2023/6/25「かかっているのは恋の術JB2023」の無配です。
タロットモチーフの公式グッズより、世界(カカシ)×教皇(イルカ)のパラレル。
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「——はぁっ」
己の身の内、およそ他人へ言えない場所へ指を埋めたまま、イルカは熱い吐息を漏らした。
身体がおかしい。あの男が住み着くようになってから、明らかにイルカの身体は変化していた。
どんな豊満な美女を見ても反応しなかった陰茎が夜ごと濡れ、浅ましく立ち上がる。それだけではない。それまで一度も直接触れたことのなかった不浄の孔が疼いて堪らないのだ。
神への奉仕に生きると決めた身だ。どんな誘惑にも打ち勝ってきた。酒も煙草も色もイルカの生活には無縁だった。
この小さな村の丘の上、先代から受け継いだ古い教会を守るために人生を費やしてきたイルカだ。こんな、毎夜ベッドの上で裸体を晒し、身をくねらせる経験などついぞない。
幼い頃に両親を亡くしたイルカを拾ってくれた好々爺。鼻に傷のある、生意気なイルカを育て、跡を継げるよう聖職につけてくれたその恩師の、葬儀に突然現れた銀髪の男。
あの男に見つめられた途端、どくりと心臓が跳ねた。めまいすら覚え、何かの病気を疑ったほどだ。
行くあてが無いという男に教会の空き部屋を貸し、生活を共にするようになってからだ。こんなおかしなことになったのは。
あの男—名を問えば、はたけカカシと名乗った。
随分な名前だと怪訝に思ったのがわかったのか、男は自分など畑に立つ案山子のようなものだと笑ってみせた。その、人を煙に巻くような笑みにイルカだけでなく、教会員や村人も皆頷くしかなかったのだ。今思えば、あの時から異変は始まっていたのかもしれない。
男はイルカが開く教会学校で子どもたちに外の世界の話を教えてくれた。閉鎖的な村にある子供らは、イルカの説く神の教えそっちのけでカカシの話を夢中で聞いた。いつだかは農婦たちまで聞きに来て、珍しそうに目を輝かせていた。
子どもたちがイルカを先生、と呼ぶのを気に入ったのか、男もイルカをそう呼んだ。
イルカは男の名を呼び捨てるように請われたが、さん、をつけることで落ち着いた。同じ年頃の友人ができたようで面映ゆく、じんわりと嬉しい思いになったのは記憶に新しい。
知力だけでなく、男は体力にも恵まれていた。水車小屋が壊れたと聞けば自ら修理に赴き、他国の工法だと言ってより堅牢に補修してくれた。
一度だけ水浴びをしている場面を見たことがある。普段のゆったりした衣服の下には驚くほど鍛え抜かれた肉体が隠れていた。イルカも畑仕事をする手前それなりに鍛えてはいるものの、カカシのそれとは比べるべくもない。
男は畑仕事もよく手伝ったが、どの時でも顔の下半分を覆う異様な黒布だけは外さなかった。
左目の上に刀傷のある男だ。もっとひどい傷でもあるのだろうと、イルカを始め善良な村人は彼の素顔を暴こうとは決してしなかったが、それも普通ではないのではないだろうか。
もし、村を離れて修行に出ている教え子たちが居れば、この村の異様な状況に気づいてくれるだろうか。
彼らは村を出ることをずいぶん悩み、残るイルカを心配してくれたけれど、背中を押した自分がこのような状況にあると知ったらそれみたことかと怒るだろうか。
ひとまず、明日手紙を出してみよう。いや、いっそ川向こうの町まで出て警吏を連れてこようか。
とにかく異様なのだ。あの男が来てから、この村には争いのひとつも無くなった。懺悔に訪れる者もいない。それどころか、愛らしくイルカにまとわりついていた子供らも学校のあとは自分の家に籠もって勉強三昧だというではないか。
昼間、そうイルカに言う農婦へ「それは良かった」と言ったのは果たして自分の口から出た言葉だっただろうか。
操られている。
浮かんだひとつの答えに、一気に冷や汗が噴き出す。
「だめ、だ、こんなこと」
必死の思いで後孔から指を引き抜く。
三本の指にまとわりついた粘液をシーツに擦りつけ、陰茎をきつく勃起させたままベッドを這うようにして枕元のロザリオに手を伸ばした。
先代の形見でもあるロザリオがどうしてこんなところにあるのだ。肌身離さず身につけているはずなのに。
どうにかロザリオを掴んで室内を見渡せば、いつも寝所で着ているはずの木綿地の寝巻きは床に落ち、毎夜欠かさず読む聖書は机の隅へ乱雑に積まれていた。
違う。あれは本棚の上から三段目、左端に入れなければいけないのに。先代からそうきつく教えられていたのに—。
先代。
そうだ、あの男を一度見たことがある。イルカがまだこの教会へ引き取られて浅い頃、先代と門扉のところで口論をしていた。一瞬目が合って、微笑まれたのが妙に恐ろしくすぐに顔を引っ込めてしまったけれど。
珍しく先代が声を荒らげていたし、怖い顔をしていたので記憶に残っていたのだ。どうして今まで忘れていたのだろう。
