ジジ、ジジ、って音が鳴る街灯を渡り歩く。
一楽を出てから、俺たちはひと言も話していなかった。

会話が無いのなんていつものことと言っちまえばそれまでだけど、今日はちょっと意味が違う気がする。
だって、話そうとしても言葉が出てこないんだ。

俺は確かめたい。
カカシさんが、本当に俺のこと好きなのかって。
十中八九そうだろうって、経験の少ない俺でもわかる。
でも、やっぱり本人の口から聞きたかった。

確かめて、それで、謝りたい。
カカシさんの好意にあぐらをかいて、いや、知らなかったわけだけど、それでもたくさん奢ってもらっちまった。

フェアじゃないよ、こんなの。
男が気のある女に貢ぐってのはよくある話だけど、俺はそういうのあんまり好きじゃない。
弄んでるみたいで、なんていうか……そう、罪悪感だ。罪悪感が湧いてきて、もう溺れそうだ。

寒くもない夜なのに、指先が冷たい。でも何だか、顔はずっと熱いままだ。

俺は思い切ってカカシさんを見た。
カカシさんはやっぱり俺を見ていた。前を向いて歩いて欲しいって、何度も言ったんだけどなぁ。

「あの」

思ったより低い声が出た。俺、緊張してるのかも。

「ん?」

カカシさんが小首を傾げる。
背の高い男前だけど、そうやると何だかちょっと、子どもみたいだ。
夜だからか、肌が白いのがいつもよりよく分かる。真っ黒な口布をしているから余計そう思うのかもしれない。

ふいに、さっき見てしまった素顔が頭に浮かぶ。
きっとこんな顔だろうって昔、子どもたちが地面に落書きしていたことも思い出した。
おい、お前ら、全部ハズレだぞ。
カカシさんは、すっごいイケメンだ。

「イルカ先生、どうしたの」

全然口を開かない俺に、カカシさんが更に首を傾げた。
慌てて、いや、とか、あの、とか言ってみるけど、ちゃんとした言葉にはならない。

「いや、なんでもないです」

結局そんな風に誤魔化して、俺は前を向いた。少し、俯いたままで。

カカシさんは「そう」なんて言って分かったふりをしてくれたけど、きっと変な奴だと思ってるに違いない。

そうだよ、俺は大した奴じゃない。
あんたが好きになるような相手じゃ、ないんだよ。

地面は乾いている。
歩く度に小さな砂埃が舞って、むき出しのつま先が砂を被った。

恋愛なんてもう何年もしていない。

教師になってからは良い教育者になろうとするのに精一杯で、少ない休日も家を片付けて仲間と飲み歩くくらいが関の山だった。
生徒以外の女の人と手を繋いだ記憶なんて遠い昔だ。

そんな中でも器用に彼女を作る仲間たちの要領の良さを尊敬してたけど、いざ自分が好意を向けられるとどうしていいかすら分からなくなるもんなんだな。

カカシさん、俺なんかのどこがいいんだろ。

ラーメンのつゆ、舐めてたな。
あれって多分、俺の唾液もついてたよな。汚ねぇ話だけどさ。
でも、カカシさんは汚いって思わなかったってことだろ。
それって何でかってーと、俺のことが、好き、だから……。

俺はどうなんだ?
カカシさんのこと、好きなのか?

……分かんねぇ。
嫌いじゃないけど、恋愛っていう意味で好きかって言われると、何か、違う気がする。

やっぱり良くねぇよ、まあいっかなんて言ってる場合じゃねぇ。ちゃんとしないと。
期待させるようなことして金を使わせるなんて、俺は嫌だ。

俺のおんぼろアパートが見えてきた。
いつも通り、階段の下で立ち止まる。

普段ならすぐに階段を上るけど、今日はずっと突っ立ったままの俺に、向かい合って立つカカシさんが小首を傾げた。
顔を上げる。
どうしたのって、カカシさんの右目が言ってた。

「カカシさん、俺もう一緒にメシ行けないです」

言った。
カカシさんが、いっつも半分閉じたみたいにしている右目をかっ開いて、ゆっくり瞬きした。

「何で? 任務でも入りましたか」
「いえ、そうじゃなくて……とにかく、もう」

あんたの気持ち弄んで奢られてばっかりじゃ、嫌なんだよ。
それをどうやって言葉にするか考えているうちに、カカシさんが頭の後ろをがりがりって掻いた。
俺から目を逸らして、下を向いてる。

「俺何かしたかな、ごめん」
「違います、そうじゃなくて、謝らないで下さい」
「でも、もう俺と会いたくないってことでしょ」

カカシさんの片足が地面を蹴った。すごく珍しい。カカシさんはいつも静かで、こんな落ち着きのない仕草をするような人じゃない。
俺は慌てて両手を振って、矢継ぎ早なカカシさんの言葉を遮った。

「いや、それは語弊があるというか……」
「ごめん。迷惑かける気はなかったんだけど」
「迷惑だなんて、あの、そうじゃなくて、話を聞いてほしくて」
「ごめんね。今までありがと」

「あっ」

びゅう、と風が吹いて、カカシさんが姿を消した。
茶色い木の葉が一枚、ひらひらと地面に落ちる。

行っちまった……。

俺の目の前に広がるのは見慣れた路地だ。
いつもならずっとそこに居て、俺が部屋に入るまで見届けているカカシさんが、消えた。



「何でだよ……」

装備を解くのもそこそこに、畳の上に寝転がる。
足に砂がついている気がするけど、拭くのも風呂に入るのも面倒くさかった。

はっと思い立って寝室の窓から外を覗いてみたけど、やっぱりカカシさんの姿は無かった。

本当に、帰っちまったんだ。

「俺が、余計なこと言ったから……」

窓枠に手をかけて、そのままずるずると座り込む。砂壁に額を擦り付けたら、ざりって嫌な感触がした。