとは俄かに信じがたいが、物的証拠を見せつけられては納得するしかなかった。
これは、誘う頻度を落とした方が良いかもしれない。
その相手にしても、こうも恋人を独占されては気分の良いものでは無いだろう。
「カカシさーん?」
居間からイルカの呼ぶ声が聞こえ、カカシはハッとしてその場を離れた。声のした方に向かえば、イルカが玄関に座り込み脚絆を巻いているところだった。
「ごめんね、お待たせ」
「何かありましたか?」
こちらを見上げる瞳は今日も真っすぐだ。カカシと違い黒くて、同じ色の短い睫毛に縁どられている。
「いーえ。鍵、後で届けに行こうか?」
「やめて下さいよ、妙な噂が立ったら困ります」
イルカが苦笑した。あまり接点の無いように見える自分たちがこうしてつるんでいるのに、つまらない陰口をたたく輩がいることは知っていた。カカシは里を離れていることが多いから直接聞いたことはないが、ずっと里にあるイルカは嫌味のひとつも言われているらしい。
「そう?……じゃあ、いつもの所に入れておきますね」
自分なら困らない、と言いそうになったのにカカシは驚いた。カカシとイルカが鍵を預け合う間柄だと周りに知られたところで、それが何だと言うのだろう。しかし、今そう口にすると余計な事まで言ってしまいそうで、自分がいつになく動揺しているのに気づく。
「それでは、行って参ります」
イルカがすっくと立ちあがる。ひと一人分の間を開けて、カカシは「行ってらっしゃい」と彼を送り出す。
にかっ、と歯を見せて笑ったイルカが、ドアの向こうに消えてしまっても何となく、カカシはその場にぽつりと立っていた。



丸一日休暇のとれたカカシとは違って、イルカは常と同じく朝から出勤だ。早起きをした彼が用意してくれた朝食を一緒に食べていたときはあんなに良い気分だったというのに、今はどうだ。
二人分の食器を洗いながら、カカシの意識はイルカとまだ見ぬその相手に向かっていた。
親しく飲みに行くようになってから、思えば一度も誘いを断られたことが無い。イルカから誘われた時も自分が任務以外の用で断ったことは無く、多いときは三日と空けず会っていたことになる。
とうに成人を迎えた男同士、少し異様にも思える親密さはしかし、カカシにとって心地よいものだった。
少年時代に親友と呼べる存在を喪ってから、カカシに友人と呼べる存在は居なかった。仲間や、一方的にライバルと呼ばれる存在はあっても、気を許して家に泊まり合うような間柄は縁の無いものだったのだ。
女ですらそうだ。カカシは恋人というものを持ったことがない。元々薄い欲を発散するには花街で事足りたし、地位や写輪眼を目当てに秋波を寄せられる事には辟易していた。
それが、イルカだけは違った。
始まりも良かったのかもしれない。
飲み屋で偶然隣り合い、たわいもない話をした。豪気な飲みっぷりも見ていて気持ちが良かったし、邪気の無い瞳にはよくある悪意や妬み、僅かな皮肉すら感じられなかった。
カカシが覆面をしたまま食事をするのを彼が気遣って、場所を互いの家に移してからはより距離が縮まっていった。気兼ねなく、共通する教え子の思い出話をすることが出来、互いに違った意味で振り回される五代目への愚痴など零そうものならいつの間にかカカシも声を立てて笑っていたのだ。
それからはもう転がるように友人としての仲を深め、今日に至る。


初めて彼の家に泊まった時のことを今でも思い出す。
気持ちよく飲んだ後、帰るのが面倒だとふと口にすれば、イルカが泊まっていけば、と当たり前のように口にした。内心驚きながら礼を言えば、すぐさま寝室に布団が敷かれた。
「カカシさんはベッド使って下さい、俺こっちで寝るんで」
布団を広げながらそんなことを彼が言うので、カカシは慌てて首を振った。そこまで彼の領域に立ち入るのが何だか悪い気がしたのだ。イルカは「そうですか?」と言っただけで、それ以上強く勧めてはこなかった。
普通の友人、というものをカカシはよく知らない。イルカの他の友人ならば、何の気兼ねなく彼のベッドに寝るのだろうか。
二人して風呂を面倒臭がって、布団とベッドに転がった。
カカシは仰向けに天井を見つめ、イルカは反対にうつ伏せになってカカシを見下ろしていた。
「なんか、お泊り会みたいですね」
ふふ、と彼が笑うのに、カカシは眉を顰めた。初めて聞く単語だ。
「なにそれ?」
「子供の頃、近所の友達とどっちかの親が任務で居ない時とかにね、やったんですよ。お互いの家に泊まって、一緒に風呂入って、眠くなるまでくっちゃべって……なんか特別じゃないですか。楽しかったなぁ」
どこか遠くを見るように、イルカが言う。酒のせいもあるのか目尻が赤く染まっていて、常の青年然とした彼よりも、幼く映った。
「俺、そういうのしたことないなぁ」
カカシがぼやくのに、彼が目をしばたかせた後、にこりと笑った。
「じゃあ、今日がお泊り会デビューですね!」
「デビューって…まぁ、そうね」
「怖い話とかします?アカデミーの七不思議とか」
「何それ、なんかヤダ」
「じゃあ、枕投げたりとか」
「子供っていっても結構危ないことするんだね」
空中を素早く飛び交う枕の姿を想像して言った言葉に、イルカがぷっと吹き出した。
「そんな、本気のじゃないですよ。カカシさんが本気で枕投げたら壁壊れるじゃないですか」
「やってみる?」
「勘弁してください」
あはは、と笑う声が少し掠れていた。
「あー…俺、こんな楽しいの久しぶりです」
心の中で同じことを思っていたとは言えず、カカシは口元に笑みを浮かべた。
「俺、あなたの友達になれたのかな」
「当たり前じゃないですか……って、上忍の方に友達だなんて、生意気かもしれませんけど」
「ここまで俺を手なずけておいて、今更でしょう」
犬を想起させるように言えば、イルカがぶん、とカカシの目の前に腕を投げ出した。
「お手」
酔いが醒めた時のイルカの顔を思い浮かべながら、カカシは彼の手のひらに己のそれを乗せた。少し汗ばんだ、温かい手のひらだった。
カカシより少し肉厚の手が、カカシを包んだままそっと閉じる。
「友達、ですよ」
胸にじわりとしたものが広がるのを感じながら、カカシは彼の手を同じくらいの優しさで握り返した。
「ありがと、先生」


あの時握り返した手のひらの感触がまだ残っているような気がして、カカシは知らず手を握りしめた。
イルカが出勤した後、普段なら昼頃まで怠惰に過ごしてから自宅へ戻るのだが、今日はそんな気になれなかった。
このまま滞在していては、あのくず籠の中をさらってあまつさえ、家中検分してしまいそうですらある。
あんなに居心地の良かった彼の家が、今は針の筵のように感じてカカシは早々にその場を後にする。
鍵をポストに入れ振り返れば、夏の日差しが右目を鋭く刺した。




3.夜は短し



カカシが任務に発って五日目の夜、イルカの姿はアカデミーの職員室にあった。
夕方の受付業務を終えて、残業のためアカデミーに戻っていたのだ。イルカ以外に殆ど人の無い職員室は、昼間と違いがらんと広い。
ガラス窓を開ければ、夏の夜特有の蒸し蒸しとした空気が入ってきた。
下を覗くようにして見渡すが、目的の人物は見当たらない。それもそうか、と独り言ちて、開けたばかりの窓をからからと閉めた。
順調にいけばカカシもそろそろ里に戻ってきている頃だろう。受付に寄れば顔くらい見えるだろうかと書類をまとめる。
疲れがひどく無ければ、いつもの様にそのまま酒に誘ってしまってもいい。
今日は用意が無いから自宅へ招くのは難しいが、馴染みの店で一杯引っ掛けるくらいなら彼も付き合ってくれるだろうか。
イルカがこんな風に算段を立てられるのも、カカシが今請け負っている任務が受付を通してのものだからだ。
里長から直接言い渡される類のものであれば、それこそ帰還がいつになるかも知れないし、戻ったところですぐに顔を合わせてくれるとも思えない。カカシの二の腕にあるであろう紅い入れ墨を直接見たことは無いが、暗部を抜けた今でも時折、イルカの把握できない任務に出ている事は薄っすらと知っていた。
離れた席でまだ書類とにらめっこしている先輩教師に挨拶をし、イルカは席を立った。



半刻ほどの後、イルカは夜道を木の葉病院へと向かっていた。
大股でずかずかと歩きながら、右手に男の腕をむんずと掴んでいる。
「ちょっとちょっと、イルカ先生っ」
イルカに引きずられながら、カカシが情けないような声を上げた。
「だめです、ちゃんと診てもらわないと」
前だけを見て進むイルカは、頭の中で病院での深夜受付の手順を繰り返していた。
本部棟の受付で予想通りカカシの姿を認めて手を振ったが、確かに合ったはずの目線を逸らされた。その後も彼は、声をかけるイルカに簡単な挨拶を返すだけで隣をすり抜けて去ろうとしたのだ。
そこで、イルカの第六感がぴきりと閃いた。
これは、怪我を隠している。任務先で負った傷を自分で縫うなりしたんじゃないだろうか。帰還が遅れたのも、それが原因では無いだろうか。
普段アカデミーで、叱責を恐れ失敗や怪我を隠そうとする子供たちを散々相手にしているイルカにとって、それは確信に近かった。
「自分で縫っただけでは悪い菌が入っているかもしれないんですよ」
だから、医療忍に処置してもらわないとーー
言いかけた言葉は、ぐ、と掴み返された腕の力に封じられた。
「本当に怪我なんてしてないんですって」
立ち止まったカカシが、呆れ声で言う。
「何なら検分してみます?」
言いながらベストのジッパーに手をかけたのを、慌てて止めた。
「そこまで仰るなら、どうして俺を避けるんです」
正面から問えば、カカシが頭の後ろをがしがしと掻いた。
「あー……ここじゃ、ちょっと」
「じゃあ、俺んち行きましょう。逃げたら家まで医療忍連れて行きますからね」
「何その脅し文句……」
大人しくなったカカシに先立って家への道を進めば、彼がその後をついてくるのが分かった。
何故突然避けられたのかさっぱり分からないが、こうしてついて来てくれるのならば嫌われてはいないようだ。その事にひどくホッとしているのを感じ、カカシに気づかれないよう、細く息を吐いた。



卓袱台の上に麦茶を置くと、カカシがどうも、と頭を揺らした。
普段なら卓の下で足を寛げているのに、今は互いに正座をしている。
時計の音まで聞こえそうな沈黙が、二人の間に落ちた。
と、
「申し訳ありませんでした!」
イルカは畳に手を着きがばりと頭を下げる。
「えっ、えっ」
「俺が何かしたのでしたら謝ります!ですから、どうか嫌いにならないで下さい!」
「ちょっと待って、顔上げてよイルカ先生」
腰を浮かせたカカシがイルカの腕を掴み、無理やりに顔を上げさせられた。
畳に擦れた額がひりひりとする。
「何やってんの、あなた」
片目しか見えていなくとも、その声音から覆面の下でカカシが呆れた顔をしているのか分かった。
「何って、謝罪と関係の修復を図っているんです。怪我で無いなら、俺が何かまずい事をしたから避けてらっしゃるのでしょう?」
「そんなんじゃなーいよ、勘弁してよ…」
「じゃあ、どうして俺を避けるんです?お戻りになるのを待っていたんですよ、これでも」
右目を真っすぐ見つめて言えば、カカシがぐ、と顎を引いた。
「もう…別に大した話じゃあ無いですよ」
「いいです、何でも聞かせて下さい」
改めて向き合って座り直す。イルカの分も、コップに麦茶が注がれた。
「あのね、イルカ先生。あなた彼女いるんじゃないですか?」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「そんなの、いる訳ないじゃないですか」
眉間に皺を寄せて言えば、カカシが「そうなの?」と眉を上げた。それに苦笑を返す。
「居たら、さすがの俺もこんなにカカシさんと会っていませんって」
「あぁ、そう…だよね……変なこと聞いてごめん」
はぁ、とカカシが一気に脱力したように姿勢を崩した。場の空気が和んだのにつられてイルカも足を崩し、ささっとあぐらをかく。
「何だ、そんなことで俺を避けていたんですか?」
「いや、大事なことじゃない。恋人がいる人をこんな夜な夜な独占してたんじゃ悪いでしょう」
「まったく……」
喉の奥から笑いがこみ上げる。こんな事で揉めるなんて、傍から見たら痴情の縺れだ。果たしてカカシにその自覚があるのかは知らないが、指摘しない方が良いだろう。
「でも、どうしていきなりそんなことを?」
「えっ、いや、なんと…なく。ほら、忍の勘ですかねぇ…」
ですかねぇ、と言われても、と今度はイルカが呆れ顔になる。ぽりぽりと頭をかくカカシがきまり悪そうにぺこりと頭を下げたので、笑って流してやることにした。
この機に乗じて、ずっと気になっていた質問をぶつけてみる。
「一応確認しておきますけど、カカシさんも独り身なんですよね?」
「ええ、もちろん」
間髪置かずに頷かれ、安堵が広がる。カカシがイルカを気遣ったのに対してこちらは純粋な嫉妬だけれど、気兼ねする相手が居ないと分かったのは有難い。ほっとした心地のまま、イルカは口を滑らせた。
「カカシさんの彼女なんて想像できないな……でも何か、強そうですよね。今までの人ってどんなタイプだったんですか?」
「いないよ」
「え?」
常と同じ眠たそうな瞳が、イルカをほんの僅かの間見つめ、それからすっと逸らされた。
「俺、恋人いたことないから」
「そうなんですか、へぇ…モテそうなのに」
どうにか繕った言葉に、動揺は表れていないだろうか。
「モテるのと恋人作るのとはまた別でしょう」
「モテるのは否定されないんですね……」
「イルカ先生はどうなのよ」
「えっ」
問い返され、今度はあからさまに動揺してしまう。
「安定した仕事で、男らしい見た目じゃないの。色々あるんでしょう」
「いやぁ、俺はどうもそういうのは苦手で……」
「ふーん」
それきり二人とも黙ってしまい、部屋に気まずい空気が流れる。
イルカはわざとらしく「あっ」と声を弾ませ、台所へと立ち上がった。
「こないだ美味いつまみもらったんですよ、カカシさんと食べようと思って」
冷蔵庫の奥から、瓶に入った塩辛に似たものを取り出す。ついでにビールを持って卓袱台へ戻れば、先ほどの重い雰囲気はどこかに霧散したようだった。
「給料日前で何もなくって。カップラーメンでも出しますか?」
「いいね、腹減ったし。俺作りますよ」
勝手知ったる台所と言わんばかりにシンクの下から買い置きのカップ麺を取り出すと、カカシが湯を沸かす。
その隣で箸やグラスを準備しながら、日常が戻ってきたことに安堵した。