あの男は—思い出してぞっとする。あの男は、今とまったく風貌が変わっていないのではないか。
銀色の髪、白い肌に真っ黒な口布。深い緑衣のマントすらもまったく色褪せず、今と同じなのではないか。
全身がぞくぞくと粟立つ。指先が震え、歯が鳴る。
俺は、いったい何と暮らしているのだ。
この、教会で。
「—せんせ? イルカ先生、どうかしましたか」
扉の外からふいにかけられた声に、文字通り身体が跳ねた。
ひ、と呟き後退るが、イルカの背に当たったのは硬い鉄のフレームだけだった。
「な、なんでもありません」
震える声で返事をする。
「そんなことないでしょう。開けてください。あなたが心配なんです」
やめろ、やめてくれ。
両手で耳を塞いで膝を曲げる。これ以上ないほど拒絶しても、イルカの中では扉を開けなければと強迫に近い思いが膨らんでいく。
「ほら、私を困らせないで」
「だっ、だめです! 開けられません。出て行ってください、頼む、この村から出て行ってくれ……!」
扉に向かって叫ぶ。冷たい汗がこめかみから顎へと滑り落ちていった。
そのまま、二、三秒だろうか。
「ははっ!」
場に不似合いな哄笑が響いた。直接頭に響き渡るようなそれに一層身を縮めたイルカは、次の瞬間信じられない光景を目にする。
「だめじゃないの」
扉が
「イルカ先生」
ひとりでに開いた。
「あっ、あっ、あんっ、あぁんっ」
「すごいね、締め付け。きつくて、熱くて……俺のために処女を守ってくれたんだね。嬉しいよ、俺の可愛いイルカ」
「あ、あ……んおおぉっ!」
ずぐりと奥を穿たれ、また絶頂する。
カカシと密着した腹の間はイルカの吐き出したものでぬかるみ、ひどい音を立てていた。
あの時、勝手に開いた扉の向こうから現れたカカシは当然のようにイルカを押し倒し、純潔を散らした。
そうして覆い被さったまま、もう何度もイルカの中に精を放っている。
初めて口布を外し、裸体を晒した男はひどく美しかった。彼の肉体自体が完成された彫刻のようで、なぜ自分のような野暮ったい男を組み敷くのか理解ができない。
すらりと通った鼻筋、薄い桃色の唇の下にある艶黒子。どんな婦女子だろうと虜にできるだろうに、なぜ、自分を。
今が何時なのかもわからない。相当な時間行為に及んでいる気がするが、月明かりはなぜかずっと同じ角度で二人を照らしていた。
身体をふたつに折り曲げられ、真上から貫かれて息が苦しい。それなのにイルカの後孔は自分でもわかるほど貪欲にカカシの男根を締め付け、奥へ奥へと呑み込もうとしていた。
もう、何度絶頂させられたのかも知れない。
男の乳など何の役にも立たないと思っていたのが嘘のように、乳首を執拗に嬲られて射精させられた。今もぴん、と勃つ二揃いのそれは弄られすぎて真っ赤に腫れ、気まぐれにカカシに弾かれてはイルカを喘がせた。
唾液も涙も鼻水もすべてカカシに吸い取られ、男の吐き出す精液はすべて口か尻で飲み込まされる。
イルカもまたカカシの腔内で何度も吐精させられた。初めて味わう快感に恐ろしさを覚えたのは一瞬で、気づけばカカシの頭を両手で抱えて腰を振りたくっていた。
狂いそうなほど気持ちがいい。
この世にこんな快楽があったのか。知らなかったなど、なんて勿体ないことをしていたのだろう。
「ねえ、イルカ。幸せだと思わない? 俺とお前と、二人ならなんだってできるよ。世界を変えてみないかい」
「せか、い」
「ふふ……そうさ。お前の声で呼ばれたら格別だね」
「な、にをっ、うあ、んあぁっ」
カカシが砲身を引き抜く。雁首が抜けるぎりぎりまで引き抜かれたかと思うと、覚えさせられたばかりの弱い場所をその切っ先が抉った。
足の指まで痺れるような強烈な快感に仰け反りかけたイルカを、カカシがきつく掻き抱いた。
「あぁ……! ずっとこうしたかった。あの爺が邪魔さえしなければもっと早く繋がれたのに。忌々しい。しかもお前一人を護るのに三枚ものカードを付けていたとはね。あの爺も中々侮れない」
ぶつぶつと耳元で囁かれる言葉は呪詛にも似て、イルカの瞳からは勝手に涙が溢れた。何の話かまったく分からないのに、恐れと不安、どうしようもない憤りがイルカの中で渦巻いていく。
「い、や……あ、ぐ、ふぅ……っ」
奥深くを突かれて身体が強ばる。これ以上受け入れられないと思うのに、そこを突かれるとつきりと刺す痛みにも似た快感が脳天にまで届いた。
無理な姿勢で密着し、男の下生えが会陰すら刺激する。涙を流すイルカをよそに、カカシは言葉を紡ぎ続けた。
「小憎たらしいガキどももやっと巣立って行った。ねえイルカ、あいつらはお前より〝世界の危機〟を取ったんだ。そうそう戻っては来ないだろう。俺がそうしておいたから。イルカ、置いて行かれて可哀想に。けれどもう心配は無いよ。イルカ、俺と一緒に行こう。〝世界〟を変えよう」
