「イルカ先生って、けっこうあけすけな人だったんですね」
「へ?」
突然そんなことを言われて、あやうく卵焼きを箸から取りこぼすところだった。
もったいない。できたてのだし巻きに敵うものは無いというのに。
「みょうひてほう思はれるんれすか」
「どうして、でしょ。食べてから話しなさいよ」
もぐもぐと口を動かしながら問い返したら、カカシさんは嫌そうに眉をしかめてみせた。
居酒屋に腰を据えて半刻、酒も良い感じに回ってきたところだった。
一枚板のカウンターで隣に座る上忍、はたけカカシ、またの名を写輪眼のカカシ、里の業師、あとは…何だっけ……とにかくカカシさんはいつもの通り額宛てと口布で顔のほとんどを隠したまま、片手で猪口をくい、と傾けている。
どういう仕組みになっているのかとしつこく聞いたこともあったが、迷惑そうにいなされて終わりだった。
「どうして、そう思われるんですか。俺があけすけだって」
ごくんと卵焼きを飲み込んでから、話の続きを促そうと俺は急いで口を開いた。
こうしてカカシさんから話を振られることは滅多にない。いつも俺が一方的に話しかけてばかりだったから。
「だって俺こんなにしつこくされたの初めてですよ。好きだ好きだって」
「えっ。じゃあ俺ってカカシさんの初めての男ってことですか!?」
「だから、そうじゃなくて!」
カカシさんが怒ったように声を荒げた。
が、背中に他の客の視線を感じたようで、すぐ元の調子に戻る。
「……とにかく、意外だったってことですよ」
「あいつの元担任ですからね!」
「そんなところまで意外性無くていいんですよ……」
はぁ、と肩を落とす彼にまぁまぁと酒をつぎながら、にんまりと頬が緩むのが抑えられなかった。
そう。俺はカカシさんに惚れている。ベタ惚れってやつだ。
そうしてそれを隠すことなく、何度もアタックしては砕け散っているのだった。
「でもなんだかんだカカシさん、俺に付き合ってくれるじゃないですか」
「だってねぇ、あなたがタイミング良すぎるんですよ。任務でくたくたになって里に帰ってきて、あー家に何も無いなー、でも食いに出るのもだるいなーなんて思っていたら物陰からそっと弁当を差し入れるわ、今日みたいに予定も無いし飯でも食って帰るかと思ったら絶妙なタイミングで飲みに誘ってくるわ、そのくせ機嫌悪い時はちゃんと放っておくっていうこの気遣い……!」
「褒めてくださってるんですね!俺感激です!」
思わずカカシさんの手を握って言えば、「違う!」とすぐさま振り払われてしまった。
でも良い、一瞬でも触れられたなんて上々だ。
「おかげでアスマにまで付き合ってんのかなんて言われるし、本当良い迷惑ですよ」
「アスマさんにまで……俺たちもう里に認められたようなものですね……」
「話聞いてました?」
カカシさんは何か言っているけれど、俺の頭の中には火影岩の見守る中で挙式を挙げる俺とカカシさんの姿がありありと浮かんでいた。
二人揃って正装し、仲間の見守る中で永遠の愛を誓うーーああ、なんてドラマチックなんだろう!
「……お楽しみのところ悪いんだけど、俺そろそろ帰りますね」
「えーっ、まだ良いじゃないですか。卵焼きも残ってるのに」
「あなたが勝手に頼んだんでしょう。大体酒飲みながら卵焼きって何なの。女子なの?」
「あ、お望みなら女体変化しましょうか?あんま得意じゃないんですけど、それなりに可愛いって評判でーー」
「いいです、いいですから」
そのまま本当に置いて行かれそうになって、慌てて残りの卵焼きを掻き込むと急いで後を追いかけた。
一両単位で割り勘し、店を出ると「じゃ」とカカシさんはすたすたと歩き出す。いつものことだ。
「ちょっと待ってくださいよー」
こうやって走って追いかけるのもいつものこと。
その気になれば俺を置いていくのなんて造作もないことなのに、結局は追いつけるようにスピードを緩めてくれているのも知っている。
「わっ」
張り出た石につまづいてバランスを崩した俺の、左腕がぐい、と引き上げられる。
顔を上げれば、呆れ顔のカカシさんが隣に立っていた。
「ちょっと、忍者のくせに道端でこけないでくれる」
「へへ、面目ない」
思わず満面の笑みを浮かべてしまいそうになるのを抑えるために、右手で鼻の傷を掻いた。
俺なんて眼中にないみたいにまっすぐ歩いているくせに、こうしてちょっと気を引けば応えてくれる。
カカシさんは、なんて優しい人なんだろう。
なんて、俺のことが好きなんだろう。
腕はすぐ離されたけれど、そこからは並んで歩いた。
俺はいつものようにどうでも良いことを、星がきれいだとか、アカデミーが再開したら朝顔を植えるんだとか、本当にそういう、彼にとってはどうでも良いようなことを話しながら歩いた。
いつもの分かれ道で、カカシさんは「じゃ」と言って俺に背を向ける。
あっさりと、未練のみの字も見せずに俺に背を向ける。
「おやすみなさい、カカシさん」
返事の代わりに片手を上げて、カカシさんは帰っていく。
俺はその背中をずっと見ている。いつまでも、姿が見えなくなっても、いつまでも。
始まりはいつだっただろう。
実は俺にも曖昧だ。
ナルト、サクラ、サスケという俺の大事な教え子たちの上忍師として、あの人は俺の前に立った。
俺はナルトを手のかかる弟のように思っていて、どうしてもあいつのこととなると敏感になりがちだった。