◇◇◇



今年一番の暑さとなったある日の夜、二人の姿はカカシの家にあった。
カカシの任務が立て込み、イルカもアカデミーの夏休みに乗じて手近の任務を受けるなどしていたため、こうしてゆっくり顔を合わせるのは一か月ぶりのことだった。
何だかんだとイルカの部屋で飲むことが多いから、カカシの部屋を訪れるのは久しぶりだ。
上忍の官舎はイルカたち中忍用のそれよりも少しだけ広く、里の中心部にもほど近い。
初めて訪れたときは、彼の部屋が意外と生活感で溢れているのに驚いたものだ。使い古したというよりはただそこにあって古びただけの料理器具が台所に置かれていたり、居間に続く寝室には観葉植物や写真立てが飾られ、ベッドには手裏剣柄のタオルケットが広げられている。
随分かわいらしいんですね、と思わず言ってしまったら、子供の頃から家にあったものなのだ、と教えてくれた。
彼がどういう子供時代を送ってきたのか、イルカは知らない。自分と同じく(年の近い忍びの多くと同じに)天涯孤独の身であることくらいだ。それでも、滅多に覗かせない過去をほんの少し晒してくれたのが、やけに嬉しかったのを覚えている。
「明日も早いっていうのに、本当にお邪魔して良かったんですか?」
部屋の隅にカバンを下ろしながら聞くと、もちろん、と落ち着いた声が返ってきた。
「イルカ先生こそ、明日休みなんでしょ?何か約束でもあったんじゃないの」
「いえいえ、一日寝て終わりですよ。あ、たまには一楽で昼定食でも食いたいなぁ」
「さっき食べたじゃない」
呆れたように言われ、へへ、と鼻の傷を掻いた。
アカデミーを出たところで偶然行き会い、そのまま一楽で夕食を済ませてきたのだ。
良い酒がある、と自宅へ招かれたのは良いが、久しぶりで何だか落ち着かない。この部屋へ来るのも、カカシと二人きりで会うのも、だ。
意識しているのを悟られないように、イルカはあえて明るく振舞った。
腹はくちていたから、つまみもなく二人酒を飲んだ。
イルカの部屋とは違い、卓袱台ではなく足の長いテーブルを挟んで椅子に腰を落ち着ける。正面から向かい合うのが何となく照れ臭くて、イルカはさりげなく椅子を傾け、左に身体を開いた。
カカシの部屋にはテレビも無いから、会話が途切れると部屋はしんと静かになる。
普段なら気にもならないその沈黙がやけに重くて、イルカは手にした猪口をくい、と一気に呷った。
喉を、冷たい清酒が焼いていく。
空いた猪口を机に置き、まだ半分以上中身の残る徳利を取ろうと手を伸ばした時だった。
小指に当たったそれが、机の上をくるりと器用に一回転しイルカの膝にごとりと落ちる。
「あっ」
「わ、大丈夫?」
向かいからカカシが身を乗り出してくる。
「すみません、零しちまった」
慌てて徳利を起こしても、中身はすべてイルカの膝から股ぐらにかけて零れてしまっている。更には、座面を伝って床にまで水たまりが広がっていた。ベストを脱いでいてよかった。気軽に洗える代物ではないのだ。
これ、とカカシが差し出してくれた布巾で椅子と床を拭ったが、そこかしこに強い酒の匂いが漂っている。
「あー、ほんとすみません…」
「いいよ。それより服は…うーん、ちょっとダメだね」
イルカと一緒になって床を拭いてくれたカカシが、濡れた服を指した。
黒い忍服では色こそ目立たないが、濡れた布地が肌にまとわりついて気持ちが悪い。
走って帰れば、とも思ったが、そう言うより先にカカシが口を開いた。
「風呂沸かすから、俺のに着替えましょうか」
「す、すみません…」
友人として最善の方法を提示され、イルカは頭を下げた。
「じゃ、ちょっと待っててね」
カカシが風呂場と思しき場所へ消えていく。その背中を何となく目で追いながら、散らかった机の上を片付けた。
少し後で戻ってきたカカシは、今度は寝室で何やらがたがたと物音を立てている。そうしてイルカに歩み寄り、どうぞ、と見慣れた忍服を差し出した。
「私服と迷ったんだけど、着慣れてる方が良いかと思って」
「カカシさんにも私服なんてあるんですねぇ」
「馬鹿にしてる?」
ぐ、と替えの服を下げられそうになって、慌てて首を振った。
「いえいえ、なーんかイメージつかないなーと思って」
えへへ、と愛想笑いをすれば、ぷ、とカカシが吹き出した。
風呂場へ案内され、タオルはここ、シャンプーはこれ、とカカシが指さすのに頷いていると、そうだ、と何か発明でもしたかのように彼が声を弾ませた。
「ねぇ、ついでに泊まっていきませんか。私服、というか寝間着くらいならお見せできますよ」
「え、でもカカシさん早く発たれるでしょう」
「鍵はポストに入れておいてよ。あなたの家みたいに」
カカシの家なら鍵などあって無いようなものだな、と思う。現に、いつもカカシは帰宅と同時に結界を解いている。印を結ぶのが早すぎて今日などは見落としてしまったのだが。
「ね、もう遅いしさ」
どこかの女の子に言うみたいに顔を覗き込まれ、イルカは思わず後じさった。そして、首を縦に振る。
「わ、わかりましたから」
「じゃあ決まり、ね」
にこ、と目元を緩ませた彼は、そのまま引き戸を閉め居間へ戻っていった。
カカシの家に泊まるなんて、初めてのことだ。風呂を借りることすらこれまで無かったというのに。
自分の家ならばコントロールできていた思いが、彼のテリトリーの中では既に落ち着かなくなっている。
狭い脱衣所。
ここでカカシがいつも服を脱いで、鏡に素の自分を晒しているのだと思うと何だかいたたまれない。
余計なことまで考えてしまいそうで、イルカは酒臭い服を脱ぎ捨てると、水のままのシャワーを頭から被った。


イルカと入れ替わりに風呂場へ行ったカカシが戻ってきたのは、酔い覚ましにと麦茶を入れた時だった。
「自分の着替え忘れちゃったよ」
扉の開く音と共に聞こえた声に振り返ったイルカは、口に含んだばかりの麦茶を盛大に吹き出した。
「わっ、今度は麦茶?何やってんのイルカ先生」
「す、すみませんっ!ていうかカカシさん、服、服!」
思わず指させば、カカシは自分の身体を見下ろし「ん?」と首をかしげる。
水滴を拭いそのまま出てきたのだろう、腰に一枚タオルを巻いただけの姿はこの数か月の付き合いで初めて見るものだった。
傷の少ない白い肌、しなやかに均整の取れた筋肉。左腕に浮かび上がる紅い入れ墨が肌の白さに映えている。タオルの面積が小さいから、臍の下に髪と同じ色の恥毛が生えているのも丸見えだ。
「ヤだ、コーフンしちゃった?」
口を覆いしなを作って言う彼にあわあわと口を開けていると、にこ、と子供のようにカカシが笑った。
「あはは、イルカ先生って面白いなぁ」
机拭いといてくださいよ、と言い残し、着替えを取りに去っていく。
足を前後させるのに合わせてちらり、とタオルが捲れ、隙間から見てはいけないところが覗く。
イルカは数滴残った雫をティッシュでふき取りながら、眼前に晒された白い肌の、思いもかけない生々しさにごくりと喉を上下させた。


襟のある、無地のパジャマに身を包んだカカシが困ったように眉尻を下げたのは、それから五分も経たないうちだった。
「ごめん、あると思ったんだけど」
というか、あるにはあったんだけど、とカカシが説明するに、客用の布団を押し入れから取り出してみれば、無残にもカビが生えていたということだった。
「前にいつ出したかも分かんないくらいで、ねぇ」
がりがりと後頭部を掻く姿に、イルカは「構いませんよ」と慌てて手を振った。
「俺その辺で寝ますから、お気になさらないでください」
「そんな訳にはいかないでしょ、俺が床で寝るよ。硬い寝床なんて慣れたものだし」
「いえいえ、そんな…」
言い合いながら二人同時に、ちら、と見たところがあった。
カカシのベッドだ。
緑地に黒の、手裏剣柄の。
「あの…」
カカシが探るような視線を向けてくる。
「仕方ないし、一緒に、寝る?」
「そ、そうですね。仕方ない、し…」
「じゃ、まぁそういうことで…」
消すね、と言ったカカシに、何を、と返す間もなくぱちりと部屋の明りが消された。一瞬にして黒く染まった視界は、忍の目にはすぐさまクリアに映し出される。
それでも、カーテン越しの月明りだけがぼんやり広がる空間はどこか非日常的だ。
カカシがのそのそとベッドに上がる。
「イルカ先生、奥が良かった?」
壁際に身を寄せた後で、そんなことを聞いてきた。
「い、いえ、俺はどちらでも」
「そう?じゃ、ま、どうぞ」
布団を捲りあげ、ぽんぽん、と隣のスペースを叩くカカシに促され、イルカは重い一歩を踏み出した。
心臓が早鐘を打つようだ。
カカシに他意などあるはずもないのに、同じ寝床に入るのがひどく淫猥な行為に思えて、イルカは気づかれないように手のひらをぎゅっと握りしめた。それでなくても、身にまとったカカシの忍服から彼の匂いが香るようで、心が乱れているというのに。
「お邪魔します」
カカシの隣へ身体を滑り込ませる。
男二人の重みを受けて、ベッドがぎしりと音を立てた。
仰向けではさすがに拳ひとつ分の隙間しか空かないから、イルカはカカシに背を向けるように体を横たえる。
カカシが二人の上に、薄手の上掛けをかけてくれた。思えばイルカの分だけバスタオルでも借りれば良かったが、今更言い出すのも面倒をかけるようで気が引ける。
「狭くてごめんね」
「いえいえ、蹴っちまったらすみませんね」
「俺こそ、いびきうるさかったら起こしてね」
「カカシさんはいびきなんてかかないでしょう」
「よく知ってるね、イルカ先生ん家でも俺静かに眠れてるのかな」
「そりゃあもう…」
言いかけてはっとする。
カカシがイルカの家に泊まったとき、こっそり寝顔を眺めているのは知られたくない。
「俺だって忍ですから、自分ちで普段と違う音がしたら起きますって」
「そっか、そうだね」
背中越しに、カカシが微笑んだ気配がした。彼は、どうやらイルカに顔を向けているようだ。
何だかひどく気恥ずかしい。
男同士、友達同士で同じベッドに入るなんて、今より少し若い頃には珍しくも無かったのに。
相手がカカシというだけで、こんなに恥ずかしくなるものだろうか。
好きな、ひとだからか。
男に恋愛感情を抱くようになったのはいつからだったか、はっきりとは覚えていない。
ただ、アカデミーを卒業して下忍になる頃には、自分が目で追うのが男ばかりであることに気付いていた。
少し年上の、頼りがいのありそうな人ばかりに憧れて、しかし当然思いを伝えることなどできなかった。自分で自分を慰めることばかり上手になって、気付けば25歳にもなるのに童貞だ。男に抱かれた経験も無い。
カカシにも、親しくなり始めた頃は友人としての感情しか無かったのだ。
共通の記憶があって、秘密を分け合うように思い出話のできる相手。
それなのに、彼の優しさ、たまに覗かせる意地の悪い笑顔に触れるたび、胸のどこからか滲むようにして想いが色付いてしまった。
馬鹿だ、と思う。
叶うはずもない思いをこじらせて、彼の気持ちを踏みにじっているも同然だ。
せめて気づかれないように、友達としての体面を保つのが唯一、自分のできることだと思った。
「イルカ先生、起きてる?」
黙ってしまっていたからか、背中越しに小さな声が掛けられた。
「は、はい」
「寝ちゃったかと思った」
「すみません、ちょっとうとうとしちまって…」
そっか、と落ちる吐息が首筋を撫でるようで、イルカは思わず身じろぎした。二人で被っているタオルケットが引き攣れる。
「俺ねぇ、あなたと友達になれて本当に嬉しいんですよ」
静かな声だ。イルカは胸の中、友達、と何度か反芻し、少し遅れて「俺もです」と返事をした。
「そう。そっか……良かった」
おやすみ、とカカシが言う。
同じ言葉を、イルカも零した。






4.衝動



翌朝、カカシが身体を起こす気配で目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝日が細く差し込んでいる。
寝られるはずもないと思っていたのだがどうして、意外と図太いのかもしれない。
「ごめん、起こしちゃったね」
「いいえ。俺も起きますから」
うーん、と両手を伸ばすイルカを、隣でカカシが見下ろしていた。やけにじっと顔を見られるものだから、よだれでもついているかと口元を擦る。カカシが、ふ、と手を伸ばした。
「寝ぐせ、ついてる」
前髪を一筋、つままれた。
たったそれだけなのに、その場に縫い留められたように一瞬、時が止まった。
「あ…はは、お恥ずかしい」
「そんなことないよ、俺なんてこの通り」
自然な仕草でイルカの髪から手を離し、カカシは普段と変わらず跳ねた髪を指した。
「ね、何食べる?大したものは無いけど、作りますよ」
「そんな、悪いです。カカシさんこれから任務なのに」
「本当に大したものじゃないから、いいんだって」
それ以上食い下がるのも気が引けて、渋々頷いた。
忍服に着替えたカカシが台所に立つ姿を、椅子に腰かけ何とはなしに眺める。肉の焼ける匂いと、コーヒーの香り。
朝、誰かに食事を作ってもらうなんて久しぶりのことだった。それがカカシだなんて、夢でも見ているような気さえする。
「明日の朝には帰還できると思うんだけど、服返すのはいつでもいいから。イルカ先生の服、洗ってあげられなくてごめんね」
「そんな、良いんですよ。俺が勝手にヘマしたんですから。帰ったらすぐ洗濯します。これも、洗ってお返ししますね」
「悪いね…っと、はい、お待たせ」
目の前に置かれた皿には目玉焼きとベーコン、そして焼いたパンが乗っていた。申し訳程度にミニトマトが添えられているのが可愛らしい。
「簡単でごめんね」
「とんでもない。ご馳走じゃないですか」
「ご馳走は無いでしょ」
ふふ、と笑いながらカカシがコーヒーカップに口をつけた。
いただきます、と言いイルカも揃いのカップを口元に運ぶ。
イルカの家では何度となく共に朝食をとったことがあるのに、彼の家だというだけで何もかもが違って映る。伏せられた瞳の、ふちどる睫毛が朝の光にきらめいて見えた。