漆黒の瞳が至近距離からイルカを見つめる。何故だろう。名を連呼されるたび、傷のある左の瞳がだんだんと紅く燃えて見えた。
頭がぐわんと揺れる。そのまま「はい」と発しかけた時、頭の中で誰かの声が響いた。
—駄目だ。行かせない。
どこかで聞いた、懐かしい声。少年から青年へ変わろうとする、意思の強い—そうだ、あれは—
「ナルト」
その名を口にした瞬間、カカシの動きがぴたりと止まった。
ほとんど真紅に近かった左目が急速に色を失い、カカシが眉を寄せてそこを押さえた。
「ちっ、〝皇帝〟め—」
男の、手の隙間から赤いものが滲む。血だ。
それを見た途端、イルカの中で何かが弾け、一気に思考が開けた。頭の中に次々浮かぶ言葉。自分の本当の名、かつて先代から聞いた世界の仕組み、自分に託されたナルト、サスケ、サクラ。三人の子供らの使命—。
「あ、なたが〝世界〟か」
腹の底から響くような声が出る。
カカシが、じいとイルカを見下ろした。
「あぁ、あと少しだったのに」
つまらない。
そう言ってのけた男は、左目を覆う手を外した。額から瞼を通り、頬にかけて伸びる傷がくぱりと開き、真っ赤な血が滴り落ちている。
思わず息を呑むイルカへ、男の手が伸びた。
「やめろっ」
突き飛ばそうとして、己の身体がぴくりとも動かないことに気づく。見えない鎖に拘束されているかのようだった。
「イルカ」
血をまとったカカシの指が、イルカの頬に触れた。
「これで終わりと思わないでよ」
そのまま鼻傷を辿り、離れる。カカシの血液を塗られたのだ。途端、燃えるような痛みが走る。
「ぐああぁっ」
動けない全身を駆けるように広がった痛みは、しかし背中で止まった。かつて子供を—ナルトを暴漢から庇って負った傷のある場所だ。
「—本当に、まあ、忌々しい」
カカシが顔を顰める。見れば、あれほど顔を汚していた血は見る影もなく消えていた。くぱりと開いていたはずの傷も、元通りだ。
衝撃的な痛みが去ってなお、イルカの息は荒い。本能的な恐怖に歯の根が鳴る。
一体、この男は—〝世界〟は何が目的なのだろう。
未だこの身体を貫いたまま、どうしようと言うのだろう。
「あなたは、一体—」
震える声で問う。気づけば、身体が動かせるようになっていた。しかし、押しても引いてもこの男、ぴくりともしない。
イルカは大きく股を開き、秘部を天へ向けて男を咥えこんだままだ。
「あっ」
繋がった場所で、男根がゆっくりと引き抜かれる。
口の端を皮肉に曲げて、カカシが萎えきったイルカの陰茎を手のひらに包んだ。
「や、めて」
巧みに扱かれ、それはみるみる芯を取り戻す。扱かれながら浅い場所を繰り返し小突かれてしまえば、イルカの口からあ、あ、と情けない喘ぎが漏れた。
「イルカ」
「ひっ」
男の爪が鈴口を抉る。鋭い痛みの後、じわじわと言いようのない快楽が込み上げてきた。
「俺はお前を手に入れる。必ずだ。いいね」
「やっ、あ、ひ……っいや、やめ、やめろ、うあっ、ああぁっ!」
先端の丸みだけを手のひらで執拗にこねくり回され、必死に暴れるがこの体勢ではどうにもならない。イルカは足をばたつかせ、カカシの肩へ短い爪を食い込ませて陰茎から潮を吹き上げた。
「う、あ……うおっ」
痙攣する肉壁が一気に奥まで貫かれる。びくん、びくんと全身が跳ね、何かに縋るように目の前の身体へしがみついた。
「ああ、イルカ、イルカ……!」
感極まった声で男が言う。傍から見れば恋人同志のように抱き合いながら、イルカは肉体の奥深くまでカカシを受け入れさせられた。
「おっ、うぐぅっ、んおっ、おぉっ」
「可愛い、可愛い、愛しているよ。俺のイルカ、俺の✕✕!」
「な、なに……んおぉっ! も、もう、入らな……あっ、あ……っ!」
ぐぽり、と身体の中で音がしたかのようだった。
目の前が一瞬白く光り、その次の瞬間、マグマのような快楽がイルカを襲う。だのに、唇はわななくばかりで声も出せない。
下肢からしゃあしゃあと聞こえる音はイルカの漏らしたそれだったが、腹を辿って胸まで届いた黄金にも、汚いだとか恥ずかしいとか感じることもできなかった。
イルカを掻き抱いたまま、カカシが腰を蠢かせる。閉じていなければいけない場所でぐぽぐぽと抜き差しを繰り返し、イルカ、イルカと呪いのように名を呼んだ。時折、濁ったような、異国語のような言葉が聞こえるが、今のイルカにはそれを気に留めることもできなかった。
「か……、は、あぁ……」
揺さぶられ、呼吸をすることがやっとだ。カカシのたくましい身体にしがみつき、唇を吸われ、注ぎ込まれた唾液を飲み込む。
絶頂の感覚が短くなり、ひと突きされるごとに達しているような気すらした。カカシの男根も何故か最初より大きさを増しているようで、肉壁を擦られると堪らない。
ささやかな蕾だったイルカの後孔は今や真っ赤に色づき、これ以上ないほどみっちりとカカシを咥えこんでいた。