あいつを庇って、背中に大きな傷を負ったことすらある。
そんな大事な教え子を導く師として、初めは彼に懐疑的だった。
しかし里での評判は耳を疑うほど素晴らしいもので、実際に受付で知る活躍は称賛に値するものだった。
俺のような中忍ではとても追いつけないほどの存在に思えた。
でも実際のカカシさんは噂とは違って気さくで、子どもたちを連れた任務のときは必ず俺の列に並んで報告してくれたし、時には様子を教えてくれもした。
何よりあのナルトが懐いていたのだ。一緒にラーメンを食べながらの会話にカカシさんの名前が頻繁に出てきて、あのナルトがなぁなんて感慨深く思うと共に、その頃にはもう惹かれていたように思う。
中忍試験に七班を出すと聞いて理解できず歯向かったこともあったが、間違いだったと気づき謝罪した俺に、カカシさんは何でもないことのように笑って済ませてくれた。
俺は男だし、彼も男だ。
男と付き合ったことは無いし、これまで好きになったのもすべて女性だった。
彼女がいたこともある。でも、一線は越えられなかった。
自分で分かっていなかっただけで元々男が好きだったのかとも思うが、カカシさん以外には何も感じない。
カカシさんのことだけ、気になるのだ。
見ていたくなる。声を聞きたくなる。こっちを向いて欲しくなる。
できることなら、肌に触れて、そしてーー。
そこまで考えて、は、と息を吐いた。
春と呼ぶには躊躇う程の暑さを感じる気候になってきて、仕事中だというのにどうもぼんやりしてしまう。
窓の外を見ると、教室の掃除を手伝いにやって来た子供たちが久しぶりの再会を喜び合っているのが見えた。
休校中のアカデミーでは再開に向けて教材の準備が進んでいる。
三代目を失い新たに立った五代目はアカデミーの運営に明るくないから、教頭を筆頭に教員総出でこの危機を脱しようと努力していた。
幸い、再開は間近だ。
俺も里外の任務に出る回数が減り、本来の仕事に集中できる日が増えていた。
大蛇丸による木の葉崩しで里は一度大きく沈んだが、一人ひとりの頑張りでどうにか持ち直そうとしている。
里の中でその先頭に立つのは五代目である綱手様だけれど、里の外で木の葉を守り外貨を稼ぐ中心は上忍だった。
ぎりぎりの人数で任務を回している中の、さらにぎりぎりのスケジュールで働いているのがカカシさんだ。
受け持った下忍から里抜けを出し、班を事実上解散状態とさせた責任をとらされているのだろうか。
俺のような一介の忍にまでは情報など回ってこないけれど、受付で確認できる彼の任務表は明らかに異常だった。しかもそこに、火影様直々の任務も下っているらしい。
なんとなく皆が声をかけ辛そうにしているから、と思って受付で積極的に声をかけているうちに、いつしか食事に誘うようになり、そうして気づいたときには「好きだ」と口にしていた。
酔っていたんだと思う。最初は。
カカシさんは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに「酔っぱらい」と俺をこづいて笑い話にした。
それが面白くなくて、会うたびに好きだと告げていたら、いつしか呆れられるほどにそれが当たり前になったというわけだ。
半分意地で、半分本気を乗せた言葉は、いつしか執着めいた色すら帯びていた。
***
木の葉を覆う結界の中に入り、阿吽の門をくぐったところでやっと、口布の下で細く息を吐いた。
問題無く任務を終えた後も、こうして里に帰り着く迄は気が抜けない。里の中であっても警戒を緩めたりはしないが、縄張りに身を置くと幾分か肩の重みが取れたような気になる。
早朝から深夜に及ぶ任務も五日目を終えた。だが、翌日もその次もまた同じ様な事の繰り返しだ。
短いスパンで高利益の任務を回すのが自分の役目だと理解しているが、こうして容赦なくこき使われては里長に文句の一つも言いたくなる。何を言っても一睨みされて終わりだろうが、その隣で困ったように肩を竦めるひとの姿が頭に浮かんで少し溜飲が下がった。
受付で、いつも俺に笑顔を向けるひと。
こんな俺に、好きだと言って憚らない、ひと。
最初は声を掛けられても鬱陶しいだけだった。同情されているのがありありと分かったし、慰めは必要としていない。
だけれど、杯を重ねる内に彼の中で何かが変化していった様だった。
俺を僅かに見上げる視線が時折迷いを乗せて伏せられるようになり、かと思えば酔いに任せて熱っぽく見つめてくる時もあった。
彼が何かを言いかけてはそれを軽口に変えることを繰り返していたある夜、思い切ったように「好きだ」と告げてきたその表情は、頬を赤く染めたあどけない少女のようだった。
悪くない、と思ったのだ。
憐憫を乗せない好意はもらって困るものでもない。
ただ、それをどう処理するかはこちらの勝手だ。突き放すのも、熱を散らす為だけに利用するのも。
だがいつか見た、彼の傷ついた顔を思い出すと使い捨てるのは躊躇われた。俺の周りにいた子供たちの大事な師でもある。
彼が俺に愛想を尽かす迄、友人ごっこに付き合ってやろうと思っていた。
思っていた、のに。
眼下に里の飲み屋街が広がる。
足をふらつかせた酔客の中に件の男を見掛けて、家路を急ぐ足を止めた。
雑居ビルの屋根の上で風に吹かれながら、俺は彼を見下ろしていた。