朝食を済ませてすぐ、カカシは任務に発った。
時計を見れば、普段イルカが起床する時間を少し過ぎたあたりだ。
皿を洗い、部屋をやりすぎない程度に掃除して荷物をまとめる。
酒を被った服は風呂場で水洗いだけはしておいたけれど、陰干しでは匂いも水気も取れていない。それをビニール袋に突っ込んで、立ち上がった時。
カカシの、ベッドが目に入った。二人で一晩、身体を休めただけの、そこ。
だめだ、と頭の中で声がするのに、イルカは吸い寄せられるようにベッドへと歩み寄った。
イルカが整えたシーツは温もりを失って冷たいけれど、つ、と指を滑らせれば、そこから彼の香りがふわりと広がるように思えた。
自制心や理性なんて、彼の存在という歯止めがなければ何の役にも立たない。
イルカは窓際に置かれていたティッシュケースを片手に、ベッドに乗り上げた。
彼が寝ていた場所をなぞるように、膝を着いて身を屈めた。すん、と鼻を鳴らすと、ほんの僅か、カカシの匂いが鼻腔に届いた。
そこからはもう、だめだった。
きつく瞑った瞼の裏、昨夜見た彼の裸体が蘇る。白い肌、すらりとした肢体にしっかりとついた筋肉。ひとつのベッドで感じた、体温。
目覚めたとき、髪を掬ったあの、長い指。
イルカは下肢に手を伸ばし、ズボンの上から自分のものを握りこんだ。
想像だけできつく勃起したそれを、ごしごしと擦りあげる。
頭に血が上る。閉じた口から、それでも吐息が漏れてしまう。
途中、手で触れるのをやめて服の上からシーツに擦りつけた。
動物じみた仕草で、夢中になって腰を振る。せっかく伸ばしたシーツは、イルカが握りしめているせいで皺がついたことだろう。
カカシは、このベッドの上で女を抱くのだろうか。ひとり、自分を慰めることもあるのだろうか。
は、は、と薄く開いた口から声にならない喘ぎが零れた。
布の中で達しそうになって、寸前でティッシュを抜き取りズボンの中に突っ込んだ。
瞼の裏に星が散る。大きく腰が跳ねた。その動きに合わせて、びゅる、びゅるると吐き出された精は、ぐしゃぐしゃのティッシュに受け止められた。
呼吸が落ち着くにつれて、頭が冷えていく。
友達だと、そう思ってくれている相手で抜いてしまった。
罪悪感と共に取り出したティッシュは生暖かく、手のひらに不快感が伝わる。
まさかカカシの部屋に残していくわけにもいかなくて、服と同じビニール袋に隠すように詰め込んだ。



◇◇◇



昼間の熱を残した夜風が、少し開けた窓からイルカの部屋へと吹き込んでいた。
逃げるようにカカシの家を出たのは早朝で、それからずっと、自分の家に引きこもっている。
せっかくの休みだというのに、大して用事も片づけられなかった。
卓袱台に突っ伏していた顔を上げる。ただ流していただけのテレビを消し、イルカは畳んだばかりの洗濯物をじ、と見た。
カカシに借りた忍服が、畳の上に行儀よく並んでいる。
次に会えるのはいつになるだろう。
帰還は明日の朝と言っていたから、運が良ければすれ違うくらいはできるかもしれない。
この服を返すのは、その次の機会になりそうだ。
そっと手を伸ばし、黒の布地を掴んだ。形を崩さぬよう引き寄せ、鼻を寄せる。
くん、と鼻を鳴らしても、元からほとんどしなかった彼の匂いは忍御用達の匂い消し洗剤のせいで跡形もない。
それでも、彼の服というだけで堪らなかった。
自分以外誰もいない部屋で、それでも人目を憚るようにして顔を埋める。
乾いた布地に額を擦りつけ、唇で何度も吸い付いた。
好きだ、好きだ。
心の中で唱える度に、腰が重く疼いてしまう。人に言えない場所が、熱を持ってしまう。
震える手で股間に触れれば、そこは既に固く張りつめていた。ウエストから腹を這うように手のひらを忍ばせる。それだけで、臍の下、筋肉がびくびくと震えた。
右手で服を顔に押し付けたまま、自分の雄を握りこむ。変態じみた行為だ。なのに、今までになく興奮していた。
彼を思って自分を慰めるのは、今朝が初めてでは無い。
どうしようもない罪悪感を伴っていたはずのその行為は、カカシの自宅で事に及んだことでいっそ、吹っ切れたのかもしれない。
先端を親指でぐるりと撫でれば、鈴口から淫液がじわりと滲む。
それを使ってカリ首の溝を優しく刺激すると、途端に口の中で唾液がじゅわりと溢れた。唇の端から溢れたそれが、カカシの服を汚す。
「は…っ」
瞼の裏で、カカシがイルカを見つめている。
『ひとりでこんなエッチなことしちゃって』
『イルカ先生ってはしたない人だったんですね』
軽蔑するような言葉を舌にのせ、それでも右目を弓なりにした彼が、イルカの痴態を遠くで眺めているーー。
妄想に励まされるように、手の動きが早くなる。
カカシさん、カカシさんっ
閉ざされた視界の中、聞こえるのは切羽詰まった自分の呼気と、下肢から沸き立つ濡れた音。
頭の中は彼でいっぱいだった。
こんな風に触って欲しい。見て欲しい。意地汚いほどにあなたで興奮してしまう俺に、気付いてほしい。
手のひらは粘液でぐちゃぐちゃだ。びきびきと血管が浮かび、雄竿が強く張りつめた。
ひときわ早く手を上下させれば、先端から飛び出した白濁が下着の中を汚した。放出に合わせて腹筋がびくびくと震え、思わず前のめりになる。
普段ならそのまま冷えていく頭が、今日に限ってのぼせたように熱からさめない。
顔を上げれば、零れた唾液が彼の服との間で銀糸を引いた。
す、と頬を風が撫でる。
そこで初めて窓を開け放していたことを思い出し、重い身体を起こして窓辺に寄った。
閉じるついでに何とはなしに外を見れば、昨日より傾いた月と目が合う。彼の髪の色に似たそれから隠れるように、カーテンを引いた。


居間の明りを消し、どろどろに汚れた下着をズボンごと脱ぎ去る。
力を失った陰茎をだらりとぶら下げて、イルカはベッドの脇にしゃがみこんだ。
少し手を伸ばせば、固い感触に行き当たる。取り出した四角い箱の、蓋をそっと開けた。
誰にも見せられない秘密が、その中にはあった。
ボトルに入ったローションに、いくつも連なるスキン。そして、ひと際目立つ長い棒にはビー玉を一回り大きくしたような黒い球が並んでいる。根元のスイッチを入れれば、ビィ…ンと鈍い音を立てて手の中で震えた。
後ろでの遊びを覚えたのはいつだっただろう。
親を失い、中忍になったのを機に養護施設からも独り立ちした頃。
思春期を一人で迎えたイルカは、好奇心の塊だった。
その頃には自分の恋愛対象が男性だと自覚していたものの、誰にも打ち明けられなかった。
心の騒ぐ夜には友人から分け与えられたポルノでは無く、任務の合間に盗み見た、男たちの水浴びをする場面ばかりを反芻し、自分を慰めていたのだ。
だからといって、狭い里内で自分から相手を探す度胸も無い。
聞きかじった知識のままに後ろへ指を伸ばしたのは、好奇心のなせる業だったかもしれない。
ハマってからは早かった。
任務の合間や、仲間との悪ノリで訪れたその手の店で少しずつ道具を買い集め、指一本から慣らし始めた身体は内側からの快楽を覚えるまでに成長した。
数か月前に買い求めたアナルパールはイルカの身体に馴染みが良く、辛い夜の慰めとなっていた。
道具をベッドの上に置き、ちら、と居間に目をやる。卓袱台の側、ぐしゃりと置かれたカカシの忍服。イルカは逡巡の後、それを携えベッドに乗り上げた。
人には言えないことを、しようとしている。
独身男性がベッドの上で何をしようが自由だが、イルカが握りしめているのは想い人の私物だ。もらったわけでもない。
借り物をこんな風に使っていいわけがない。
だけど、今夜だけ、なら。
ずっと打ち明けられることの叶わない想いだ。彼の気配がする物に触れながら、一時だけでも自分を解放できるのなら。
イルカはベッドに横向きに寝そべり、頬の下、彼の服を敷いた。
上着の裾から手を忍ばせ、腹筋をなぞり、緩く盛り上がった胸筋を柔く揉む。力を抜けば、存外に柔らかくなるそこはイルカの性感帯のひとつだった。
じわり、と下半身へ熱が広がるのを覚えると、ぴんと尖った粒を指先で摘まむ。甘い疼きは股間に直結し、陰茎に芯がきざし始めた。
「ん…っ」
緩い快感に膝を擦り合わせ、イルカはスキンを被せた指にローションをまとわせた。そのまま、後ろへ手を伸ばす。
割れ目をすりすりと撫でて、肉の奥へ指を潜らせた。しばらく触れていなかったそこは固く閉じ、本来の機能以外何も知らないような顔をしている。
しかしひとたびぬるり、とした指に撫でられれば、待ち望んだ主を迎えるかのようにはくはくと口を開いた。
皺を引き延ばすように何度かぐにぐにと弄れば、自分の緊張も解けていく。最初はいつも慣れないのだ。
つぷ、と爪先を潜り込ませると、ぎゅう、と括約筋が閉まった。
宥めるよう竿にも手を伸ばし、半分ほど勃ち上がった陰茎を手のひらで包み込む。
利き手と逆の手での愛撫は、他人に施されているような錯覚をイルカに与えた。
後ろが次第にほぐれていく。一本目を根元まで呑み込めるようになったら、ローションを増やして二本目を。
指が三本まで増えた頃には、竿も腹につくほど反り返っていた。
そろそろいいか、と、身体の内側、ずっと避けていた場所へ指を押し当てる。
「あっ…」
抑えきれない声を零し、びくり、と身体が小さく跳ねた。
ここを触ると、いつもすぐ達してしまう。前立腺の裏側、らしい。
最初はどこにあるかも知れなかったそれは、年月を重ねてふっくらと盛り上がり、勃起してしまえば猶更はっきりと存在を主張するようになってきた。
鈴口からはだらだらと先走りが垂れ、ベッドに染みを作る。タオルを敷いておけばよかったなんて、今更思っても遅かった。
頬に敷いたカカシの服にも、閉じきれない口から涎が広がっている。
三本揃えた指を抜き差しし、頭に突き抜けるような快感に喉を震わせる。
身体じゅうが熱い。ただでさえ、窓を閉め切っているのに。
夜とはいえ、真夏の夜に部屋の温度を上げながら、一人身悶えている。
擦り合わせた膝が、汗でぬるりと滑った。
「は…ふ…っ」
後ろから、指を抜き去る。
息を上げたまま、黒く光る淫具にスキンを被せた。
たっぷりローションを垂らし、後ろへ宛がうと、そこが物欲しげに口を開くのが分かった。
押し当て、軽くいきんだだけでぬぷぬぷと呑み込んでいく。
「あ、あ、はぁっ」
堪らず声が出る。球情のそれは、イルカの中の形に合わせるように良いところを刺激しながら奥へと進んでいく。
敏感なところを通った時には、きつく唇を噛まなければならなかった。
根元まで挿入し、ふうふうと息を深くつきながら、根元のスイッチを入れた。
ビーッ、ビーッ、と体の中から音がするのと同時に、イルカは魚のようにシーツの上でのたうつ。カカシの服をきつく握りしめ、女のようなか細い声を喉の奥から搾りだしながら。
しかし、締め付けのせいで道具が押し出されてしまわないように根元を押さえるのも自分の指だ。自ら望んだ行為なのだと思い知らされる。
「んー、んっ、んぅ……っ」
震える手で、少しずつ淫具を抜き出す。黒い球が一つ一つ排出されるたびに、えもいわれぬ快感に腰が震えた。
ゴールが見えてくる。
イルカは夢中で両手を動かした。片や、玩具を孔へ抜き差しし、片や濡れた竿をぐちぐちと上下させる。
「はっ、はぁっ、いく、いっちゃう、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
がくがくがく、とイルカの下半身が大きく揺れる。硬い淫具が、中のしこりとぐり、と抉った。
腹の奥から込み上げる熱に脳が焼けそうになる。胎内の固い棒をぎゅうぎゅう締め付け、イルカは達した。内側から押し出された白濁はまるで漏らしたかのように、とろりと竿を伝って落ちた。
「カカシさん…っ」
喉の奥から絞り出した声は、過ぎた快楽に醜く震えた。




5.これが恋で無いなら



あれは、なんだ。

転がるように辿り着いた家の、扉を閉めるなりカカシはずるずると屈みこんだ。
口布の下、吐く息が荒い。
全力で駆けた後でもこれほどでは無いだろう。額には汗すら滲んでいた。
目を開いていても、さっき見た光景がまざまざと蘇る。

予定より早く任務を片付けられて、無傷で阿吽の門をくぐったまでは良かった。
深夜の受付に報告書を出した足でそのまま帰ればよかったのだ。
わざわざ、彼の家の前なんて通らずに。
ただ、寝顔でも見られたらと思った。
たった一日会わないだけで何を、と自分でも思うが、それほど高揚していたのかもしれない。
初めて自宅に友人を泊めて、それが楽しかった。妙な誤解も解けたばかりだったし、友人としてまた一歩踏み込めた気がした。
こんな自分にも、た友達と呼べる存在ができたのが、年甲斐もなく嬉しかったのだ。
それが、まさかこんなことになるとは。