「ああ、ああ、イルカ、愛しているよ。俺を忘れてはいけないよ。いいね。必ず迎えに来てやるから。ああ、イルカ……!」
一方的にまくしたて、カカシが二、三度びくりと身体を震わせた。奥深くに熱いものが広がるのを感じる。
「あ、あ……」
強く抱かれて息が詰まる。薄く開いた口をかぶりつくようにして奪われ、舌の付け根までをも舐め回された。
長い口づけからやっと開放されたかと思うと、顔中に唇を押し当てられる。続けて乳首や陰茎、閉じきらない後孔までをも舌と指で嬲られ続けた。
月はずっと同じ角度で二人を照らしている。
イルカが意識を保っていられたのは尿道に何かを差し込まれたところまでだった。
「—先生、イルカ先生!」
布団の上から身体を叩かれ、イルカは飛び起きた。
「え、あ……」
周囲を見渡す。いつもの石壁、小さな窓、整頓された本棚。何の変わりもない、自分の部屋だった。
「ちょっと、先生ってば!」
急かす声をよそにばさりと布団を捲る。真っ白なシーツには一点の染みもなく、自身もまた常のごとく質素な木綿の寝間着に身を包んでいた。首元まできっちりと止まったボタン、乱れのない下穿き。
再び顔を上げて室内を見回す。ベッドの側に立っていたのは、教会の管理を手伝ってくれるいつもの農婦だった。恰幅の良い、二児の母だ。その農婦、マーラが怪訝そうにイルカを覗き込んだ。
「先生? どうしたんです。何だか変ですよ。部屋の鍵も開いてたし、無用心じゃないですか」
「い、いや……ちょっと、疲れていたみたいです。もう平気ですから」
「そうですか? じゃあとっとと起きちゃって下さい。もう子どもたち来てますよ!」
「えっ? もうそんな時間? うわ、本当だ。急がないと」
珍しいこともあるものだと笑う農婦に、着替えるからと部屋を出てもらう。
一人きりになって、イルカは改めてこの部屋をまじまじと見た。
乱雑に積まれていたはずの聖書はきちんと棚に戻り、ロザリオは首へかかっている。二人の体液で散々濡れ、汚れたはずのシーツもベッドもいつもの通りきれいなものだ。
おかしい。あれは夢だったのか?
そこまで考えてベッドを下りたところで、う、とよろめく。
尻の孔が、じんと疼いた。
まさか、と下着の中へ手を入れおそるおそる確かめるが、あの男に吐き出されたものは残っていないようだった。ただ、熱を持って腫れているのは確かだ。陰茎も、先端がひりつくような気がした。
小さな鏡を手に取る。そっと覗き込んだ顔には、目の下にいつもより濃い隈が見えたが、鼻傷に血痕などついていない。
あの男に散々嬲られた痕跡の一切が消えている。あんな長い時間苛まれたというのに、まるで辻褄が合わない。あの男、あの—。
名前が、思い出せない。
それどころか、人相すら覚束なかった。
銀髪で、顔に傷があったはずだ。だが、思い出そうとしてもぼんやりとして、うまく像を結ばない。
いったい、どういう—
「せーんせー!」
階下から子どもたちの声が響く。イルカははっと顔を上げ、「今行く」とどうにか声を張り上げた。
授業を終えた子どもたちが教会の表で清掃活動という名の遊びに興じる間、イルカは台所で遅い朝食を兼ねた昼食を摂っていた。
今朝採れたものだから、とマーラが用意してくれた野菜たっぷりの皿にフォークを刺しながら、細々とした家事を手伝ってくれる農婦の背中をぼんやりと見つめる。
子供たちが遊びに夢中でちっとも勉強しない、と嘆く彼女へそれは健全なことだと返す傍ら、そっと戸棚を見る。あの男が使っていたはずの食器は、今朝になって割れていた。
「マーラさん、水車小屋の修理はどうなりましたか」
「ああ、あれならもう直りましたよ。前よりずいぶん立派になって、嵐が来ても当分は壊れませんわ」
「そうですか。—誰が修理してくれたのでしたっけ」
「いやだねぇ先生、うちの旦那じゃありませんか。旅の人から良いやり方を聞いたって、張り切っちまって。あのひとにあんなことができたとはねぇ」
わはは、と豪快に笑うマーラへ、そうでしたね、と微笑んで返す。
一事が万事この調子だった。
皆、あの男のことを忘れている。
子どもたちもそうだった。イルカに代わって難しい数学や、村の外のことを教えてくれたあの男の存在を知らないと言った。すべて、イルカが教えたことになっているのだ。あんなに何度も遊んでいたのに、すっぽりと記憶から消えている。
かくいうイルカも、朝よりも男のことが思い出せなくなっていた。傷がどこにあったのか、そもそも傷などあったのか。ただ、陽の光にきらきらと煌めく銀の髪だけが記憶に鮮やかだ。
すべての痕跡を消して村を去った男は、どこへ行ったのだろう。
『必ず迎えに来る』
頭の中で言葉が響く。低く、耳の底を撫でるその声に引きずられるかのように、腹の奥がずくりと疼いた。
終
↑の画像は無配のあとがきなんですが、拡大できない場合はお手数ですがpixivでご覧ください。ごめんね。