ひと際賑やかな一団にはどの顔も見覚えがある。里内で働く中忍の集まりのようだった。皆楽しそうに笑い合い、別れを惜しむように抱き合う奴らまで居る。
職業柄、里内とはいえ完全に酔う事など無いはずの彼らが、芯まで酒に浸らずともその場の空気を存分に楽しんでいるのがありありと伝わってきた。
俺に懸想しているらしいうみのイルカも、同僚らしき男と肩を組んで、あまつさえもたれ掛かってすらいる。
「……仲がよろしいことで」
知らず零れた独り言は、風の音に掻き消された。
俺じゃなくても、良いんじゃないか。
元々情に篤い男だ。難しい子供を懐かせ、愛情で包み、その心に深く入り込むくらいには。
その子供も里を去って久しい。行き場のない愛情を注ぐ器を求めているならば、相手は他にもすぐ見つかるだろう。
すぅっと、胸に冷たいものが広がる。
気配を絶ったまま、彼が件の男と道端で別れ、足を縺れさせながら自分のアパートの部屋へ入っていくところまで見届けた。
今俺が部屋の扉を叩いたら、彼はどんな顔をするだろう。
酒に赤らんだ顔で、少しはにかんで俺を迎えるのだろうか。
それともいつもの様にあくまで快活な自分をその顔に張り付かせて、俺を労うのだろうか。
どちらにしても、酷い言葉をぶつけてしまいそうだった。
そんな事する権利もないのに、だ。
***
「イルカ先生はさ、男が好きなの?」
カカシさんが唐突にそんなことを言うものだから、俺は盛大にチューハイを噴いた。
丸いちゃぶ台を挟んで斜めに向かい合うカカシさんは、ベストの前を開け、畳に後ろ手をついて、リラックスしてますと言わんばかりの格好だ。
「ちょっとやめてよ、汚いなぁ」
「だ、誰のせいですか」
さぁ、なんてしれっと言いながら、ティッシュを渡してくれるのがカカシさんの優しいところだ。
今夜は遅番で受付に入っていた俺に、珍しく、本当に珍しくカカシさんから声をかけてくれた記念すべき日だ。
報告書出しに来たら偶然あなたが居たから、なんてそっけなく言うから、分かってますよ。俺に会いたかったんでしょう!と報告書ごと手を握ったらやっぱり思いきり振り払われたけれど。
普通だったら二日かかる任務を一日で終わらせてきたという報告書に、さすがですね!なんて言いながらスパンっと判を押して受理した。
時計はもう日付を跨ぐ寸前で、開いてる店も少なくて、じゃあカカシさんちで飲みましょうか!行ってみたいなー!とダメもとで言ったらこれも本当に珍しく、というか初めてオッケーが出たのだ。
思わず、嘘、って言ったらやっぱり帰りますっ言うものだから慌てて腕を掴んで、とっくにリサーチ済みのカカシさんの家まで引きずってきたまでは良かったんだけど、なぁ。
「やー……わかんないです」
ぽり、と頬を掻いた俺に、カカシさんの鋭い視線が突き刺さる。片目だけなのにちょっとびくっとさせられて、いかんいかんと姿勢を正した。
酔ってるのかなぁ。
今夜のカカシさんは珍しく絡み酒だった。
普段は俺の方があれこれ喋って質問しまくるのだけど、今夜は「本当に恋人いないの」から始まってネチネチと俺のプライベートに踏み込むことばかり聞いてくる。
もちろん嬉しい、それって俺に興味があるってことだろ?
でも何か、目が冷たい、ような気がするんだ。
確か昨日も、その前も夜遅くまで任務だったはずだ。彼の口から直接聞いたわけではないけれど、受付担当っていうのは恋する相手のスケジュールくらい押さえていてナンボだ。
思ったよりも疲れているのかな。家にまで押しかけて悪かっただろうか。
反省したのもあって黙ってしまった俺に、カカシさんの呆れたような声が聞こえた。
「わかんないって、自分のことなのに」
「だって、男を好きになるのなんて初めてなんですよ。今まで付き合ったのも女の子だけだったし」
まぁ、一人だけだけど。
それでも本当に、男に興味を持ったのはカカシさんが初めてだったのだ。
「じゃあ、勘違いかもって思わないの」
「思わないですね」
「なんで」
「好きだからです」
「何それ」
ふっと、鼻で笑われた。
俺は何だかえらいダメージを受けてしまう。
俺の好き、は、鼻で笑われるものなのか。
「俺のどこが好きなの」
「優しいところ、です」
「漠然としてますね」
嘲るみたいに言うけど、カカシさんはずっと俺から目を逸らさない。
責められているみたいだ。俺がこの人を好きな、ことを。
「……ナルトに優しくしてくださったでしょう。それだけで好感度は爆上がりです。それで、良い人だなって思ったら、気になってしまって」
「きついことも言ったのに?」
一瞬、何のことだろうと思った。
でもすぐ、中忍試験の時に三代目の御前で、俺が突っかかったことだと察する。覚えていて、くれたのか。
「あの頃にはもう、ゾッコンでしたから」
「それだけ?」
「あとは、かっこよくて、強いところ。仲間を大事にするところ。あと…天ぷらが苦手なところ、ですかね」
「ふうん……」
いつかの居酒屋で、俺が頼んだ天ぷらを前にじっとしていたカカシさんを思い出して思わずニコってなっちまった。
あの時初めて、可愛い、って思ったんだよなぁ。
そんな淡い思い出に浸った俺に、思わぬ言葉が降ってきた。
「俺のこと考えてしたりするの」
する?何を?
顔にハテナマークが浮かんでいたらしい俺に向かって、カカシさんが片手で卑猥なポーズを示して見せる。
あぁ、アレね。アレをナニして……って、ナニを!?