行儀が悪いと知りながら屋根伝いに飛び、彼の住むアパートの前の木に足を降ろしてみれば、少し開いた窓から薄っすらと明かりが漏れていた。
起きているのか、と何の気なしに覗いてみたのがまずかった。
任務を終えたばかりで尖ったままの神経が、小さな呼吸を拾う。何の、と考えるまでもなかった。
湿った音と衣擦れの音。
男として覚えの有りすぎる気配に、知らず息を飲む。
室内には他に人の居る様子も無い。
いけない、と思いつつ身を屈めれば、奥に灯る明かりの下、イルカが蹲っているのが見えた。
何度も訪れたことのある部屋だ。いつもならカカシが腰を落ち着けている場所で、彼が身を隠すように肩を縮めている。
腕がもぞもぞと動くのに目が釘付けになった。自宅で一人きりだというのに、どこか遠慮がちなその動きが行為の卑猥さを助長させているようで、喉が知らず上下する。
カカシは決して太くはない枝の上、一歩も動けずにいた。握った葉が手甲の下で青臭い匂いを放つのにも構わず。
『は…っ』
抑えた吐息が聞こえる。いつもの彼の、快活で芯の通った声とはまるで逆の、それ。
どくりと、胸が鳴った。顔に血が集まってくる。
他人の秘密の行為を覗くなどとは悪趣味な行為だ。しかも、カカシにとっては唯一の友人だというのに。
高揚していた気分が、別の高まりに取って変わろうとしている。
他人に食い入るように見つめられているとも知らず、イルカの手の動きがスピードを上げていく。
そうして突っ伏したまま、彼は肩を大きく震わせた。
達したようだ、と知ると、更に顔が熱くなる。
ゆっくりとした動きで顔を上げたイルカが、下履きの中に突っ込んでいた手を引き抜いてティッシュで拭っている。
立ち去るタイミングを逃したカカシが、そのティッシュの行方を目で追っていた時、イルカがふいにこちらを向いた。
が、振り返る寸前、カカシはアパートの屋根の上に飛び乗る。音も無く、風すら震わせずに。
窓辺に寄ったイルカが、ぱたりとそこを閉めたのが分かった。カーテンを引く音も聞こえる。
そこで引き返せば、今カカシはこんなにも動揺していなかったかもしれない。
男の自慰を目撃した気まずさは拭えなかっただろうが、無様に玄関口で蹲るほどにはならなかっただろう。
魔が差した。そうとしか言えない。
カカシは任務でもここまで、という程の注意を払い、アパートの屋根裏への侵入を果たした。
身を屈め音を消し、彼の部屋の天井板を僅かにずらす。
索敵や隠密は得意な方だが、万が一彼に見つかってしまったら、というスリルと、この後彼がどうするのかという興味で心臓が弾んでいた。
風呂でも使っているのか、怠惰にそのまま寝ているのか。もし寝ていたらそのまま天井板を戻し帰宅しても良い。ばかなことをしたと反省し、次会う時にはとっておきの酒でも持ってこよう。
できればそうであって欲しいと思うカカシの思惑は、しかし当然のように外れた。
寝室と居間の間の梁あたりから、カカシは広い視野で部屋を一望する。
明かりの落とされた室内も、忍の目には昼間と変わらない。
果たしてベッドの上に、彼の姿はあった。
が、とても眠っている風では無い。
部屋の中央に据え置かれた寝具の上、下半身を丸出しにして、身体をくの字に曲げている。
カカシは声を出さないよう咄嗟に口を押さえた。あと少し遅ければ「うわっ」とでも言ってしまいそうだった。
片手を後ろに回し、もう片方の手で股間をしきりに弄っている姿は、どう見ても一般的な男の自慰とは異なるものだ。もっと上級者向けの、さらに言えば同性同士の快楽を知る者の、それ。
きつく目を瞑り、眉を寄せているのは苦しさのためではないだろう。
揃えられた膝はすりすりと摺り寄せられ、唇からは抑えきれない吐息が引っ切り無しに零れている。
女っ気が無いとは思っていたが、男が好きだったのか。いや、女でも後ろを責めてくる奴はたまにいる。カカシの場合は断るが、イルカのように押しに弱いところのある男ならそういう女にハマるのかもしれない。
手管に長けた女に責められるイルカを想像したが、何となくしっくりこない。それよりも屈強な男に組み伏せられる方が、ずっとーー。
そこまで妄想を広げて、ふと気になることがあった。彼の頬の下、先ほど卓袱台にあったのと同じように黒いものがわだかまっている。
よく見てみれば、それは忍服だ。見慣れた、里からの支給服。
どうしてそんなものを、と思うと同時に昨日の記憶がまざまざと蘇る。酒を零したイルカに、着替えと言って手渡した、それ。
がつんと頭を殴られたようだった。まさか、俺の服で抜いているのか。それはつまり、俺で。
ずん、と股間が重くなった。
頭は混乱するのに、下半身は覚えの有る熱にみるみる支配されていく。
大胆に手を動かしていたイルカが、ふと動きを止めた。後ろから指を引き抜き、堪らずといった風に声を上げる。
そうして、彼の脇にずっと放置されていた黒光りする淫具に、慣れた仕草でコンドームを被せた。たらり、と垂れるローションを見つめる目はすっかり蕩けている。
これからどうするのか、考えなくても分かった。思わず前のめりになる。
初めて女の裸を見た時にも、これ程までには興奮しなかった。
少し片足を持ち上げたイルカが、その突端を秘所に押し当てると同時に、ついに声を上げた。
普段の彼からは想像もできない、甲高く、しかし遠慮がちな甘い声。
男にも、直腸の中に堪らない場所があるのだと知っている。そこを掠ったのらしい、唇を引き結んで快楽に耐える様はひどく官能的で、カカシは己の物がひどく張りつめるのを感じた。
しばらくしてカチ、と音がしたかと思うと、鈍い振動音が部屋に響く。
途端にイルカがベッドの上で跳ね、口から引っ切り無しに喘ぎを零し始めた。
下肢がびくびくと震えている。爪をきれいに切りそろえたつま先が、シーツをぐしゃぐしゃに引っ掻いていた。
黒いビーズの連なる器具が、振動しながら彼の肛孔を出入りする。振動音に混じってぐちぐちと濡れた音がするのは、ローションだけでなく彼の雄からカウパーが溢れているせいだろう。
息を殺して見下ろしていると、次第に彼の動きが激しくなってきた。昇り詰めるのだろうか、ごくりと喉が鳴る。
イルカは泣き声で「ごめんなさい」と何度も繰り返しながら、がくがくと下半身を震わせた。性器から放出された精液は思ったような勢いを持たず、溢れるようにどろりと零れた。その淫猥さに目を奪われたカカシの耳に、
「カカシさん…っ」
彼の声が届いた時、頭が真っ白になった。


侵入時以上の慎重さを持って彼のアパートから抜け出したカカシは、夜の里を無我夢中で駆けた。
玄関に飛び込んでしばらく経った今も、まだ立ち上がれない。股間はみっともなく布を押し上げたままで、収まる気配もなかった。
最後に彼が絞り出した声が、耳にこびりついて離れない。
俺の忍服を頼りに自分を慰めて、あまつさえ俺の名を呼んで。
その行為が指し示すものが何なのか、さすがに分からなくはない。
友達、だと思っていたのに。
その友達の秘密の行為を盗み見た自分が言える義理では無いが、心のどこかがちくりと痛んだ。それが何の痛みなのか、カカシは説明する言葉を持たない。
「……くそっ」
吐き捨て、カカシは乱暴に手甲を外すと下肢に手を伸ばした。
冷たい玄関に腰を据えたままで、収まる気配の無い陰茎をぐい、と取り出す。既に先走りで下着に染みができていた。持ち主と違って素直な反応を見せるそこに嘆息する。
ドアに凭れ、親指と人差し指で輪っかを作り、大きく張り出した括れを擦る。何度か繰り返すだけで、ぐん、と質量が増した。空いた手で透明な先走りを亀頭に塗りたくれば、滑りを借りて動きが多少スムーズになる。
性的に淡白な方だと思っていた。たまに女を抱くだけで気が済んでいたから、自らのものに手を伸ばすのは久しぶりのことだった。
頭の中に浮かぶのは、イルカの痴態。しどけなく足を投げ出して、女の様に身を震わせる姿を反芻すれば、手の中でそれがびくりと脈打つ。普段ならば決して早くは無いのに、良いざまだ。
女と見紛うような外見では決して無い。肌の色も日に焼けて浅黒く、手足にもそれなりに毛が生えている。なのに、悶えた脚の脛の肉が張りつめる様は、そこを掴んで割り開いた時の征服感を夢想させたし、反り返る陰茎の根元で濃く生えた恥毛が濡れているのを思い出しただけで、カカシの先端からは先走りが溢れてくる。
根元を左手で強めに上下しながら、括れから先端にかけてを右手の輪っかで素早く動かせば息が上がった。
彼の、あの熟れた穴にこの猛った己を埋められたら、どれほど気持ちが良いだろう。友達、と言った口でそんなことを考えてしまうのだから、自分も大概始末に負えない。
だが、細くは無い玩具をやすやすと呑み込んでいく姿は、普段の彼からは想像もつかないものだった。太陽の下で生徒と笑い合いながら実技を指導するところも、真面目な顔で受付に座っている姿も、カカシの前で少しだらしない顔で酒を飲む笑顔も、何度も見てきたというのに。
がくがくと震えながら達していた様が脳裏に焼き付いて離れない。カカシの名を呼ぶか細い声が、忘れられない。
「……っ」
鋭い快楽に、息を詰めた。勢いよく飛び出したスペルマは手のひらで受け止めきれず、半分ほどが床に零れ落ちてしまう。
「あー……最悪」
独り言は自分に向けてのものだ。カカシをオカズにしていたイルカを詰りながら、同じことをしてしまうとは。
唐突に、いつか彼の部屋で見た性の残骸を思い出した。隠すようにくず籠に捨てられていた、残滓。彼があれを捨てた時ももしかしたら、今夜のように後ろを使って自身を慰めていたのだろうか。
しかし、もし男が居たとしたら。
彼を慰める、カカシの知らない存在が居るというのなら。
じり、と胸の奥が焦げる。文句を言う筋合いなど無いのに、それはひどく不快なことに感じた。
だが、たった一晩で自分たちの関係が「友達」という言葉からはみ出してしまったことに、落胆する気持ちもある。
僅かに芽生えてしまった彼への欲と嫉妬。そして友達としての関係を惜しむ気持ちの間で揺れながら、カカシは頭を振った。迷いはまだ、始まったばかりだった。



◇◇◇



次に会うときはどんな顔をしていいか分からない、なんて思っていたのに、その時は唐突に訪れた。
馴染みの定食屋で遅い夕食を取っていた時だった。
夜は酒も出すこの店は、酔客で程よく席が埋まっている。半分ほどは忍だったが、カウンターに腰を据えるカカシに話しかける者はいない。特段気配を消してはいないが、気軽に声をかけられる雰囲気を出しているつもりもなかった。
もしアスマでも居れば遠慮なく肩をドンとでもやりに来るだろうな、などと遠方の任務へついているらしい同僚を思いながら焼き魚をつついていると、店の入り口から賑やかな声が聞こえた。
団体客でも入ってきたか、と何とはなしにそちらを向くと、揃いのベストを身に着けた集団の中、見慣れた黒髪がぴょこりと揺れていた。
「あ」
思わず口にしたのは同時だった。もっとも、カカシの声は口布に掻き消されるほど小さなものだ。
イルカが、離れたところから小さく会釈する。カカシも軽く手を上げてそれに応えた。
彼の顔を見るのは久しぶりだ。
結局あの後気まずくて、彼と二人きりで会うのを避けていた。綱手から直接振られる任務が多かったこともある。少し気を付けて避けていれば、よく今まであんなに会えていたなと思うほど彼との接点は減っていった。
およそ半月ぶりに見る彼は、夏の日差しのせいか少し日に焼けたようだった。顔が赤らんでいるのは、既にどこかで一杯引っ掛けた後だからだろうか。
イルカたちのグループが奥の座敷へ通される。カカシの後ろを通って行かねばならないから、会釈を寄こす者、素通りする者と様々だった。しんがりを務めたイルカが、カカシの傍で立ち止まる。
「お久しぶりです。お変わりないですか?」
「ええ、あなたも元気そうだ」
「はは、暑気払いとかで飲み会が多くて、財布はぺらっぺらですけどね」
じゃあ、と立ち去りかけたイルカが、一歩踏み出した足をぴたりと止めた。
しばしの間を置いて、一段落とした声でカカシに話しかける。
「あの…もしご迷惑でなければ、ですが、この後うちで飲み直しませんか」
どきりとした。
こうして会話を交わすことすらカカシにとっては勇気を伴うものだったのだ。他の目が無い場所で二人きりになると、余計なことを口走らない自信が無い。
「あー……ちょっと、今夜は」
「で、ですよね。急にこんなこと言ってすみません。お疲れなのに。じゃ、またそのうち」
「うん、また」
座敷から、イルカを呼ぶ声がする。イルカはそれにおう、と返して、今度こそカカシに背を向けた。その寸前、彼が焦ったように鼻傷を掻く仕草がどこか寂し気で、悪い事をしたような気になる。
以前カカシが彼に恋人がいると邪推し距離を置いた時には、イルカは力技でカカシから理由を聞き出したというのに。今も同じように、カカシが彼を避けているのを察しているはずだ。あの時のように理由を聞いてこないことをどこかで寂しく思い、身勝手さにため息が出る。
結局、カカシはイルカに構って欲しいのだ。
自覚してしまえば、そのあまりの子供っぽさに愕然とした。
彼の秘密を見てあれほど動揺したのは、嫌じゃなかったからだ。少しでも嫌悪感があればとっくに彼との関係を切っていただろうし、そもそも玄関先で自分を慰めたりはしない。
友達だと言いながら、その実カカシに欲情するイルカも、友達でいたいと思いながら、結局イルカに自分を見てもらえれば何でも良いと思ってしまうカカシと、どちらがマシだろう。
すっかり冷めてしまった味噌汁を喉に流し込んで、カカシは席を立った。


我ながら女々しい真似をしているなと思いながら、カカシは木塀を背に街灯の下、彼を待っていた。
手にはいつもの愛読書を広げているけれど、内容はひとつも頭に入ってこない。
先ほどから目の前を行き過ぎる人々が、ちら、と遠慮がちにカカシを見てくるのがいたたまれない。
ジジ、ジジ、と耳障りな虫の羽音を頭上に聞きながら、いつまでこうしていようかと思う。彼は店に入ったばかりだから、出てくるには早くても一刻はかかるだろう。たとえ出てきたとしても、仲間も連れているだろうに。
店が見える距離でカカシが立ち竦んでいたとして、彼だって困るかもしれない。いや、確実に困惑するはずだ。
そう思うと急に気持ちが萎れて、カカシは手にした本をぱたりと閉じた。
帰ろう。寝てしまえばいいのだ。そうして起きればまた任務だ。里から出さえすれば、任務のこと以外考えなくて済む。
そうだ、そうしようと顔を上げた時、店の引き戸ががらりと開く音が聞こえた。
どうせまた別人だ、という予想は見事に外れる。
「あれっ」
何故か一人きり、出てきたイルカとばっちり目が合った。
「あー…えーと……」
そのまま固まってしまったカカシに、イルカがばたばたと走り寄る。先ほどより顔が赤らんでいるのは、酒のせいだろうか。
「もしかして、待っていて下さったんですか」
「いや、というか…まぁ、そう、ですかね」
「なんですかそれ」
ぷっとイルカが吹き出した。
あぁ、久しぶりにこんな表情を見たなぁと思う。
何だか年齢よりも幼く見えるような、屈託の無いこんな表情が好きだった。
周りの者の、肩の力をふっと抜いてくれるような笑顔。細胞の隅に至るまで、じんわりと温めてくれるような。
「じゃあ、行きましょうか」
「うん」
肩を並べて歩き出す。二言三言交わせば、すっかりいつもの調子だ。
イルカが少し酒の混じった息を吐きながら、カカシと会わなかった間の四方山話をぽつぽつと話し、カカシがそれに相槌を打つ。
むわりとした、湿度の高い空気が二人の間を通り過ぎた。
隣の彼をそっと見れば、同じようにこちらを伺っていた瞳とかちあった。二人同時、照れ隠しに笑う。
この時が続くなら何でも懸けられるような気がしてそっと、カカシは手のひらを握りしめた。