タロットモチーフの公式グッズより、世界(カカシ)×教皇(イルカ)のパラレル。
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「——はぁっ」
己の身の内、およそ他人へ言えない場所へ指を埋めたまま、イルカは熱い吐息を漏らした。
身体がおかしい。あの男が住み着くようになってから、明らかにイルカの身体は変化していた。
どんな豊満な美女を見ても反応しなかった陰茎が夜ごと濡れ、浅ましく立ち上がる。それだけではない。それまで一度も直接触れたことのなかった不浄の孔が疼いて堪らないのだ。
神への奉仕に生きると決めた身だ。どんな誘惑にも打ち勝ってきた。酒も煙草も色もイルカの生活には無縁だった。
この小さな村の丘の上、先代から受け継いだ古い教会を守るために人生を費やしてきたイルカだ。こんな、毎夜ベッドの上で裸体を晒し、身をくねらせる経験などついぞない。
幼い頃に両親を亡くしたイルカを拾ってくれた好々爺。鼻に傷のある、生意気なイルカを育て、跡を継げるよう聖職につけてくれたその恩師の、葬儀に突然現れた銀髪の男。
あの男に見つめられた途端、どくりと心臓が跳ねた。めまいすら覚え、何かの病気を疑ったほどだ。
行くあてが無いという男に教会の空き部屋を貸し、生活を共にするようになってからだ。こんなおかしなことになったのは。
あの男—名を問えば、はたけカカシと名乗った。
随分な名前だと怪訝に思ったのがわかったのか、男は自分など畑に立つ案山子のようなものだと笑ってみせた。その、人を煙に巻くような笑みにイルカだけでなく、教会員や村人も皆頷くしかなかったのだ。今思えば、あの時から異変は始まっていたのかもしれない。
男はイルカが開く教会学校で子どもたちに外の世界の話を教えてくれた。閉鎖的な村にある子供らは、イルカの説く神の教えそっちのけでカカシの話を夢中で聞いた。いつだかは農婦たちまで聞きに来て、珍しそうに目を輝かせていた。
子どもたちがイルカを先生、と呼ぶのを気に入ったのか、男もイルカをそう呼んだ。
イルカは男の名を呼び捨てるように請われたが、さん、をつけることで落ち着いた。同じ年頃の友人ができたようで面映ゆく、じんわりと嬉しい思いになったのは記憶に新しい。
知力だけでなく、男は体力にも恵まれていた。水車小屋が壊れたと聞けば自ら修理に赴き、他国の工法だと言ってより堅牢に補修してくれた。
一度だけ水浴びをしている場面を見たことがある。普段のゆったりした衣服の下には驚くほど鍛え抜かれた肉体が隠れていた。イルカも畑仕事をする手前それなりに鍛えてはいるものの、カカシのそれとは比べるべくもない。
男は畑仕事もよく手伝ったが、どの時でも顔の下半分を覆う異様な黒布だけは外さなかった。
左目の上に刀傷のある男だ。もっとひどい傷でもあるのだろうと、イルカを始め善良な村人は彼の素顔を暴こうとは決してしなかったが、それも普通ではないのではないだろうか。
もし、村を離れて修行に出ている教え子たちが居れば、この村の異様な状況に気づいてくれるだろうか。
彼らは村を出ることをずいぶん悩み、残るイルカを心配してくれたけれど、背中を押した自分がこのような状況にあると知ったらそれみたことかと怒るだろうか。
ひとまず、明日手紙を出してみよう。いや、いっそ川向こうの町まで出て警吏を連れてこようか。
とにかく異様なのだ。あの男が来てから、この村には争いのひとつも無くなった。懺悔に訪れる者もいない。それどころか、愛らしくイルカにまとわりついていた子供らも学校のあとは自分の家に籠もって勉強三昧だというではないか。
昼間、そうイルカに言う農婦へ「それは良かった」と言ったのは果たして自分の口から出た言葉だっただろうか。
操られている。
浮かんだひとつの答えに、一気に冷や汗が噴き出す。
「だめ、だ、こんなこと」
必死の思いで後孔から指を引き抜く。
三本の指にまとわりついた粘液をシーツに擦りつけ、陰茎をきつく勃起させたままベッドを這うようにして枕元のロザリオに手を伸ばした。
先代の形見でもあるロザリオがどうしてこんなところにあるのだ。肌身離さず身につけているはずなのに。
どうにかロザリオを掴んで室内を見渡せば、いつも寝所で着ているはずの木綿地の寝巻きは床に落ち、毎夜欠かさず読む聖書は机の隅へ乱雑に積まれていた。
違う。あれは本棚の上から三段目、左端に入れなければいけないのに。先代からそうきつく教えられていたのに—。
先代。
そうだ、あの男を一度見たことがある。イルカがまだこの教会へ引き取られて浅い頃、先代と門扉のところで口論をしていた。一瞬目が合って、微笑まれたのが妙に恐ろしくすぐに顔を引っ込めてしまったけれど。
珍しく先代が声を荒らげていたし、怖い顔をしていたので記憶に残っていたのだ。どうして今まで忘れていたのだろう。