「そっ、そんなこと聞いてどうするんですか」
「質問に質問で返しちゃだめでしょ」
瞬間湯沸かし器もかくあらんという風に真っ赤になった俺に対して、カカシさんは冷静だ。
そんな、普通に言わないで欲しい。
下ネタだろ?これって。男がそういうこと話すときってもっとこう、ニヤニヤしたりとかちょっと声を落としたりとかするんじゃないのか。
もうカカシさんの顔を見ていられなくなって、俯いてしまう。
負けた気がするけど仕方ないだろ。
俺はこの人で、してるん、だから。
「まぁ…します、けど……すみません、さすがに気持ち悪いですよね」
「いや、聞いたの俺だし」
そうか、気持ち悪くはないのか。
返事を良いように受け取って少しだけホッとする。
シラを切っても良かったんだろうが、今夜のカカシさんには嘘が通用しない気がした。
嘘をついたらそこで、この生温い関係が終わってしまうような。
手元の酒を煽ってみても、中身は空っぽだ。
空き缶を手に立ち上がりかけた俺は、しかし続いた彼の声に動きを止めた。
「どうやってするの」
「え」
「俺のこと考えながらマスかくの?それとも後ろも使っちゃうわけ?」
手の中の缶がべこっと凹む音がした。
「あ、あの……なんか、今日のカカシさん変ですよ」
銀色の髪の隙間から覗く片目は揺るがない。
「ねぇ」
もう一度問われて、ごくりと唾を飲んだ。
一歩踏み間違えればすべて終わってしまうような、細い糸の上に立っているような錯覚を覚える。
知りたいのか。俺のことを。
あんなに煙たがっていたくせして。
ひりつく喉の奥から、絞り出すように声を出した。
「そんなに言うなら……み、みてみます、か」
まさか、彼が頷くなんて思わなかった。
準備があると言うと、カカシさんは俺を風呂場へ案内してくれた。
男同士の経験が無いとは言え、知識はあるのだろう。もしかしたら、俺に言わないだけで男としたことがあるのかもしれない。
戦忍になって長いと聞くし、戦地では珍しいことでもない。
見知らぬ男と褥で縺れるカカシさんの姿を想像し、浮ついていた気分が少し沈む。
潤滑剤になるものを貸してほしいと言ったら、そんなものは無いと言われたので、一人になってから仕方なく洗面台を探させてもらった。
洗面台にシェービングジェルがあったのは運が良かった。
試しに手にとってみたが低刺激のものだったし、ローションには劣るけれどそれなりに伸びは良い。
どうして知っているかって、使ったことがあるからだ。
後ろの遊びに目覚めたばかりの頃、アナル専用のジェルを買いに行くなんてとてもじゃないが出来なくて家の中で色々試してみた。オイルや傷薬なんかもまずまずだったが、代用品としてしばらくお世話になったのがシェービングジェルだったのだ。
風呂場で簡単に後ろを洗浄しジェルを仕込むと、迷った末にタオルを腰に巻いただけの格好で、カカシさんの待つ寝室へ足を踏み入れた。
壁際に寄せられたベッドに、果たして彼は居た。
手裏剣柄の掛け布団は彼の外見におよそ結びつかないほど可愛らしいが、今の状況では場を和ませてもくれない。
ベッドの上であぐらをかいて、オレンジ色の表紙の本を読んでいたカカシさんは、俺を認めるとぱたりとそれを置いた。
イチャイチャシリーズにも、男同士の恋愛なんて載っていないんだろう、な。
「遅かったですね。こっそり帰っちゃったのかと思った」
「……準備に、時間かかるんです」
「嘘うそ、わかってますよ」
そういうカカシさんの視線が俺の身体に向けられているのが分かる。
やっぱり服を着てきたらよかった。
どこから見てもむさくるしい男の身体を見て、やっぱり帰れなんて言われたら、立ち直れる気がしない。
いつもは見つめられたら飛び上がるほど嬉しいのに、今は目を合わせることさえ難しかった。
「じゃ、見せてよ」
意外なほどあっさりと言われて、俺はじりじりとベッドへ近づく。
自分でも予想外に恥ずかしい。
本当なら大股歩きでベッドに上がって、パッカーンと股を広げてやる予定だったのに。
「おいで」
ばさりと掛け布団を捲った彼に促され、少し距離を開けて隣に腰かける。
窓際にある写真の中の子どもたちに見られているような気がして、背中が丸くなってしまう。
せめて、伏せておいてくれたら良かったのに。
俯いていても、身体中を舐めまわすような視線を感じて皮膚が粟立った。
俺は殆ど素っ裸なのに、カカシさんはベストを脱いだだけで口布も額宛もそのままに、黒の上下をしっかり着込んでいる。
その対比が何だかすごくいやらしいものに感じて、それだけで勃ちそうになる。
黙ったまま動かない俺の顔を、カカシさんが覗き込んだ。
「いつもしてるみたいに、してね」
ちらりと横目をやると、何の感情も滲ませないような瞳が俺を見据えていた。
いっそ、ニヤついていたら良かったのに。俺を蔑むように、ひどく。
震えそうになるのをどうにか堪えて、そっと胸に手を這わせる。
指の腹で円を描くように乳輪を撫でると、唇から細い息が漏れた。快感からというよりは、緊張からくるような。
円の中心はこんな状況でもピンと固くしこっている。
その先端をぐりぐりと潰してから乳輪ごと摘まみ上げれば、鋭い快感が股間に響いた。
一人で何度も弄っているうちに性感帯へ発達したそこは、自慰で必ず触れる箇所だった。
男なのに、いや、男だからこそ、なのか。
強くこねくり回すと股間のものがむくむく反応してくるのが分かる。
白く、薄いタオルがその下のものに押されて持ち上がってきていた。