イルカの家を訪れるのは、屋根裏へ不法侵入した夜以来のことだった。そんなことはおくびにも出さず、カカシは普段通りにそこでくつろいで見せる。
先日余らせた酒をちびりとやって、世間話の続きをイルカと交わした。
「あ、そういえばお借りしていた服、やっとお返しできますね」
「そういえばそうだったね、ありがとう。洗濯させちゃって悪かったかな」
「いえいえ、助かりました」
紙袋に入った黒の上下はきちんと畳まれていて、当然ながら行為の名残を伺わせるべくもない。
これで、何してたの。
頭の中で意地悪い言葉を浮かべる自分がいる。
カカシは表面上笑顔を取り持ちながらも、内心動揺していた。それをごまかすように、べらべらと口が動く。
「ちょうど良かった。明日も任務だし、これ着て行こうかな。今日も泊めてくれるんでしょう?」
「ええ、もちろん。じゃあ朝飯用に炊飯器セットしておきますよ」
「残念、結構早くに出ないといけないんだよね」
「そうなんですか?じゃあお誘いして悪かったですね」
途端に眉尻を落とす彼に、慌てて首を振る。
「いやいや、俺が勝手に待ってただけなんだから。…そうだね、じゃあ握り飯でももらって行こうかな」
「握り飯ですか?」
「そう、それなら簡単に食えるでしょ」
適当に言った逃げ口上のようなものなのに、イルカは真剣な顔で冷蔵庫の中身を覗きに行ってしまった。
「…と、鮭フレークは…腐ってら。あ、梅干しあるな。よし!カカシさん、任せて下さい」
「自分でやりますよ、あなたは寝てて良い時間に出てっちゃうんだから」
「まぁまぁ、これくらいやらせて下さいよ。じゃあ炊飯器セットしちゃいますね」
イルカが鼻歌でも歌いそうな勢いで台所に立つ。米を研ぐ音は夜更けに不似合いだったけれど、彼の後ろ姿を見上げながらカカシは胸の奥がぎゅう、と掴まれるような不思議な感覚をおぼえた。


遠く地平線に朝日の欠片が登ろうとする頃、カカシはイルカのベッドの脇で彼の寝顔を見下ろしていた。
短い睡眠でも、不思議と身体は軽い。
イルカは寝る直前まで、絶対に起こしてくれと言っていたけれど、炊飯器のメロディ音でも起きなかったからには相当疲れているのだろう。
カカシの身を包むのは、彼が昨夜返してくれた忍服だ。イルカが、あの夜切なそうにすがっていた、あの服。
すうすうと穏やかな寝息を立てるイルカから、目が離せない。そんな穏やかな顔をして、俺にはちっとも見せてくれない秘密を抱えているなんて。
少し狭い額に男らしい眉、強い光を閉じ込めた瞼はぴくりともしない。どこからどう見ても、男だ。
なのに、それなのに、どうしてこんなに触れたくなってしまうのだろう。
物音を立てないよう、静かに膝を折る。
少しだけ身を屈めれば、規則正しい呼吸を行う鼻の下、緩く閉じられた唇がカカシの眼前に迫った。
そこに、自分の唇が重なる。
かさついた表面に、僅かに押し当てればそこから温もりが伝わった。
伸びかけた髭がカカシのそれと触れ合うか触れ合わないかのところで、そっと顔を離した。
行かなければ。
立ち上がり、ベッドに背を向けたカカシは、しかしびくりと立ち止まる。
「カカシ、さん……?」
掠れた声が、背中越しにカカシを縫い止めた。
全身が心臓になったかのような拍動を感じながら、ゆっくりと振り向く。そこには、ぼんやりとした表情で唇に指を添えたイルカが居た。
視線が合う。
途端に頭に血が上り、カカシは何も言えずに瞬身の印を組んだ。ぐわん、と脳が揺れる。次の瞬間には、カカシの目の前には誰も居なかった。
自室の、窓際。小さく舞った木の葉の感触に俯けば、カカシは裸足のままだった。任務用のリュックも無い。ベストを身に着けていたのは幸いと呼べるだろうか。
己の愚かさに、ため息も出ない。
だが、それでも任務は待ってはくれないのが悲しいところだ。
カカシは押入れを漁りリュック代わりのズタ袋へ任務に必要なものを詰め込むと、スペアのサンダルを下駄箱から引っ張り出した。
上がり框に腰を下ろす。携帯食料を切らしているのを忘れて少しばかり探し回ってしまったから、時間が押している。手早く脚絆を巻いていると、遠くから足音が聞こえた。
こんな早朝とも呼べない時間でも忍の暮らす建物では人の行き来があって当然だが、足音は真っ直ぐカカシの部屋へ向かっていた。
まさか、と手が止まる。
そのまま動けないでいると、足音はカカシの家の前でぴたりと止まった。
玄関を挟んだ向こうに、人の気配がある。どうしたって間違えようのない、それはイルカのものだった。
コンコン、と遠慮がちにドアがノックされる。
カカシは微動だにしない。
僅かな間の後、ドアノブががちゃりと鳴った。思わずそこを見る。が、ノブは音を立てただけで動かされることは無く、足音はまた遠ざかっていった。
気配が完全に消えたのを待って、カカシはようやく息を吐く。
心臓がうるさいほど鳴っていた。
短く印を切り結界を解く。そっとドアを開け廊下を覗けば、ドアノブに白いビニール袋がぶら下がっていた。そしてその脇に、カカシのサンダルとリュックが揃えて置かれている。
すべて抱えて玄関へ入れれば、人肌に温かいビニール袋の中には握り飯が二つと、小さく折られた紙が入っていた。
メモ用紙のようなそれを開くと、イルカの文字で一言「御武運を」と書かれていた。
きっと、何を書いていいか分からず、それでも何か書かずにはいられなかった彼の、精一杯の言葉なのだろう。共に入れられていた握り飯の熱のせいで半分ふやけたようになったそれを、カカシは胸に押し当てた。
不格好な握り飯は、寝起きの彼が慌てて作ったものだろう。カカシと約束していたから。あんなことをされてさぞかし混乱しただろうに、それでも律儀に約束を守って忘れ物まで届けてくれる優しさが、堪らなかった。
カカシはきつく目を瞑った。己の内にある感情に、もう目を背けることは無理だった。
この思いが恋で無いなら、この世に恋など存在しない。







6.告白の行方



「どうしたイルカ、最近冴えねぇな」
隣の席の同僚にそう言われ、イルカはがっくりとうなだれた。
「面目ない…」
数日前からアカデミーでも受付でも凡ミスを重ねている。今日も、一時間目に教室を間違えたことから始まり、黒板に書いた数式の違いを生徒に指摘され、挙句の果てにはいたずらに引っかかって全身びしょ濡れになった。
宿直室でシャワーを借り着替えたのは良いが、机の上には書類が山と積まれている。採点待ちのテストから、白紙の学級通信に保護者からの苦情の手紙まで。
「採点くらいは手伝うぜ?」
ほら、と手を差し伸べてくれた男に、愛想笑いしながら首を振った。
「いいよ、これくらい何とかなるさ。ありがとな」
「べっつにー…ま、何か悩みがあるなら聞くぜ」
ぶっきらぼうに言いながらも、彼がイルカを心配してくれていることは充分伝わってくる。ありがとな、とだけ答えて書類に向き直った。
悩みならある。だけど言えるわけ、ないだろう。
友達のはずの上忍に、キスされたなんて。
信じてもらえるかすら怪しい。現にイルカもまだあれが夢だったのでは無いかと思ってしまう。
だが目を瞑ればありありと唇の感触が思い出され、飛び上がりそうになる。いったいどうして、何でーー考えても答えは出ず、ここ数日眠りが浅かった。
プライベートの悩みで仕事がおろそかになるなど我ながら情けない。
イルカは両手で頬をぱちんと叩くと、よし!と気合を入れる。何だよ急に、と同僚が怪訝な声を出すのにも構わず、まずは白紙の学級通信を仕上げるべく、ペンを滑らせた。



失敗の穴埋めという訳ではないが、最近迷惑をかけ続けた受付の雑務も引き受けていたらすっかり日が暮れてしまった。
今朝方まで降っていた雨のせいで、地面はまだ所々濡れている。
水たまりを避けながら、イルカはとぼとぼと一人帰路を歩んでいた。
道端から聞こえる虫の声に秋の音が混ざり始めて、そろそろ夏も終わるのかと思う。
夏の始めの頃は浮かれていた。カカシとほとんど毎日のように顔を合わせ酒を飲み、下らない話に花を咲かせて。陰で募っていく恋情は心を重くしたけれど、それ以上に彼と共に時間を過ごせることが嬉しかった。
友達でいいと、思っていたのに。

カカシが最後に泊まっていったあの夜、握り飯を作るだなんて意気込んでいながらすっかり寝入っていたイルカを覚醒させたのは、ほんの僅かな温もりだった。
唇に残る感触にぼんやりとそこへ指を這わせるのと、カカシが振り向くのは同時だった。
自分でも気づかないうちに名を呼んでいたらしい。
カカシは何も言わず、まばたきの間に消えてしまった。残されたのは、木の葉が一枚。
え、と間抜けな声が口から落ちた。しばらくそのまま固まっていたイルカだったが、次第にはっきりしてくる頭で状況を確認すると、うわぁっと叫んで飛び起きた。その反動か、心臓がどくどくと耳にうるさい。
キス、されたんだよな。
自覚はしても実感が伴わない。
どうしよう、と部屋をぐるりと見渡せば、カカシの布団の枕元にリュックが置かれたままなのを見つけてしまった。まさか、と思って玄関を覗きに行けば、そこには案の定サンダルが残されている。
嘘だろ、とひとりごちて、イルカはしゃがみこんだ。
どんな顔して届けに行きゃいいんだ。そのままにしておくという選択肢は元から無い。リュックは彼の任務で必要なものだし、サンダルはスペアがあるにせよ肌に馴染んだものの方が良いに決まっているからだ。
まだ里に居ると良いんだけど。
イルカはため息をひとつついて立ち上がり、部屋に良い匂いを撒き散らしている炊飯器にちら、と目をやった。
…やるか。
もしかしたら握り飯などもう必要無いかもしれないけれど、やると言った手前このままにしておくのも気が引ける。
決めてしまえばイルカの動きは早かった。
熱々の白米に梅干しを包み、塩まみれの手でどうにか二つの握り飯を完成させる。銀紙に包んでビニール袋に詰め込んだあと、迷った末にペンを取った。
『御武運を』
ほとんどなぐり書きのようにして、一言添える。聞きたいことは確かにあれど、これから任務に発つカカシに言うべきはそれだけのような気がしたからだ。
急いで忍服に着替え、リュックとサンダル、そして小さなビニールを一つ携えて玄関を飛び出た。
音を立てないよう気をつけながら、民家の屋根の上を跳躍する。子どもたちの規範となるべきイルカにとって、普段は余程のことが無い限りしないことだ。
つまり余程のこと、なのだ。イルカにとって、カカシという男は。
彼の住む建物が見えて、イルカはようやくスピードを緩めた。上忍専用住宅というだけあって、下手に侵入すれば警務部が飛んでくるかもしれず、行儀よく一階の玄関から中へ入る。
階段を駆け上がり、目的の階へ着くと足が強張った。
もう、とっくに出かけてしまったかもしれない。そもそも、彼がここへ戻ったという確証も無い。
しかし、カカシとの短い付き合いで得た勘が、イルカの背中を押した。
一歩一歩、足を進める。
彼の部屋の前で立ち止まっても、何の気配も感じない。
だが、何故かイルカには扉の内側、カカシがそこに居るような気がした。
コンコン、と小さくドアをノックするが、返事は無い。
ドアノブを一度捻ってから、彼が結界を張っていることを思い出す。少しだけ迷って、ビニール袋をノブに掛けた。リュックとサンダルも足元へ揃えて置く。
今は会いたくないというなら、それで良い。
イルカも、もし顔を合わせたところで何と言っていいかわからないのだ。
それでも、伝わっていればいいと思う。驚いただけで、嫌ではなかったこと。無事に帰ってくるのを、待っていること、それだけでも。
帰りは地に足をつけて歩き、家に着くなりベッドに突っ伏した。唇の感触が、まざまざと蘇る。柔らかく、少し湿ったようだったのはあまりに近い吐息のためか。
振り返った彼の、瞬く間に赤らんだ顔が忘れられない。
その日は結局寝不足のまま、アカデミーに出勤することになった。今日に至るまで、寝不足は続いている。