あの男は—思い出してぞっとする。あの男は、今とまったく風貌が変わっていないのではないか。
銀色の髪、白い肌に真っ黒な口布。深い緑衣のマントすらもまったく色褪せず、今と同じなのではないか。
全身がぞくぞくと粟立つ。指先が震え、歯が鳴る。
俺は、いったい何と暮らしているのだ。
この、教会で。
「—せんせ? イルカ先生、どうかしましたか」
扉の外からふいにかけられた声に、文字通り身体が跳ねた。
ひ、と呟き後退るが、イルカの背に当たったのは硬い鉄のフレームだけだった。
「な、なんでもありません」
震える声で返事をする。
「そんなことないでしょう。開けてください。あなたが心配なんです」
やめろ、やめてくれ。
両手で耳を塞いで膝を曲げる。これ以上ないほど拒絶しても、イルカの中では扉を開けなければと強迫に近い思いが膨らんでいく。
「ほら、私を困らせないで」
「だっ、だめです! 開けられません。出て行ってください、頼む、この村から出て行ってくれ……!」
扉に向かって叫ぶ。冷たい汗がこめかみから顎へと滑り落ちていった。
そのまま、二、三秒だろうか。
「ははっ!」
場に不似合いな哄笑が響いた。直接頭に響き渡るようなそれに一層身を縮めたイルカは、次の瞬間信じられない光景を目にする。
「だめじゃないの」
扉が
「イルカ先生」
ひとりでに開いた。
「あっ、あっ、あんっ、あぁんっ」
「すごいね、締め付け。きつくて、熱くて……俺のために処女を守ってくれたんだね。嬉しいよ、俺の可愛いイルカ」
「あ、あ……んおおぉっ!」
ずぐりと奥を穿たれ、また絶頂する。
カカシと密着した腹の間はイルカの吐き出したものでぬかるみ、ひどい音を立てていた。
あの時、勝手に開いた扉の向こうから現れたカカシは当然のようにイルカを押し倒し、純潔を散らした。
そうして覆い被さったまま、もう何度もイルカの中に精を放っている。
初めて口布を外し、裸体を晒した男はひどく美しかった。彼の肉体自体が完成された彫刻のようで、なぜ自分のような野暮ったい男を組み敷くのか理解ができない。
すらりと通った鼻筋、薄い桃色の唇の下にある艶黒子。どんな婦女子だろうと虜にできるだろうに、なぜ、自分を。
今が何時なのかもわからない。相当な時間行為に及んでいる気がするが、月明かりはなぜかずっと同じ角度で二人を照らしていた。
身体をふたつに折り曲げられ、真上から貫かれて息が苦しい。それなのにイルカの後孔は自分でもわかるほど貪欲にカカシの男根を締め付け、奥へ奥へと呑み込もうとしていた。
もう、何度絶頂させられたのかも知れない。
男の乳など何の役にも立たないと思っていたのが嘘のように、乳首を執拗に嬲られて射精させられた。今もぴん、と勃つ二揃いのそれは弄られすぎて真っ赤に腫れ、気まぐれにカカシに弾かれてはイルカを喘がせた。
唾液も涙も鼻水もすべてカカシに吸い取られ、男の吐き出す精液はすべて口か尻で飲み込まされる。
イルカもまたカカシの腔内で何度も吐精させられた。初めて味わう快感に恐ろしさを覚えたのは一瞬で、気づけばカカシの頭を両手で抱えて腰を振りたくっていた。
狂いそうなほど気持ちがいい。
この世にこんな快楽があったのか。知らなかったなど、なんて勿体ないことをしていたのだろう。
「ねえ、イルカ。幸せだと思わない? 俺とお前と、二人ならなんだってできるよ。世界を変えてみないかい」
「せか、い」
「ふふ……そうさ。お前の声で呼ばれたら格別だね」
「な、にをっ、うあ、んあぁっ」
カカシが砲身を引き抜く。雁首が抜けるぎりぎりまで引き抜かれたかと思うと、覚えさせられたばかりの弱い場所をその切っ先が抉った。
足の指まで痺れるような強烈な快感に仰け反りかけたイルカを、カカシがきつく掻き抱いた。
「あぁ……! ずっとこうしたかった。あの爺が邪魔さえしなければもっと早く繋がれたのに。忌々しい。しかもお前一人を護るのに三枚ものカードを付けていたとはね。あの爺も中々侮れない」
ぶつぶつと耳元で囁かれる言葉は呪詛にも似て、イルカの瞳からは勝手に涙が溢れた。何の話かまったく分からないのに、恐れと不安、どうしようもない憤りがイルカの中で渦巻いていく。
「い、や……あ、ぐ、ふぅ……っ」
奥深くを突かれて身体が強ばる。これ以上受け入れられないと思うのに、そこを突かれるとつきりと刺す痛みにも似た快感が脳天にまで届いた。
無理な姿勢で密着し、男の下生えが会陰すら刺激する。涙を流すイルカをよそに、カカシは言葉を紡ぎ続けた。
「小憎たらしいガキどももやっと巣立って行った。ねえイルカ、あいつらはお前より〝世界の危機〟を取ったんだ。そうそう戻っては来ないだろう。俺がそうしておいたから。イルカ、置いて行かれて可哀想に。けれどもう心配は無いよ。イルカ、俺と一緒に行こう。〝世界〟を変えよう」
漆黒の瞳が至近距離からイルカを見つめる。何故だろう。名を連呼されるたび、傷のある左の瞳がだんだんと紅く燃えて見えた。