「おっぱい触るだけで勃っちゃうんだ」
へぇ、なんて珍しそうに言われて、羞恥にいっそう顔へ熱が集まる。
耳に届く声は色めいて、普段よりも低い。声だけで肌を撫でるような響きに、股間がずくりと重くなった。
耳元で名前なんか呼ばれたら、どうにかなっちまいそうだ。
「ねぇ、週に何回くらいするの?」
ふいに問われた言葉に、胸を弄る手が止まる。だが「続けて」と言われてまた指先を動かしながら、必死で頭を働かせた。
「い、一回、とか」
「本当? それにしては慣れてる感じ、するけど」
「ときどき、もうちょっと……しま、す」
「俺と会った後にしたりとか?」
こくりと頷いてみせると、カカシさんは満足そうに口元だけで笑った、ように見えた。
そんなこと知られたくなかった。でも、見抜かれていた気もする。
カカシさんと飯を食った後、俺は必ずと言って良いほど自慰をしていた。他愛もない会話を、表情を、カウンターの下でふいに触れた、硬い膝の感触を思い出しながら。
「道具とか使うの? 俺んちそういうの無くて、ごめんね」
「つ、使いませんからっ」
「使わないの? 意外」
「だ、だって…、癖になっちまったら困る、でしょう」
嘘だ。
道具も使っているし、そんなのとっくに癖になっている。
でもさすがに、言葉にするのは躊躇われた。
「ふぅん、まぁ良いけど…」
納得していないような色を残して、カカシさんが視線を下へとずらした。
その先にあるのはタオルから飛び出しそうになっている俺の股間。
先端から漏れ出した先走りで、一部だけじっとり濡れているのが自分でも卑猥に見えた。
「触らないの?」
それ、と指差された先のものが、触れてもいないのにびくびくと震える。
見られていることを意識しながらそこへゆっくり手を添えると、興奮して常より大きくなっているのが分かった。
手を上下すれば、先走りのぬるつきのせいでぬちぬちと卑猥な音が立ってしまう。
「ふ……っ、んっ、ぅ」
「すごいね、ぬるぬるじゃない」
「い、言わないで……くださ、い」
射精してしまえばこんな茶番終わるはずだ。
目を瞑って必死に行為へ没頭しようとすればするほど、しかしカカシさんの視線を感じていつもの様に昇り詰めることができない。
擦れば擦るほど、後ろがきゅんきゅん疼くのが分かる。
後ろの穴を弄るのに慣れた俺の身体は、前だけの刺激では達しにくくなっていた。
それでもどうにか、と片手で竿を刺激しながら胸の突起をくりくりと摘まんでいると、快楽の出口がぼんやり見え始める。
だが、イケるかも、という淡い期待は、カカシさんの鋭い声音にあっけなく砕け散った。
「ね、いつも通りって俺言ったと思うんだけど」
「え……」
びく、と手を止めた俺を、カカシさんが見据える。
「これ、いつも通りじゃないよね」
「か、カカシ、さん」
「いいから、見せな」
強い視線に圧されるように、俺はゆっくりとベッドへ全身を乗せた。
足を上げた隙に、腰に巻いたタオルをするりと剥ぎ取られ、遂に全裸を晒してしまう。
一枚巻いただけのタオルが、それだけでも盾になっていたのがよく分かった。
他人に全てを晒すのは、なんて心もとないんだろう。
ヘッドボードに寄り掛かると、急にカカシさんが顔を寄せてきて思わず目を瞑った。
キスされる。そう思ったのは一瞬で、肩を掴んで前のめりにさせられたかと思うと、背中にぽすっとした柔らかいものが当たった。
カカシさんの枕がヘッドボードと背中の間に挟まれている。
おそらく固いところに当たって俺が痛くないように、との配慮だ。
こんなことされたら、まるで大事にされているみたいじゃないか。
カカシさんは俺の足元にあぐらをかいて、相変わらずすました表情のままで、俺ばかりが顔を赤くしている。
悔しい。
戦地ですらこれほど防戦一方になったことは無い。
何とかしてあの表情を崩してみたい。心の中に、急に闘争心に似たものが沸き起こる。
俺は立てかけられた枕に背を預けると、カカシさんに見せつけるようにゆっくり足を開いた。
後ろ手に髪をほどき、さっきまで弄っていた胸にもう一度手を伸ばす。
固くなったままの突起を両手で摘まみ、くりくりと刺激すると、きゅんと後ろが疼くような快感が湧き起こる。
見なくても、孔がひくついているのが分かった。
カカシさんからもよく見えるように、腰をずらして半分寝ているような姿勢を取る。
股の間から、カカシさんがそこを凝視しているのが見えた。心なしかさっきよりも目が開いているようだ。しめしめ、見てろよ。
大きく開いた足の中心で、俺の陰茎がきつく勃起していた。
鈴口からは恥ずかしいくらいの先走りが溢れていて、幹を伝って根元の叢までしたたり落ちている。
俺は二本の指を孔へ宛がうと、つぷりと差し入れた。
風呂で解しておいたそこは、二本くらいなら抵抗なく受け入れる。
「んっ……」
根元まで突き立てて、ゆっくりと引き抜く。仕込んだジェルのお陰で痛みは無かった。
勃起したせいで中の良いところがコリコリと存在を主張しているのが分かったけれど、軽く掠めるだけで敢えて避ける。
そこを触ると、すぐ達してしまうからだ。
空いた手をまた胸に添えて、筋肉を揉み解すように手のひら全体を動かした。
既にじんじんと熱を持っている尖りを指の間で挟むと、孔がぎゅうぎゅうと指を締め付ける。
「あっ、はぁ……ん」
いつもならそろそろ玩具に切り替えて楽しむ頃合いだけれど、カカシさんに見られていると思うと指だけでも達してしまいそうだ。