考え事をしながら歩いていたから、それに気づくのが一瞬遅れた。
アパートの階段を登った先、突き当たりのイルカの部屋の前。
さびついた手すりにもたれるようにして、立っていた男の姿に。
「おかえりなさい、イルカ先生」
「カカシ、さん」
思わず立ち止まってしまう。しかしカカシが一歩身体を引いたのにはっとして、慌てて歩み寄った。
「いつ戻られたんですか」
「さっきですよ。でもあなた遅いから、もう少しでアカデミーに迎えに行くところでした」
「すっ、すみません、ちょっと残業が…って、約束、してましたっけ…」
「してないけど、会いたくなって」
正面からそんなことを言われ、顔に血が上る。ただでさえ、彼のことを考えていたというのに。
「そう、ですか」
気の利いた返事もできないまま、イルカはがちゃがちゃと鍵を回した。そうしてふと、彼を振り返る。
「あ、あの、上がり…ますか?」
「あなたが良いなら、是非」
「はぁ、それはもちろん……」
じゃあ、とイルカに続いてカカシがドアの中に入った。
狭い玄関で距離が狭まるのに慌てて、イルカは急ぎ脚絆を解いてサンダルを脱ぐ。
「そんなに慌てなくても」
「い、いえ、俺汗臭いんで!」
「俺の方がひどいでしょ。外から帰ってきたんですよ」
言われてみれば、カカシからは珍しくどこか饐えたような匂いがする。普段はどんな任務についた後も、血の残り香ひとつさせない人なのに。
イルカが怪訝な顔をしたからか、カカシが苦笑しながら教えてくれたの内容はこうだ。カカシを隊長としたフォーマンセルで敵を追い詰めたは良いが、今際の際に敵の放った術から味方を守ろうとした挙げ句、ドブに落ちてしまったというのだ。
一人の負傷者も出さず、任務も成功したが、ヘドロにまみれたカカシを皆遠巻きにするから腹が立ったーーなんて言うから、つい笑ってしまった。
あはは、と声を立てて笑うイルカに、カカシが眉を寄せる。
「ちょっと、そんな笑わなくても良いでしょ」
「だって、あの写輪眼のカカシがドブに嵌るなんて、わははっ、ひっひっひ」
「ひどいなぁ、まぁでも…臭うよね。川で流してきたんだけどなぁ」
「ちゃんと洗わないと無理ですよ。風呂使って下さい。掃除はしてありますから、お湯張るなら自分でやってくださいね。あ、きちんと泡が立つようになるまで髪も洗うんですよ!」
「子供じゃないんだから…」
ぶつくさと言いながら、カカシが脱衣所に向かう。イルカは目の端に浮かんだ涙を指で拭いながら、まだひーひーと腹を震わせていた。あんなに悩んでいたのに、どうでもよくなってしまう。いや、どうでもよくは無いのだが、重苦しい空気が消えたのは助かった。
カカシが風呂を使っている間に、簡単な食事の支度をした。今朝から炊きっぱなしだった白米に、味噌汁。適当に合わせたタレで肉を焼いただけのものだが、本当ならカップラーメンで済まそうとしていたイルカにとってはこれでもご馳走だ。
「せんせー、着替え貸してくださーい」
食器棚からカカシの分の食器を出していると、風呂場から声がかかった。慌ててタンスから服を引っ張り出す。いつもカカシが泊まる際に着ている、Tシャツとスウェットだ。下着はどうにか買い置きがあったから、封を切って洋服の上に重ねた。
「失礼しまーす」
そっと引き戸を動かしたが、脱衣所にはまだカカシの姿は無い。ほっとして洗濯機の上に着替えを置いて立ち去ろうとしたら、「ありがとね」と風呂場のガラス越し、裸のシルエットが見えた。
「いえいえ、ごゆっくり」
平常心、平常心、と心の中で唱えながら引き戸を閉め、はぁ、とため息をつく。これくらいで動揺してどうする。
カカシはあの夜のことを無かったことにするつもりじゃないかと、イルカは予想していた。
そうじゃないと、あんなに自然に振る舞えるわけないだろう。彼がそうしたいなら、イルカも倣うまでだ。元の通り、二人は親しい友達。それ以上の関係を望むなんて、おこがましいもいいところだ。
しばらくして、カカシがイルカの用意した服をまとい、居間へ出てきた。
「もしかしてメシ作ってくれたの?悪いね」
「いえ、俺もまだでしたから。でも大したものじゃありませんよ」
「ずっとまともなもの食べて無かったんだよ。何でも嬉しいに決まってる」
そういえば、少し頬がこけたかもしれない。そう思ってじっと顔を見ていたら、ん?とカカシが小首を傾げた。
「カ、カカシさんはほら、座っててください。今運びますから」
「何言ってんの、それくらいやりますよ」
イルカの動揺など知らないように、カカシがすっと隣に並んだ。風呂上がりの彼を包むほかほかとした空気が伝わってきて、イルカは身体を固くした。
同じようなことは何度もあった。以前ならどうにでもやり過ごせたのに、今日はそれが難しい。
イルカがよそった皿を、カカシが運ぶ。ほんの数往復で完成した食卓を、二人で囲んだ。
酒に頼りたかったが、カカシが今日は要らないというものだから、イルカも一人で飲むのが憚られて麦茶を出した。
食事を始めても、イルカはどうにも気がそぞろだ。
珍しくカカシが任務の話をしてくれるのに、気の利いた言葉も返せないでいる。
フォーマンセルで、少し遠くの里まで赴いたこと。湿度が低いのは良かったが、夜はその分冷えて仕方がなかったこと。年の近い面子だったからか、隊長のカカシに対しても皆口さがなくて辟易したこと。
普段なら、自分の知り得ないカカシの顔を見るようで飛びつく話題なのに、今は箸を動かすのに合わせて上下する腕の白さだったり、ものを咀嚼する口元の小さな黒子だったり、彼を彩るすべてのものに目が奪われて仕方なかった。
どうにか食べ終え、皿を洗うと申し出たカカシの背中を見ながら、イルカはどうしたものかと頭を抱えた。
このまま泊まる気らしいのは良いのだが、酒も入っていない状態ではまた変に意識してしまって、いずれ墓穴を掘りそうだ。今だってほら、Tシャツの下で隆起する筋肉の質感を無意識に見つめてしまっているし、スウェットの尻のあたりがきゅっと上がっているのがセクシーだなんて思ってしまっている。
いっそ、腹が痛いとでも言って先に寝てしまおうか。遠慮してカカシが帰ってしまえばそれはそれで助かる。
名案だ、と膝を打ったイルカに、蛇口をきゅ、と捻ったカカシが振り向いた。
「ところでイルカ先生、大事なお話があります」
「ーーーは、はい」
気づけば思わず正座していた。


卓袱台の脇に二人、膝を突き合わせている。
話があると言ったくせ、カカシは黙ったままだ。互いに床を見つめているものだから、そのうち畳に穴が空きそうだ。
盗み見たカカシの表情がいつになく固くて、イルカも緊張が高まる。いっそ叫び出したいと思ったとき、ついにカカシが口を開いた。
「イルカ先生。こないだは俺、失礼なことをしてしまって」
「い、いいんですよ、寝ぼけてたんでしょう?ちょっとしか寝られませんでしたもんね。俺も変なリアクションしてすみませんでした。起きたらイケメンが、って驚いちまって」
カカシの言葉を奪うように、早口にまくし立てる。わははと笑いながら、握った拳に力が入った。
「だからまぁ忘れましょうよ。あんなの無かったことにして、また今までみたいに仲良くしてくださいよ。あ、おにぎり大丈夫でしたか?握ってすぐ持ってったから痛んでは無かったと思うんですけど、ちょっと心配で。腹、壊しませんでした?」
「イルカ先生」
「毒にもお強いんですよね。じゃあ大丈夫だったかな、でも今度は止めておきましょうね、ああいうのはやっぱり女の子に握ってもらうのが一番ーー」
「イルカ!」
怒声に、びくりと肩が跳ねた。それきり、あれほど溢れていた言葉が紡げなくなる。イルカは音を失った唇を震わせ俯いた。
「すみません、大きな声を出して……イルカ先生?」
押し黙ったままのイルカの肩に、カカシが触れた。そこが震えているのに気づいたのか、焦ったようにぐい、と腕を引かれた。
少しだけ上がった視界が、滲んでいる。それはイルカの目に浮かんだ涙のせいだった。
「すみません……やっぱり忘れるなんて、俺ちょっと無理かも」
へへ、と笑ったつもりが、最後は涙声になる。唇はうまく持ち上がらなくて、ぐしゃりと歪んだ。
滲んだ視界の向こう、カカシが泣きそうな顔をした。どうしてあなたが、と思うより前に、強い力に抱きしめられた。
つかの間、呼吸が止まるほどの力だった。
イルカがひゅ、と喉を鳴らすとそれが緩み、今度は包み込むように抱き直される。
肩口に押し当てられたカカシの鼻が、しゅんと鳴った。
「俺だって…っ。ずっと、あなたのこと考えてた。嫌われたらどうしようって、そればっかり」
振り絞るような声だった。いつだって落ち着いて、耳に心地よく響く低い彼の声が、揺れてさえいる。
「そんなこと、あるわけない」
イルカは、震える手をカカシの背中に回した。他人が見れば、縋るようだと言うだろう必死さで。
「こんなに好き、なのに」
言葉と共に、限界まで溜まった涙がぽろりと零れた。一度溢れてしまえば、後からあとから頬に熱いものが流れていく。
いつしかイルカの指はカカシの背中に食い込み、カカシも同じだけの力でイルカを抱き返してくれた。
時折鼻をすすっているようなのは、彼もまた泣いているのかもしれない。
そうしてしばらく二人抱き合い、互いの熱が混ざりあった頃、カカシがぐ、とイルカの肩を押した。二人の間にできた隙間が寂しくて彼を見れば、少し赤らんだ目元がゆっくり、近づいてきた。
唇が、そっと触れ合う。
大事なものを分け与えるような、静かで優しい口づけだった。


触れるだけの口づけが、音を立てるほど深いものになるまで、時間はかからなかった。
不自然な体勢でいるのが辛くなった頃、カカシがおもむろにイルカを肩に担ぎ上げると、短い距離をずんずんと歩いてベッドの上にどさりと降ろした。
「ごめん、ダメかな」
断られることなど考えていないだろうに、切羽詰まったような顔をしてイルカの上に乗り上げてくる。
イルカは赤らんだ顔のまま首を振り、カカシに手を伸ばして引き寄せた。
ちゅう、と音を立てて口づけられ、口を開けばそのまま舌がにゅるりと侵入してくる。しなやかにイルカの口腔を犯すそれに己の舌を絡め、吸い、甘噛みすれば、カカシがイルカの耳の後ろをつぅと撫でるものだから、腰がびくりと震えた。すでに兆しているそこをカカシに押し付けるようになって、身体を引こうとするのに押し倒されていては逃げ場もない。
誰かとこんな風にキスするのなんて、初めてだ。段々と呼吸が苦しくなって、頭がぼうっとする。いつの間にか顔の横に投げ出していた手でカカシの肩をそっと押せば、ようやく唇が離された。
「大丈夫?」
はふはふと浅い呼吸を繰り返すイルカを、見下ろすカカシは少しも息が乱れていない。経験の差を感じて胸が妬けるが、彼の白い肌がほんのりピンク色に染まっていることに気づき、小さな嫉妬はどこかへ消えた。
はい、と頷くと、再び顔を寄せたカカシが今度は頬へ唇を落とし、そのまま顎、輪郭を伝って耳を食み、そうして首筋へと辿って行った。その間に上着の裾から侵入した手が、イルカの腹を撫でる。思わず、はぁ、と声が漏れてしまい、そうなると我慢するのは難しかった。
「あ、は、はぁっ…」
どこを触られても気持ちが良い。
割れた腹筋の隆起をなぞるようにされるだけで、ひくひくとカカシの下で身体が揺れた。襟ぐりの布をぐい、と引っ張られたかと思うと、むき出しになった首にじゅう、と吸い付かれた時にはひと際大きな声が出て、イルカは片手で口を覆った。
カカシは構わず行為を続けて、頸動脈にずるりと舌を這わせ、そこに甘く噛み付いてくる。
あ、あ、と指の間から声が零れる。たったこれだけの愛撫で、イルカの局部はひどく張り詰めていた。
「カ、カカシさん、ちょっと待って」
耐えきれず訴えると、カカシが至近距離で「ん?」とイルカを見つめる。
「俺、あ、汗臭い、から…シャワー、させてほしくて」
「これからもっと汗かくんだから、しなくていいよ」
「でも…」
「イルカ先生の匂い、俺にも嗅がせて」
にも、という言葉に普段なら引っ掛かりを感じたのだろうが、今は熱に浮かされたようで頭が追いつかない。カカシの整った顔が雄くさく笑みを浮かべるのに見とれていると、腹を撫でさすっていた手のひらがイルカの胸をぎゅう、と揉みだしたものだから、また慌てて制止する羽目になった。
「あ、あのっ、やっぱり待って!」
「まだ何か?」
「…俺、初めてだから…その、変な声、とか出るかもしれなくて…というかもう、出ちゃってるし…カカシさん萎える、かも」
最後の方は声が萎んでしまった。そうだ、男同士なのだから。つい盛り上がって押し倒したものの、肝心なところでやっぱりやめると言われたら、立ち直れそうにない。元から性的嗜好が男であるイルカとは違い、カカシは異性愛者のはずだ。
自分で言った言葉に自分で傷ついていると、頭上からはぁ、と大きなため息が落ちてきた。
やはり駄目かと上目に見上げた先では、カカシが顔を真赤にして眉間に皺を寄せていた。
「それは何なの、煽ってるわけ?」
だったらもう充分なんだけど、と言いながら、呆然とするイルカの手を取り、自分の股間に押し当ててくる。そこはイルカ同様きつく張り詰めて、スウェットの柔らかい布地を大きく持ち上げていた。
「萎えるなんて無いから。何なら人生イチ興奮してるから。だからさ、もう先生も覚悟決めてよ」
俺と、ぐずぐずになっちゃおう?
耳元でそう囁かれ、腰が砕けた。