頭がぐわんと揺れる。そのまま「はい」と発しかけた時、頭の中で誰かの声が響いた。
—駄目だ。行かせない。
どこかで聞いた、懐かしい声。少年から青年へ変わろうとする、意思の強い—そうだ、あれは—
「ナルト」
その名を口にした瞬間、カカシの動きがぴたりと止まった。
ほとんど真紅に近かった左目が急速に色を失い、カカシが眉を寄せてそこを押さえた。
「ちっ、〝皇帝〟め—」
男の、手の隙間から赤いものが滲む。血だ。
それを見た途端、イルカの中で何かが弾け、一気に思考が開けた。頭の中に次々浮かぶ言葉。自分の本当の名、かつて先代から聞いた世界の仕組み、自分に託されたナルト、サスケ、サクラ。三人の子供らの使命—。
「あ、なたが〝世界〟か」
腹の底から響くような声が出る。
カカシが、じいとイルカを見下ろした。
「あぁ、あと少しだったのに」
つまらない。
そう言ってのけた男は、左目を覆う手を外した。額から瞼を通り、頬にかけて伸びる傷がくぱりと開き、真っ赤な血が滴り落ちている。
思わず息を呑むイルカへ、男の手が伸びた。
「やめろっ」
突き飛ばそうとして、己の身体がぴくりとも動かないことに気づく。見えない鎖に拘束されているかのようだった。
「イルカ」
血をまとったカカシの指が、イルカの頬に触れた。
「これで終わりと思わないでよ」
そのまま鼻傷を辿り、離れる。カカシの血液を塗られたのだ。途端、燃えるような痛みが走る。
「ぐああぁっ」
動けない全身を駆けるように広がった痛みは、しかし背中で止まった。かつて子供を—ナルトを暴漢から庇って負った傷のある場所だ。
「—本当に、まあ、忌々しい」
カカシが顔を顰める。見れば、あれほど顔を汚していた血は見る影もなく消えていた。くぱりと開いていたはずの傷も、元通りだ。
衝撃的な痛みが去ってなお、イルカの息は荒い。本能的な恐怖に歯の根が鳴る。
一体、この男は—〝世界〟は何が目的なのだろう。
未だこの身体を貫いたまま、どうしようと言うのだろう。
「あなたは、一体—」
震える声で問う。気づけば、身体が動かせるようになっていた。しかし、押しても引いてもこの男、ぴくりともしない。
イルカは大きく股を開き、秘部を天へ向けて男を咥えこんだままだ。
「あっ」
繋がった場所で、男根がゆっくりと引き抜かれる。
口の端を皮肉に曲げて、カカシが萎えきったイルカの陰茎を手のひらに包んだ。
「や、めて」
巧みに扱かれ、それはみるみる芯を取り戻す。扱かれながら浅い場所を繰り返し小突かれてしまえば、イルカの口からあ、あ、と情けない喘ぎが漏れた。
「イルカ」
「ひっ」
男の爪が鈴口を抉る。鋭い痛みの後、じわじわと言いようのない快楽が込み上げてきた。
「俺はお前を手に入れる。必ずだ。いいね」
「やっ、あ、ひ……っいや、やめ、やめろ、うあっ、ああぁっ!」
先端の丸みだけを手のひらで執拗にこねくり回され、必死に暴れるがこの体勢ではどうにもならない。イルカは足をばたつかせ、カカシの肩へ短い爪を食い込ませて陰茎から潮を吹き上げた。
「う、あ……うおっ」
痙攣する肉壁が一気に奥まで貫かれる。びくん、びくんと全身が跳ね、何かに縋るように目の前の身体へしがみついた。
「ああ、イルカ、イルカ……!」
感極まった声で男が言う。傍から見れば恋人同志のように抱き合いながら、イルカは肉体の奥深くまでカカシを受け入れさせられた。
「おっ、うぐぅっ、んおっ、おぉっ」
「可愛い、可愛い、愛しているよ。俺のイルカ、俺の✕✕!」
「な、なに……んおぉっ! も、もう、入らな……あっ、あ……っ!」
ぐぽり、と身体の中で音がしたかのようだった。
目の前が一瞬白く光り、その次の瞬間、マグマのような快楽がイルカを襲う。だのに、唇はわななくばかりで声も出せない。
下肢からしゃあしゃあと聞こえる音はイルカの漏らしたそれだったが、腹を辿って胸まで届いた黄金にも、汚いだとか恥ずかしいとか感じることもできなかった。
イルカを掻き抱いたまま、カカシが腰を蠢かせる。閉じていなければいけない場所でぐぽぐぽと抜き差しを繰り返し、イルカ、イルカと呪いのように名を呼んだ。時折、濁ったような、異国語のような言葉が聞こえるが、今のイルカにはそれを気に留めることもできなかった。
「か……、は、あぁ……」
揺さぶられ、呼吸をすることがやっとだ。カカシのたくましい身体にしがみつき、唇を吸われ、注ぎ込まれた唾液を飲み込む。
絶頂の感覚が短くなり、ひと突きされるごとに達しているような気すらした。カカシの男根も何故か最初より大きさを増しているようで、肉壁を擦られると堪らない。
ささやかな蕾だったイルカの後孔は今や真っ赤に色づき、これ以上ないほどみっちりとカカシを咥えこんでいた。
「ああ、ああ、イルカ、愛しているよ。俺を忘れてはいけないよ。いいね。必ず迎えに来てやるから。ああ、イルカ……!」