緩く指を抜き挿ししながら、片方の手を胸から腹筋へと滑らせ、遂には陰茎を握りこむ。
カカシさんに視線を合わせたまま手を上下させるとたまらなく良くて、球がきゅんっと持ち上がるのが分かった。
今度こそ、と絶頂に向けてスピードを上げた俺の手を、カカシさんがそっと押さえた。
「あっ……や、止めない、で」
「まだ終わっちゃだめだよ」
「で、でも、俺……」
「そこ、広げてごらん」
「そ、んな……」
戸惑う俺の目の前で、カカシさんが口布に指を引っ掛けた。ゆっくりと、顔の半分を覆う黒が下ろされる。
白い肌にすらっと通った鼻梁。その下の薄い唇は、薄っすらと紅い。
初めて見るそれに訳も分からず見とれていると、左目を覆う額宛てさえも取り去られていった。
隠された素顔がすべて、晒されている。
理解した途端にどくんと胸が大きく鳴った。
何度となくした想像よりもずっと精悍で整った造形は、隠しているのが勿体無いとすら思わされる。
カカシさんは薄い唇の間から舌を覗かせると、俺に見せつけるようにべろりと唇を舐めた。
「舐めてあげるから、ほら」
舐めてあげる、なんて。
その言葉だけでずくりと孔が疼いて、また指をぎゅうと締め付けてしまう。
俺は短い喘ぎを繰り返しながら、じりじりと二本の指を左右に開いていった。
すう、と内臓に空気が触れる感覚は、ほとんど初めてのものだ。
「よく見えるよ。上手にできたね」
言いながら、カカシさんのきれいな顔が股間に近づく。
ふーっ、と孔の周りに息が吹きかけられ、俺は大きくかぶりを振った。
このまま焦らされたら、どうにかなってしまいそうだ。
「か、カカシさん、早く……っ」
「ごめんごめん、待ってたよね」
言うなり、にゅるりとしたものがそこに触れた。
「ああんっ」
初めての感覚に声を押さえられない。
カカシさんの長い舌が、俺の中の空洞を埋めるように少しずつ、奥へ入り込んでくる。
指よりも太く、しかし玩具より細いそれは、玩具ではあり得ない動きで俺の内壁をぐにぐにと舐め回した。
「あっ、やぁっ、あんっ、これ、すご…っああんっ」
思わず孔から抜け落ちた指で、銀髪を掻き乱してしまう。
自分の股間を見下ろせば、目を伏せていたカカシさんが一瞬、鋭い目で俺を睨んだ。ぞくぞくっと背中に電流が走ったような錯覚を覚え、反射的に中を締め付けてしまった。
カカシさんは僅かに顔を顰めた後、俺の尻の肉を両手で割り開くと舌の両脇から指を押し込んできた。
「ああぁっ、だめ、だめですそれぇっ」
俺の言葉なんて聞いていないのか、意味なんてないと思っているのか、カカシさんはその指を孔のふちに引っ掛けると、俺にやらせたように左右にぐにぃ、と開いた。
「ああぁっ、ひらいちゃだめ、ぜんぶ、ぜんぶ見えちゃうからぁっ」
強く髪を引っ張ってもカカシさんはびくともしない。
それどころか、鼻の先が俺の会陰をぐりぐり、と押すものだから堪らなかった。
射精の一歩手前の快楽がそこから全身を巡っていって、あと少しで泣き出してしまいそうな、時。
いつの間にか入り込んでいた長い指が、中の弱いところをぐり、と押しつぶした。
「あああっ、だめ、だめ、いっちゃう、いっちゃう、白いの出ちゃうぅっ」
つま先にぐっと力を入れた時、じゅるるっ、と股間から聞こえてはいけないような音を立てて、カカシさんが指と舌を一気に引き抜いた。
え、と思った時には足から力が抜けて、膝ががくがくと震えていた。
濡れた感覚に視線を移すと、胸にまで白いものが飛び散っている。
出してしまった。
尻の穴を舐められて、性器を触ってもいないのに射精してしまった。
呆然と胸を上下させる俺を見ながら、カカシさんが口元を手の甲で拭っていた。
よく見れば、その銀髪にも所々白いものがついているじゃないか。
「すごいね、気持ちよかった?」
「よ、よかった、です……すごく」
「オナニーの手伝いなんて初めてやったけど、悪くないね」
だらりと四肢を投げ出す俺を見ながらそう言ったカカシさんは、ふいに意地悪く口角を上げると、「他の奴にもやってもらえば」なんて台詞を吐いた。
素面なら怒鳴り散らしてしまいそうなその言葉は、快楽に霞んだ俺の頭にはぼんやりとしか届かない。
言葉よりも、そう言ったカカシさんがどこか傷ついたように見えるのは、俺の見間違いだろうか。
この人は、もしかして、本当にーー。
落ち着き始めた心拍がまた上がってくる。
俺は唇を戦慄かせ、俺から目を逸らすカカシさんに言葉を投げた。
「あなたのどこが好きなのかって、聞きましたよね……あれ、もうひとつあるんですよ」
「え?」
カカシさんの眉間に皺が寄る。
動揺を誤魔化すようなその仕草に励まされるようにして、俺は震える唇をちろりと舐めた。
「本当は俺のこと、好きなとこ……」
カカシさんの目が僅かに見開かれる。同時に息を詰めたのがわかった。
「何、それ」
「違いました?」
「……どこからそんな自信くるのよ」
言って、カカシさんがはぁっと息を吐いた。
そうして顔を上げた彼は、困ったように眉を下げていた。
さっきまでの冷たい表情はどこへ行ったんだと思うほど、目尻を赤くして頭の後ろをがりがりと掻く仕草は普段のカカシさんで、俺まで顔が赤くなってしまう。
もしかしたら、この人も戸惑っているのかもしれない。
どうして良いかわからなくて。わざと、冷たいフリをして。
そう思うと胸がきゅんとなって、本やドラマで見た恋する女の子の気持ちが初めて分かったような気がした。