互いに脱がし合った服が、ベッドの下でわだかまっている。
大きく開いた足の間で、銀色の髪がふさふさと揺れるのを信じられない気持ちで見ていた。
「あっ、あ、んっ」
閉じきれない口から、ひっきりなしに声が漏れる。上擦ってみっともないと自分では思うけれど、カカシが聞きたいと言うから手で覆うこともできない。
文字通り全身を舐められて、イルカの身体はべとべとだ。特に胸がひどい。散々舐めてこねくり回された乳首は赤く色づいて、てらてらと光ってすらいる。自分で弄るのとはわけが違う刺激に、胸だけで達してしまうかと思った。
現に、カカシに急所を咥えられ、一度吸われただけであっけなく射精してしまっている。カカシが口の中に吐き出されたものを躊躇いなく飲み込んだから、イルカはうわあっと叫ぶ羽目になった。
そんな、汚い、と言えば、あなたのものなら何でも欲しいだなんて真面目な顔で返され、今度は何も言えなくなってしまう。
そもそもイルカはカカシの顔にも弱いのだ。普段は右目以外隠されているものが、自分の前ではさらけ出されているというのも大きい。しかもその素顔が、幼い頃はさぞかし白皙の美少年だったんでしょうね、というものだから尚更だ。
日に焼けやすいイルカとは対象的に色の白い肌。すらりとした切れ長の瞳に、縦に走る傷さえセクシーだ。今も瞑られている左目に潜む三つの巴は未だ拝んだことが無いが、濃灰色の右目だけでもイルカを射抜いてしまうのに、両の目で見つめられたらどうなってしまうのだろうと思う。
そして、唇。傍らに黒子を携えた薄い唇が、今、イルカの雄をねぶっている。そうして、その下、だらりと垂れ下がったふぐりの更に奥に、カカシの長い指が二本、埋まっていた。
入れるのと入れられるの、どっちがいい、とカカシに聞かれた時、彼は俺はどちらでも良いけど、と言った。まさかと思い経験があるのかと問えば、無い、とけろりとした顔で言う。それにどこかほっとしながら、イルカはカカシにだけ聞こえるような小さい声で、抱かれたい、と答えた。
そうして背中に視線が突き刺さるのを感じながら、ベッドの下から秘密の小箱を取り出し、中身を見られないように素早くローションと避妊具を出した。からかわれるのを覚悟していたが、カカシは真面目な顔でそれを手に取り、優しくしますから、なんて囁いてくれたのだ。あの、低く響く声で。
じゅぽじゅぽと、わざとかと思うほど大きな音を立てて彼の唇にイルカの竿が出たり入ったりするのを、枕に預けた頭を更に持ち上げて、食い入るように見つめる。
「あぁ、あ、いやだ、あ…っ」
後孔からは、ぐちゃりと粘ついた音が立つ。カカシの指使いは巧みで、自分で慰めていた時とは比べ物にならない快感が次から次にイルカを襲った。
イイところ、は早い段階で見つかってしまった。自慰を重ねたせいでふっくらと育ってしまったそこを、カカシの指がそっと挟むだけで腰がシーツから浮いてしまう。
「いや、なの?ここはすごく締め付けてくれるけど」
しばらくぶりに顔を上げたカカシが、指は埋めたままでイルカを見つめる。一見優しそうな笑みだが、やってることは優しくない。ぐり、とボタンでも押すように抉られ、陰茎の先端からびゅっと白濁が飛んだ。
「ーーーひっ、あっ、や、やめて、無理っ」
「そんなことないでしょう。ほら、こんなに気持ちよさそうなのに」
「あーーーっ」
身を屈めたカカシにずず、と一段と強く吸われ、視界に星が散った。はくはくと開く口からは涎と、空気がひゅうっと漏れた。
どさ、と尻がシーツに落ちる音で、我に還る。腰が、随分上がっていたらしい。ずる、と後ろから指が抜かれるのが分かって、あんっなんて、甘ったれた声が飛び出した。
はーっ、はーっという呼吸音が耳にうるさい。こんな強烈な射精は初めてだった。
口淫を受けるのも初めてなのに、こんな凄いイキ方をして良いのだろうか。
しばらく天井を見つめていたら、視界にぬ、とカカシが現れた。そうして、べろりと長い舌が差し出される。イルカは躊躇わずそこへ己の舌を伸ばし、絡ませる。青臭い味は、さっきイルカが出したものに違いなかった。また、飲んだのだろうか。
口を大きく開けたまま、舌だけをにゅるにゅると合わせる。見つめ合ったままで、だ。自分の目がとろりとしているのを感じる。カカシの視線は艶っぽくて、それだけでまた後ろがずくりと疼いた。
舌が、ゆっくりと離される。二人の間に銀色の糸が引いて、ぷつりと途切れた。カカシがイルカを見下ろし、唇の端を持ち上げる。
「よかった、みたいだね」
「はい、すごく……でも、俺」
「ん?」
「カカシさんにも、気持ちよくなって欲しい」
させてください、と言えば、カカシは何を、と問い返すこともなくイルカの隣に身体を倒した。
反対にイルカが身体を起こせば、するり、と背中を撫でられぞくりと震える。
「お尻、こっちに向けてごらん。ううん、そうじゃなくて…横になって。そう。膝、立ててごらん」
カカシの言う通りに身体を動かせば、横向きに寝て、彼の股間に顔を、イルカの股間にはカカシの顔が当たる格好になる。がに股でカカシに股間を押し付けている風なのがひどく羞恥を煽って、イルカは顔をこれ以上ないほど赤くした。
「こ、これは、さすがに……」
「気持ちよくしてくれるんでしょ?でも俺も、イルカ先生を気持ちよくしたいんだもん」
だもん、じゃない。心のなかではそう思うのに、何故か逆らえなかった。
目の前に、あるもののせいかもしれない。
カカシの雄はぐんと反り返り、鍛えられた腹筋にひたりと張り付くのではと思わせた。長く、えらが張っている。使い込まれていそうなのに、ピンクがかっているせいでグロテスクに見えないのが不思議だ。
太い根本を片手で握り、先端にぷくりと浮かんだ透明の珠に、イルカは舌を這わせた。
ちろちろ、と往復すれば腔内にカカシの味が広がる。塩っ気の強い先走りは、銀色の下生えから立ち上る雄くさい匂いと合わさってイルカを陶酔させた。
そのまま亀頭にじゅう、と吸い付く。カカシがふ、と息を吐くのが足元から聞こえた。感じてくれている。それに励まされて、くびれにちろちろと舌を這わせながら唾液を垂らし、根本の滑りを良くした。ぬめる手を上下させつつ、舌先で裏筋を辿っていく。玩具と違い、血の通うそれはイルカの手の中で時折どくりと脈打ち、先端からじわりと染み出したものには白が混ざり始めた。彼にも余裕が無いらしい。
カカシはしばらくじっとして、イルカからの愛撫を楽しんでいたようだった。しかし、彼の雄竿が唾液まみれになった頃、不意に閉じかけたイルカの足をぐい、と押し開いた。そうして、ひとりでに勃起していたイルカのものをひと撫ですると、ひくつく後孔につぷりと指を突き立ててきた。
「んぅっ」
ひやりとした感覚に、鼻から声が出た。秘所にローションが継ぎ足され、空気に当たってすうすうとする。
つい閉じかけてしまった腿をぺしんと叩かれて、イルカは自ら大きく足を開いた。
「ふっ、ん、う、んっ」
カカシの雄を咥えながら、鼻から声が漏れる。見なくても、後ろがひくついているのが分かった。
窄まりを広げるように、カカシの指がぐるりと動く。それだけで腰が揺れそうになって、誤魔化すようにカカシのものを強く吸った。唇で茎を扱きながら、頬の内側の肉できゅうきゅうと包む。喉の奥にじわりと苦味が広がり、堪らない気持ちになった。
「はっ…イイよ、イルカ先生。上手だね」
しっとりと濡れたような、カカシの声。上手、と言われ嬉しかった。性具でなく本物を相手にするのは初めてだが、カカシにされたことを思い出せば自然と舌が動いた。
カリのぷるんとした肉感にうっとりとしながら、そこを唇で食む。唾液をたっぷりと垂らして先端から根本まで唇を滑らせ、重く垂れ下がる陰嚢をひとつずつ口に含んだ。腔内で転がしながら、ここに溜まった精液が自分の中に注がれることを思い、後ろをぎゅうぎゅう締め付けてしまう。むわりと濃い雄の匂いに、頭の中まで侵されるようだ。
すぅ、と鼻から大きく息を吸い込んだのが分かったのか、カカシが足元でふふ、と笑うのが聞こえた。
「イルカ先生、俺の匂い、好き?」
「好きです、すごく、好き……」
陰嚢の向こう、僅かに膨らんだ会陰に鼻先を押し付けると、こらこら、と腰を引かれてしまった。
「今日はだーめ。次たっぷり舐めさせてあげるから、今は俺にやらせて」
「はい…」
名残惜しく思いながら、カカシの股間から顔を離す。
「お尻、上げてごらん」
言われるままに、うつ伏せになって腰を高く掲げた。カカシにすべてさらけ出す格好だ。恥ずかしさはあれど、下肢にわだかまる熱をどうにかして欲しい気持ちが勝る。
「ねぇここ、ひくひくしてるの、わかる?」
尻を両側から掴んだ手が、左右に肉を広げいた。その中心でイルカの蜜壺がはくりと口を開く。
「あ、わかる、わかり、ます、から…」
早く、して。
言えば、ふぅ、とそこへ息が吹きかけられイルカは堪らずシーツに額を擦りつけた。だが次の瞬間、にゅぷりと指とは違う硬さのものが孔へ入り込むのを感じ、反射的に彼を振り向く。
「え、や、いやだ、嘘だろ…っ」
「んー?」
イルカの後孔に舌を埋めたままのカカシと目が合った。彼は僅かに頬を上げ微笑んで見せる。
「カカシ、さんっ、そんなとこ汚い、汚いからっ」
必死で訴えても、カカシは行為を止めない。ローションで濡れていたそこは彼の唾液と混じって更にぐじゅぐじゅとひどい音を立てていた。
立てた膝が震える。イルカはまた、シーツへ突っ伏した。
嫌なのに、ほとんど無意識にカカシへ尻を押し付けてしまっている。
気持ち良い、信じられないくらい。
長い舌先が、あと少しで中のしこりに触れそうで届かない。その焦れったさに頭が狂ってしまいそうだ。ひぃ、ひぃ、と食いしばった歯の間から泣き声が漏れる。シーツはよだれでべとべとになっていた。
もう、無理。そう思ったのに、カカシの舌の横からぐ、と指が挿入ってくるものだから降参を口にすることもできなかった。
縁に引っ掛けた親指が、イルカの孔をぐにぃ、と横に広げた。そうすると、舌が更に奥まで入り込む。
「だめ、だめ……あーーっ」
ついにそこへ届いた舌先が前立腺をぐり、と押して、イルカはシーツへびしゃりと精を吐き出した。
腰が落ちかけるのを、カカシがしっかり押さえているものだから快感の逃げ場がない。腹筋がびくびくと震えた。性器だけでなく内からも達してしまったらしい。全身に痺れるような快楽が広がり、指先までがじんじんと脈打っている。生理的な涙と涎、鼻水もたらりと垂れた。
ようやく後ろから手と口を離されると、イルカはベッドの上にだらりと手足を投げ出した。力が入らない。
カカシが覆いかぶさってくる。ぼさぼさになった髪に引っかかっていた紐が、はらりと解かれた。癖のついた髪が幾筋も顔にかかり、張り付く。
カカシはそれを指先で掬い、イルカの視界に入るよう、気障な仕草で口づけて見せた。
「……やりすぎ、じゃないですか」
絞り出した声は、子供がやっと泣き止んだ時のそれのようにひしゃげていた。
「ごめんね、あなたが可愛くて」
「おれ、ほんとに初めてなのに」
「うん、嬉しい」
噛み合ってないような気がするが、カカシがひどく嬉しそうな顔をしているのでまぁいいかと思ってしまう。里の誉れとまで呼ばれる男の、やに下がったこんな顔、他の誰にも見せたくない。
彼が身を起こすと、軽くなった背中が寂しかった。ぺりり、とビニールを破く音が聞こえたかと思うと、ぐい、とイルカの腰が上げられる。
「俺の、ここに入れてもいい?」
少し上擦った声に合わせて、つるりとしたものが後孔にひたりと当てられた。
「そんなの、聞かなくたってわかるでしょう…」
「イルカ先生の口から聞きたいんだよ。ね、教えて」
そんな、甘えるように言わないで欲しい。とっくに、ずっと前から欲しかったのに。
「…い、入れて、ください。俺のここに、カカシさんの大きいの…っ」
言いながら後ろに両手を伸ばし、自らぐにりと肉を割った。とても彼の顔が見れない。
カカシがふーっと、一段と大きく息を吐くのが分かった。
「本当、あなたが俺に惚れてくれてよかった…こんなところ他の奴に絶対見せたくない…っ」
ずぷり、と先端がめり込んだ。
あまりの質量に「ぬおっ」と図太い声が口から飛び出し、身体が固くなる。今までイルカの孔を通ったどの玩具よりもそれは太いように感じた。
みちみち、と縁が広がるのが分かる。襞は伸び切っているだろう。散々慣らしてもらったのに、と焦って更に筋肉が強張ってしまう。
「大丈夫?一回抜くね…じゃあ、ちょっといきんでごらん」
「いき、む?」
「そう、トイレで出す時みたいに、お尻に力入れてごらん。ね、怖がらなくていいから」
イルカを安心させるように、カカシが背中を優しく撫でた。そうされるとふっと身体から力が抜ける。イルカは尻を上げ直すと、カカシに言われた通り孔の周りにきゅうっと力を込めた。排泄するように、だ。
ひどく恥ずかしいことのように感じたのは最初だけで、カカシが再びひたりと押し当てた怒張をぬぷり、と先程よりずっとスムーズに受け入れられてからは「あ、あ、」と喘ぐのに必死で、恥ずかしさなどどこかへ消えてしまった。
時間をかけて、カカシがイルカの中にすべてを収め、背中に覆いかぶさってくる。体重を受け止めきれなくてべしゃりと上半身が崩れ、濡れたシーツに頬を擦り付けた。
はぁ、はぁ、と互いに息が上がっている。男で、初物のイルカに挿入するのはカカシにとっても気持ちが良いだけでは無いのかもしれない。
それでもこうして、全身をイルカに添わせて、心臓の音さえ聞かせてくれる彼が、本当に愛しいと思う。
目の前の白い手に、指を絡めた。
「カカシ、さん」
瞬きで涙を払い、彼を見上げた。カカシは一瞬、息を詰めたようだった。そうして、唇をきつく吸われる。イルカも舌を伸ばし、彼の口の周りをべとべとにしてやった。
「好きだよ」
耳に、唇が触れる。脳に直接染み込むような低音に、イルカはカカシの下で身を震わせた。結合部がぐじゅりと卑猥な音を立てる。
細い穴の中、長い舌がどこまでも入り込んでくるように錯覚する。口の中に差し入れられた長い指に、イルカは夢中で舌を絡めた。
穴という穴が、カカシに塞がれている。
やがてゆっくりと腰を動かしだしたカカシが、深く浅くイルカを突いてくるのに合わせて、指を咥えたまま喉の奥で喘いだ。
興奮したらしいカカシがずん、と奥へ奥へと腰を打ち付けてくるのに、次第にイルカの身体が逃げをうつ。ふやけてしまった彼の指を吐き出し、ついに頭をふった。玩具でも挿入したことが無いほど奥を切り開かれ、痛みが快楽に勝ってしまう。
「カ、カカシさ、ん、ちょっと、いた…っ」
切れ切れに訴えれば、カカシがすぐさま動きを止め、イルカを覗き込んでくる。
「ごめん、痛かった?」
こくりと頷けばまた、ごめんと言ってカカシが己のものを引き抜いた。ずるり、と抜かれて、あーっと長い声が出る。
カカシの形に開いた孔が、呼吸に合わせてぱくぱくと開いたり閉じたりを繰り返す。ぴたりと動かなくなったカカシがそれを見ているのだと思うと、恥ずかしくてぎゅうっとそこを締め付けてしまった。
イルカの息が整ったのを見計らったように、足と腰を抱えられくるり、と反転させられた。
今度はシーツに背中を預け、カカシと正面から向き合う形になる。
よいしょ、とイルカの両膝を腕に抱えたカカシが、いきり立ったままの雄を再び孔へあてがうのが見えた。どろどろに濡れているようなのは、ローションを足したからだろうか。
「今度は気持ちいいところだけ、突いてあげるからね」
恐ろしいようなことを言って、切っ先が孔に埋められる。足を大きく広げられて、膝が胸につきそうだ。自然とカカシの顔が近づいて、イルカは彼の腕を力なく押した。
「あっ、あ、やだ」
「まだ痛い?」
「違、そうじゃなくて…」
顔が見えて、恥ずかしい。
正直に告白すると、カカシのものが中でぐん、と脈打ったのが分かった。
「やっ、びくって、した」
「だから…自分が何言ってるかわかってる?」
舌打ちでもしそうな表情で見下ろされ、わけがわからなかった。
カカシは忌々しそうな顔のまま、しかし頬を赤くしてぐっと背を反らした。イルカの両脚を肩に抱えて、垂直にする。そうするとカカシの先端がぐり、とイルカの内側、弱いところを抉った。
「は……っ」
星が、散る。何度も射精させられて、それでも屹立していたイルカの雄の先端から、押し出されるように透明の雫が漏れた。
「カ、カシさん、これ、やば…い…」
「ん、気持ち良いことだけするって言ったでしょ」
止めて、という意味だったのに、カカシは腰を引くとまた、同じところへ何度も浅く打ち付けてきた。射精を伴わない絶頂に連続して襲われ、イルカは半ば叫んでしまう。
「や、やめて、やめて」
「イルカ先生のやめてはもっとして、だからなぁ」
「や、あっ、し、して、もっとしてぇっ」
「ん、りょーかい」
「あ、やだやだ、嘘つきっ」
ずんずん、と動きが早くなる。一度女のように達してしまうと身体はなかなか元に戻らない。イルカはひぃひぃとシーツを握りしめ、カカシが動くたびにびたんびたんと腹を打つ性器から精液混じりの液体を辺りにばらまいた。
「ここも気持ち良いらしいですよ、知ってた?」
カカシの手が足を伝って下に伸びる。涙で視界の悪いなかぼうっとその動きを見つめていると、カカシがするり、と撫ぜたところからぞくぞくぞくっと快感が背中に走った。内側の肉がカカシをぎゅうぎゅう締め付けるのが分かる。
「ひっ、あ、だめ、だめですこれっ」
「だから、だめなんて言ったらもっとやりたくなるんだって」
「あ、そんな、こと言ったってぇ」
親指で、双珠と孔の間のふくらみをぐにぐにと押される。それだけでも堪らないのに、カカシの剛直で中から同じ場所を潰されては敵わなかっった。
「あーっ、あーーーっ」
がくがくと全身が痙攣する。背中がシーツから大きく浮いて、頭のてっぺんだけで身体を支えたまま、射精もせずに天国を見た。
「……っ」
中で、カカシのものがびくびくと震えた。抱えられた足に彼の指が食い込んで、その痛みにすら感じてしまう。
どさり、とベッドに身体が落ちたあとも、どこかおかしくなってしまったかのように身体じゅうがびくびくと震えていた。
「気持ち、よかったねぇ」
言いながら、カカシがふわりとイルカに顔を近づけた。汗に濡れた髪を撫でて、指先で涙を拭ってくれる。浅い呼吸のまま彼の頭を引き寄せれば、蕩けるような口づけが与えられた。
じゅるじゅると下品な音を立てながら、互いの唾液を交換する。口の中に、カカシに触れられていないところなど無いように思えた。
イルカの髪を撫でていた手は、耳をくすぐり首筋を辿って、ぴんと立ち上がった乳首に引っかかる。汗でぬるりと滑るそこを、指先で弾いたりぐるりと撫でてみたり、まるで玩具のように弄られて、そのたびにイルカは鼻から甘えるような声を漏らした。
きゅ、と摘まれると合わせるように後ろを締め付けてしまって、まだ中に入ったままのカカシのものがぐんと育つのを感じる。
「ねぇ、もう一回、いい?」
至近距離で問われて、断る理由は無かった。
ぴたりと密着したまま、カカシが腰を動かす。二人の腹に挟まれて、すっかり萎れていたはずのイルカの茎もみるみる育ってくる。
「若い、よねぇ」
腰を振りながらカカシが薄く笑う。それがイルカの雄のことを指しているのだとわかり、恥ずかしさに唇を尖らせた。
「さすがに、…あっ、もう、出やしませんよ」
「そう?でも、違うのは出るかも、よ」
え、と思うと、カカシが少し背中を浮かせた。腹の間に隙間が生まれる。そこに片手を差し込んだカカシが、イルカの陰茎をぐに、と握った。
彼がにやりと笑うのに、あ、これはまずいやつだと思ったが遅かった。
親指と人差指で作った輪っかを亀頭に引っ掛けて、手のひら全体に竿が包み込まれる。そのまま遠慮なしに上下されて、あ、あ、あ、と短い喘ぎが止まらなくなった。
精液など出し切ったはずなのに、今度は身に覚えのありすぎる感覚が腹の底からそこへ集中してくるのだ。イルカの喘ぎは次第に泣き声に変わり、どうにか止めてもらいたくて縋った手は力なく、彼の腕に添えられるだけだった。
固い昂りにごりごりと腸壁を擦られながら、イルカは追い詰められていく。とても目なんて開けていられないと思うのに、カカシに包まれて真っ赤になったそこから目が離せない。
尿意が限界に達したとき、ぶしゅっと音を立てて自分の陰茎から透明の液体が勢いよく飛び出すのを、信じられない気持ちで見つめた。
二度、三度と噴水のように飛び出したそれは、イルカの顎にまでかかった。しかし覚悟していたような匂いは無い。なに、これ。疑問がそのまま声になっていたようで、「潮吹いちゃったんだよ、イルカ先生」そう話す声に混乱しながらカカシを見上げると、それはもう嬉しそうな笑顔とかちあった。
「可愛い、ずっとこんなに可愛かったっけ?」
「な、何言って…」
「なんかもう、俺までおかしくなっちゃいそう」
「お、おれ、おかしい、の」
「うん、すっごいえっちで最っ高」
やっぱり何だか、噛み合っていない気がする。それでも、汗まみれのカカシに口付けられれば、どうでも良いと思うのだ。
口づけたまま、抽挿が再開される。またぴったりと身体を合わせて、イルカは自分から足を大きく開いてより深いところまでカカシを受け入れた。踵を彼の背に回し、両手で頭を抱え込めば、世界に二人きりのような心地になる。
苦しくなって唇が離れても、互いに額と鼻をすりすりと擦りつければまつげまで触れ合いそうだ。
「あっ、あ、すごい、き、もちい…っ」
「俺も、すごいイイ…出していい?」
「出して、いっぱい出して…!」
ぎゅう、と抱きしめて請えば、カカシがイルカの足を抱え直し動きを激しくしていった。パンパンと肌がぶつかる音に混ざってぐちゅぐちゅと色んな粘液が泡立つような音が響く。耳元には二人分の荒い呼吸。遠慮なく奥にぶつけられるカカシの怒張に、イルカは声も出せずに何度も身体を震わせた。
ずん、と一段と強くカカシが腰を打ち付け、そのまま小さく身じろぎする。びくびくと熱が拍動するのに合わせて、イルカも最後の絶頂を迎えた。
しばらく互いに抱き合ったまま、ふうふうと息を荒げていた。先に調子を戻したカカシが、イルカの顔じゅうにちゅ、ちゅ、と口づけを落とす。汗も涙もちゅう、と吸い取って、ぺろりと舌先で舐めてみせた。
「イルカ先生、大好き」
「俺も……」
まだぼんやりとしたイルカに、カカシがにこりと笑ってみせた。
そうして、質量を減らした雄がずるり、と抜かれる。思わず「あんっ」なんて高い声が出てしまった。
身を起こしたカカシがその声にふふ、と口元を緩めて己のものからスキンを外した。ピンク色の薄いゴムの中に、たっぷりとした白濁が溜まっているのに目が釘付けになる。
「すごい…いっぱい出ましたね」
「イルカ先生の中が最高だったってことだよ」
ぱちん、とゴムを括ったカカシが、汗でいつもの勢いを失った髪を掻き上げながら言う。部屋の隅のくず籠にぽい、と投げて、ティッシュで股間を拭おうとする彼の手を、イルカは反射のようにぱしりと握った。
ん?とこちらを見る彼に、言葉が詰まる。だが、今しかない、と思った。
「俺、が、きれいにするから」
舐めさせて。
カカシの目が見開かれる。手にしたティッシュがはらりと落ちた。
震える脚を叱咤して起き上がり、カカシの股ぐらに顔を埋める。彼は何か言いたそうにしていたが、聞いている余裕もなかった。
くたりと力を失った陰茎を、片手で支えてはくりと咥えた。ゴムの匂いと、濃い精の匂いに頭がくらくらする。そのままじゅるりと吸い上げると、尿道に残っていた精液が口の中に吐き出された。それを喉の奥に流し込みながら、一滴も残さないようにじゅるじゅると吸い上げる。腔内で、彼のものがぐんと力を持ってきた。と、
「ちょ、ちょっと待って、また勃っちゃうから」
ぐい、と肩を押され、無理やり引き剥がされた。むぅ、と不満を表すイルカに、カカシが困ったように眉を下げた。
「すっごいエロ…いや、嬉しいんだけど、際限なくなっちゃうからさ。忘れてたけど、明日も仕事でしょ?俺も任務あるし」
言われてはたと気づく。時計に目をやれば、もう深夜に近かった。
それを自覚した途端に頭がすっと冴え、自分の痴態がまざまざと蘇りイルカはうわあっと飛び跳ねた。
が、腰の痛みにすぐ蹲る羽目になる。
「ほらほら、大人しくしてないと。ちょっと待ってて、何か飲むもの持ってくるから」
カカシは裸のままベッドを降り、ばたばたと彼にしては珍しく足音を慣らして台所へ消えていった。なんだかその後姿が浮かれているようで、イルカはまた、顔を赤くした。