一方的にまくしたて、カカシが二、三度びくりと身体を震わせた。奥深くに熱いものが広がるのを感じる。
「あ、あ……」
強く抱かれて息が詰まる。薄く開いた口をかぶりつくようにして奪われ、舌の付け根までをも舐め回された。
長い口づけからやっと開放されたかと思うと、顔中に唇を押し当てられる。続けて乳首や陰茎、閉じきらない後孔までをも舌と指で嬲られ続けた。
月はずっと同じ角度で二人を照らしている。
イルカが意識を保っていられたのは尿道に何かを差し込まれたところまでだった。
「—先生、イルカ先生!」
布団の上から身体を叩かれ、イルカは飛び起きた。
「え、あ……」
周囲を見渡す。いつもの石壁、小さな窓、整頓された本棚。何の変わりもない、自分の部屋だった。
「ちょっと、先生ってば!」
急かす声をよそにばさりと布団を捲る。真っ白なシーツには一点の染みもなく、自身もまた常のごとく質素な木綿の寝間着に身を包んでいた。首元まできっちりと止まったボタン、乱れのない下穿き。
再び顔を上げて室内を見回す。ベッドの側に立っていたのは、教会の管理を手伝ってくれるいつもの農婦だった。恰幅の良い、二児の母だ。その農婦、マーラが怪訝そうにイルカを覗き込んだ。
「先生? どうしたんです。何だか変ですよ。部屋の鍵も開いてたし、無用心じゃないですか」
「い、いや……ちょっと、疲れていたみたいです。もう平気ですから」
「そうですか? じゃあとっとと起きちゃって下さい。もう子どもたち来てますよ!」
「えっ? もうそんな時間? うわ、本当だ。急がないと」
珍しいこともあるものだと笑う農婦に、着替えるからと部屋を出てもらう。
一人きりになって、イルカは改めてこの部屋をまじまじと見た。
乱雑に積まれていたはずの聖書はきちんと棚に戻り、ロザリオは首へかかっている。二人の体液で散々濡れ、汚れたはずのシーツもベッドもいつもの通りきれいなものだ。
おかしい。あれは夢だったのか?
そこまで考えてベッドを下りたところで、う、とよろめく。
尻の孔が、じんと疼いた。
まさか、と下着の中へ手を入れおそるおそる確かめるが、あの男に吐き出されたものは残っていないようだった。ただ、熱を持って腫れているのは確かだ。陰茎も、先端がひりつくような気がした。
小さな鏡を手に取る。そっと覗き込んだ顔には、目の下にいつもより濃い隈が見えたが、鼻傷に血痕などついていない。
あの男に散々嬲られた痕跡の一切が消えている。あんな長い時間苛まれたというのに、まるで辻褄が合わない。あの男、あの—。
名前が、思い出せない。
それどころか、人相すら覚束なかった。
銀髪で、顔に傷があったはずだ。だが、思い出そうとしてもぼんやりとして、うまく像を結ばない。
いったい、どういう—
「せーんせー!」
階下から子どもたちの声が響く。イルカははっと顔を上げ、「今行く」とどうにか声を張り上げた。
授業を終えた子どもたちが教会の表で清掃活動という名の遊びに興じる間、イルカは台所で遅い朝食を兼ねた昼食を摂っていた。
今朝採れたものだから、とマーラが用意してくれた野菜たっぷりの皿にフォークを刺しながら、細々とした家事を手伝ってくれる農婦の背中をぼんやりと見つめる。
子供たちが遊びに夢中でちっとも勉強しない、と嘆く彼女へそれは健全なことだと返す傍ら、そっと戸棚を見る。あの男が使っていたはずの食器は、今朝になって割れていた。
「マーラさん、水車小屋の修理はどうなりましたか」
「ああ、あれならもう直りましたよ。前よりずいぶん立派になって、嵐が来ても当分は壊れませんわ」
「そうですか。—誰が修理してくれたのでしたっけ」
「いやだねぇ先生、うちの旦那じゃありませんか。旅の人から良いやり方を聞いたって、張り切っちまって。あのひとにあんなことができたとはねぇ」
わはは、と豪快に笑うマーラへ、そうでしたね、と微笑んで返す。
一事が万事この調子だった。
皆、あの男のことを忘れている。
子どもたちもそうだった。イルカに代わって難しい数学や、村の外のことを教えてくれたあの男の存在を知らないと言った。すべて、イルカが教えたことになっているのだ。あんなに何度も遊んでいたのに、すっぽりと記憶から消えている。
かくいうイルカも、朝よりも男のことが思い出せなくなっていた。傷がどこにあったのか、そもそも傷などあったのか。ただ、陽の光にきらきらと煌めく銀の髪だけが記憶に鮮やかだ。
すべての痕跡を消して村を去った男は、どこへ行ったのだろう。
『必ず迎えに来る』
頭の中で言葉が響く。低く、耳の底を撫でるその声に引きずられるかのように、腹の奥がずくりと疼いた。
終
↑の画像は無配のあとがきなんですが、拡大できない場合はお手数ですがpixivでご覧ください。ごめんね。
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