俺の思い込みでもいい。少なくとも可能性のひとかけらくらいは、この人の中にあるはずだ。
今この時だけでも、恋人になれるのなら。
「ね、カカシさん、俺もう……。だめ、ですか」
大きく足を開いたまま、カカシさんの唾液に濡れてひくつく孔へ二本の指を挿し込むと、ぐにぃ、と左右に開いて見せる。
カカシさんの大きく見開いた目が、そこへ釘付けになった。
「……もうっ。やっぱりやめてって言ってもだめだからねっ」
飛び掛かるように押し倒されて、それでも俺が頭を打ち付けない様に後頭部へ手が添えられていたのは流石だった。
素早くズボンを腰まで下げたカカシさんの股間から、ぶるんっと勃起したものが飛び出した。
初めて目にしたカカシさんの逸物はカリが大きく張り出して、俺のものよりも長いように見える。散々使い込まれているはずのそれは、でも想像していたよりもピンク色を残していた。
色素が薄いからかな、なんて考えていたら、嗜めるように腿をぺしんっと叩かれた。
「他所事考えないで。俺のことだけ見てな」
見下ろしながらそんなことを言われて、胸だけじゃなく尻まできゅんきゅんと疼いてしまった。
早く、いれて欲しい。
カカシさんは唇を窄めて手のひらにぺっと唾を吐き出すと、腹まで反り返る陰茎にそれを塗り込んだ。
「痛かったら言いなよ」
言って、片手で俺の足をぐ、と更に開かせるともう片方の手を陰茎に添え、孔に押し当てる。
「うあっ、ん、カカシ、さんっ」
「ホラ、力抜いて。息吐いてよ」
言われても中々うまくできない。
自分でする時とは違って、角度もペースも調節できない挿入は俺の下肢を大いにわななかせた。
カカシさんのものがあそこに当たっていると思うだけで射精しそうな程、感じているのに。
焦れたらしいカカシさんが俺のペニスに手を伸ばし緩く扱いてくれなかったら、そのまま半端な挿入で終わっていたかもしれなかった。
俺が力を抜いたのを見計らい、先端がぐっと中に挿入される。カリ首をやり過ごしても尚感じる圧迫感に、顎を上げて仰け反った。
「ふ、太ぉ……っ」
「いつものと比べて?」
思わず漏れた台詞にカカシさんが意地悪そうに笑っているのにも気づかず、俺はがくがくと頭を振っていた。
玩具なんて使ったことないと言ったはずなのに、見抜かれていたようだ。
でもそんなこと、どうでも良かった。
本物のカカシさんのものに貫かれて、気が触れそうに興奮していた。
「お、おっきぃ、全然違うっ」
「そう、それは良かった」
ぐりぐりと奥を抉られるように腰が押し付けられる。
玩具でも入れたことが無いほど奥に熱を感じて、シーツを握る手に力が入った。
「う…ぐ……ぅ……す、すごぉ…っ」
中が馴染むのを待っているのか、カカシさんは動こうとしてくれない。
我慢できずに足を突っ張って腰を浮かせると、嗜めるように尻たぶをぎゅっと掴まれ「あうぅ」と唸り声が零れた。
反射でぎゅうぎゅう中を締め付けてしまう。そのせいでカカシさんの形をリアルに感じて、またみっともない喘ぎが漏れた。
「やっば……癖になりそう」
頬に冷たい雫が落ちてきたと思ったら、カカシさんが俺を見下ろしながら瞬きをしていた。額に浮き出た汗が、俺の頬にまた一粒落ちる。
いつの間にか、閉じられていたはずの左目が開いていて、俺はその時初めて写輪眼を目の当たりにした。
ぞくり、と背中に走ったのは恐怖の入り混じった快感。
ただ見つめられているだけなのに、気を抜けば絶頂してしまいそうな、それ。
「あ……あァっ……おねが、お願いします、動いて……っ」
俺は夢中でカカシさんの背にしがみつき、腰に脚を絡めた。
そうやって視線から逃れないと、おかしくなってしまいそうだった。
「しょうがない、な」
耳元で聞こえたカカシさんの声は、普段より明らかに上擦っていた。
ふ、と息を吐いたかと思うと、俺の腿がぐいと押し上げられ、その動きにつられてシーツから背中が浮いた。
ぐり、と強く奥に押し込まれて大きく仰け反る。
声に、ならない。
突き当たりだ、と思っていた場所の更に奥まで押し入ろうとするその雄に、俺は恐怖した。
違う、知らない、こんなのは怖い。
気がつくと俺はカカシさんの背中に指を食い込ませ、踵で腰を蹴っていた。
「嫌だ、やだ、こわいっ、おく、おく、カカシさんっ」
「だーいじょうぶ。そのうち良くなるから……でもまぁ、いいよ」
抜いてあげる、と言ってカカシさんが腰を引く。
ずる、と音がしそうなほど長いそれが出口に向かって移動するのに、俺は「ああああ」と悲鳴をあげてしまう。
吐精したかと思った。
しかし確かめようと触れた自身はまだ硬さを保っていて、鈴口からだらだらと粘ついた汁を吐き出すばかりだった。
そのままマスをかこうとしていた俺の手は、伸びてきたカカシさんによってシーツに縫い留められた。
「後ろだけでイケるでしょ? もう一回見たいなぁ」
「で、でも、うまくできない、かも…」
「うまくできるまで、何回でもしてあげるから」
「え、あっ、あ、ひぃぃっ」
抜かれかけたそれが、ぐぐぐ、と押し入ってくる。
肉を掻き分け最奥を目指すゆっくりとしたそれは中の良いところを掠め、抉り、その形も大きさも俺の中に刻みつけるように蠢く。
体中から汗が吹き出てくるのがわかる。体温が、上がっている。
「うぅ、ぐ…ア、ああっ、いい、気持ちいい……っ!」
シーツに押し付けられたままの指をカカシさんのそれに絡めれば、叫びっぱなしの口を塞ぐように唇が押し当てられた。