「ねぇ、これからは会えない日でも、ここで俺に抱かれたこと思い出してくれる?」
カカシが、とろんとした目つきでそんなことを言う。
ベッドの脇、カカシが敷いてくれた布団の上で、二人は下着姿で身を寄せ合っていた。カカシが風呂に入れてくれたは良いのだが、ベッドの上はぐっしょり濡れていて、シーツを替えたくらいではとても寝られそうにないとの判断だった。
「そ、そんな恥ずかしいこと聞かないで下さい」
「教えてよ。ね、一人でするときも俺のこと考えてくれる?」
「それは……あの、俺…実は何度、か…」
「してくれてたの?俺のこと考えながら」
「はい…ごめんなさい…」
罪悪感を覚えて肩を竦めれば、カカシが布団の中でイルカの両手をぎゅうと握った。
「どうして謝るの、すごく嬉しいよ。今度見せてほしいな。だめ?」
「だめに決まってるでしょう…!」
「そっか、じゃあ勝手に覗いちゃおうかな」
「そ、それもだめです!」
「ふふ、りょーかい」
本当に分かってるのだろうか、カカシはにこにことして、鼻歌でも歌いそうな勢いだ。自慰を覗かれるだなんて、想像しただけでも恥ずかしい。
それ以上に恥ずかしい場面を散々見せたことを棚に上げ、イルカはカカシをじろりと睨んだ。その鼻先に、ちゅ、と小さなキスが落とされる。カカシは、思ったよりずっと甘ったるい男だった。
「でも、あなたとこうしていられるなんてねぇ……わざわざドブに嵌った甲斐もあるというもんです」
イルカの手の甲を撫でながら、カカシがしみじみと口にした。
「え、あれわざとだったんですか?」
驚いて素っ頓狂な声が出る。任務で仲間を庇ってヘドロまみれになったというから、風呂を貸したのに。
「写輪眼のカカシが本気でドブに嵌るとでも思います?」
「あ、笑ったの根に持ってますね」
「別に」
「いや、怒ってるでしょう」
怒ってないってば、とカカシが言えば言うほど唇が尖っていくようで、何だか可愛らしい。その唇をむにゅりと摘んでみれば、お返しとばかりに指をがぶりと甘噛みされて笑みが零れた。
「それでも好きなんでしょ?」
カカシが、覗き込むようにしてイルカを見る。額を隠す銀色の前髪をかきあげてやって、イルカはそこにちゅうと口づけた。
「大好きですよ」
「ふふ、俺も」
柔らかく微笑んだカカシが、繋ぎ直した手を互いの顔の間に引き寄せる。絡ませた指が、じんわり暖かかった。
「これでも考えてたんだよ、どうやったらまた家に入れてもらえるかって。みすぼらしい格好で同情でも引けば、あなた甘いからほだされてくれるでしょ」
「どんな言い草ですか」
「でもそうでしょ?」
「まぁ、そうですけど」
「ね。でも結局、俺が臭いに耐えられなくて川に飛び込んじゃったんだけどね」
「それは…皆さん驚いたでしょうね」
「引いてたんじゃない?あんま見てないけど」
同行した忍に同情してしまう。イルカは、はぁ、と小さくため息をついた。
「でも、怪我がなくてよかったです。無事で、戻ってこられたのが、俺は一番…」
言いかけて、間近にあるカカシの瞳を見つめればそこからは声にならなかった。胸の奥から熱い塊がこみ上げ、喉を焼いていく。
カカシとは置かれた立場が違う。どんなに好き合ったって、死に目に会えるとも分からない。それでも、気持ちが止められない。好きだ、こんなにも。
どちらからともなく、顔が近づく。そっと合わせた唇の間、にゅるりと舌が差し込まれたのを合図に、互いの背中に手を回した。きつく抱き合えば肌がぴたりと合わさる。
このまま一つになってしまえたらいいのに。背中の傷を撫でられて小さく喘ぎながら、イルカは叶わない願いを遠く思った。



◇◇◇



空にうろこ雲が浮いていた。
もうそんな時期か、と思いながらアカデミーの廊下を歩けば、突き当たりで手をふる人がいる。
イルカはプリントの山を抱えたまま、彼に駆け寄った。
「おかえりなさい、カカシさん」
「ただいま」
にこり、と晒された右目が弓なりになる。
「また待ち伏せしちゃった」
「あはは、報告書出すついででしょうが」
「まぁそうとも言うんだけどね」
並んで歩き出す。カカシはいつものようにポケットに手を突っ込んで、背を丸めていた。そうすると、身長がほぼ変わらなくなる。同じ位置に目線を合わせて、二人何とはなしにへへ、と笑った。
「今日は遅いの?」
「いえ、普段どおりですよ。どこで飯食いましょうねぇ」
「たまには俺んちにしようよ、用意しとくからさ」
「えっ、カカシさんの手料理ですか?期待しちゃうなぁ」
「期待しててよ、盛り付けだけは得意だから」
料理をパックから皿へ移す仕草をして、カカシが得意げに顎を上げた。もう、と肘で小突いてやると、わざと痛そうに顔をしかめてみせるのがおかしかった。
そんなことを言いながら、きっと彼はイルカのために料理を作ってくれるのだろう。素直にそう言わないのは、彼流の照れ隠しのようだった。
友達から恋人へと名前が変わっても、二人の関係は以前とあまり変わらなかった。
共に酒を飲み、馬鹿話に花を咲かせて、時おり身体を重ねる。
ある日カカシがぽつりと、思ったより何も変わらない、と呟いたのにイルカも同意した。元々居心地の良い関係だったのだ。そこにスキンシップが増え、愛おしい気持ちを隠さなくて良くなったのだから、失ったものは無いと言ってよかった。
職員室の手前で、カカシと別れる。
「では、こちらで失礼します」
「うん、後でね」
きちんと頭を下げるイルカに、カカシが手をひらひらとさせて踵を返した。その背中を少しだけ見つめた後、扉の中へ入る。自席についてプリントを置けば、隣の同僚の椅子がぎぃ、と鳴った。
「お友達と仲直りしたみたいだな」
カカシの姿は見えていないはずだが、声が聞こえていたのだろう、そんなことを言ってにやりと笑う。カカシとの仲についてはっきりと話したことは無いが、この男はうっすら察しているようだった。
「喧嘩するほどって言うだろ?」
にやり、と同じ笑みを返して言えば、まぁな、とそれ以上詮索しようとしないのが彼の良いところだ。
背もたれを反らしてうーんと伸びをした同僚が、生徒の答案にぼんやりと視線を落とした。
「あーあ、俺も彼女ほしー」
「案外近くにいるかもしれないぞ、友達の中なんかにさ」
「そううまくいくかよ、お前じゃないんだから」
イルカを見ないままそう言って、紙に赤ペンを走らせる。俺も大変だったんだぞ、と心の中だけで言い返して、イルカもまた採点にかかる。
半分ほど片付けたところで、廊下からばたばたと子ども達の足音が近づくのが聞こえた。
「イルカせんせー」
大きな声に振り向けば、何故か顔中をすすだらけにした生徒たちが三人並んでべそをかいている。
「お前らなぁ」
席を立ち、服の袖で顔を拭ってやりながら三人を連れ出した。次々に喋りだす彼らから事情を聞いて、とりあえずは保健室かと算段する。
こりゃあ遅くなりそうだ、とカカシの顔を思い浮かべ、生徒に分からないようにこっそりため息をついた。後で式に伝言をしたためよう。それでもきっと、カカシは迎えに来るだろう。イルカに限っては少し過保護なところのある人なのだ。
廊下の窓からは少し柔らかくなった日が差し込んでいた。
何でも無い日常が、また続いていく。





End