同時に挿入がまた深くなり、俺の呻きは二人の唇の中に溶けていく。
初めて触れるカカシさんの唇は薄く滑らかで、しかし咥内は驚くほど熱かった。
長い舌が俺の口を犯す。
流し込まれた唾液を、喉を鳴らして飲み込んだ。
「……っ、ふ…ん、んぅ……」
口づけの合間に漏れる吐息さえ相手に呑み込まれる。
上顎をざらりとなぞられると、後ろを締め付けてしまうのが分かる。
腹の中が疼いて止まらなかった。
抱えられたまま俺の腰が揺れてしまうのに合わせて、カカシさんがゆるゆると抽挿を始める。
締め付けを味わうように最初はゆっくりと、次第に襞を伸ばすように前後に大きく抜き差しをされ、堪らず唇を離した。
こめかみを流れるのがどちらの汗か、もうわからない。
「あぁ、あんっ、いい、気持ちいいっ、あっ…あぁ」
「ふっ……かーわいい。滅茶苦茶になっちゃって……ホントに初めてなの?」
「はじめてっ、初めてなのに……俺っ、チンポでいっちまう……っ」
「ちょっと、そういうこと言うのやめなさいよ。あんた本っ当……」
ぐ、と腰を抱え直されたかと思うと、繋がったまま一段低いところに降ろされた。
背中がシーツについたのにほっとしたのも束の間、パン!と乾いた音と共に俺の尻とカカシさんの腰がぶつかった。
え、と思う暇もなく腰が打ち付けられる。
先程までとは比べ物にならない速さで穿たれ、俺の口からは悲鳴だけが押し出された。
内部のしこりを狙い撃ちするようなその動きに、陰茎が張り詰めるのを感じる。
「あっ、あっ、ああ、い、いく、見て、カカシさん見て……っ」
目の前が滲んだ。口の端からよだれが溢れるのもそのままに、俺は触れること無く射精した。
びくびくと腰が跳ねる。
びゅるびゅる、と勢いよく吐き出したものは顎にまで到達した。霞みそうな視界を、瞬きを繰り返すことでなんとか取り戻す。
仰ぎ見たカカシさんは動きを止め、ふーっふーっと荒く息を吐いていた。
視線が絡む。
灰色と、紅で彩られた両の瞳が俺の恥態を捉えているのだと思うと、また芯を取り戻してしまいそうだ。
足りない。
もっと欲しい。
はたけカカシという男が、欲しかった。
催促するように膝を擦り寄せると、彼は一瞬はっとしたように後ろへ退いて、着たままだった上着を素早く脱ぎ捨てた。そうしてすぐ、俺の望むものをくれた。
激しい抽挿に乱されながら、その肌を手の平で辿った。
紅い入れ墨が刻まれた汗ばんだ腕も、しなやかな筋肉に覆われた背中も、触れたらびくりと震える脇腹も、今はすべて俺のものだ。
銀色の髪に指を通し引き寄せれば、噛み付くように口付けられた。
そしてそのまま、身の内に熱い迸りを感じた。
***
「後悔してますか」
役目を終えてくったりとした己の性器をティッシュで拭っていると、同じくティッシュで後口を拭いていたイルカ先生がそんなことを尋ねてきた。
「それって普通、挿れた方の台詞なんじゃないの」
呆れる思いで答えると、「俺が後悔するわけないでしょう」なんて少し怒ったような声が返ってくる。
行為の後しばらく口づけていたら、急に泣きそうな顔になったかと思うと、俺の下から抜け出したきり背中を向けてしまったのは、恥ずかしさからでは無かったようだ。
「俺が後悔してると思うの」
「わかりません……」
こちらに背を向けたまま、べったりと精液のついたティッシュを丸めてくず籠に投げ入れた彼は、その背を丸めてしまう。
しっかりとした筋肉に覆われた背中の中心には、大きな傷が浮き出ている。
教え子を守った時に受けたというその傷に、そういえば触れたことが無いと思い至りそっと指先を伸ばした。
びくり、と震えたのに気をよくして指を滑らせていると、嗜めるように後ろ手に手を払われた。
あんなに気持ちの良い時間を過ごしたというのに、これではまるで嫌われているかの様だ。
想いを確かめた相手に対して、ちょっと酷いじゃないか。
俺が自分でも気づかなかったこの人への恋心に、無理やりみたいに気づかせたくせに。
背中ごとぎゅう、と抱きしめると、イルカ先生は俺の腕の中で身体を固くする。
赤く色付く耳を見ながら、その後ろの皮膚にきつく吸い付いた。
「ちょ、ちょっと……」
「跡はつけないから、ちょっとだけ、ね」
本当は少し跡が残ってしまうのだけれど、まだ見ぬライバルを牽制するにはこれくらいで丁度良いだろう。
こんな独占欲が自分にもあるだなんて、思いもしなかった。
ちゅ、ちゅ、と首筋に口づけながら、聞きたかったことを口にする。
「いつから気づいてたの、俺があなたのこと好きだって」
「えっ」
「えっ?」
すごい勢いで振り返ったイルカ先生と鼻がぶつかりそうになる。
いや、そんなことより、何?
えっ、て、何?
「ちょっと待って、何それ。嘘でしょ」
「だって、ああ言えば流されてくれるかと思って……っ」
イルカ先生の顔がじわじわと赤くなる。
みるみるうちに眦に涙が溜まって、少しでも触れたら零れそうだ。
でもさ、泣きたいのは俺じゃない?
「まさか、本当なんて思いませんよ」
ついには両手で顔を覆ってしまう。
ぐす、と鼻を鳴らしているから、涙が溢れてしまったのかもしれない。
俺はもう自分にもこの人にも呆れるやら情けないやらで、こんな時に口布をしていないことが恨めしい。
「あなた、ちょっとは自分を大事にしなさいよ。簡単に男にヤらせちゃだめでしょう」
「それは……カカシさんだから、ですよ」
「……はっ、もう……」
こっちまで赤面してしまう。
ずけずけと物を言う人だと思っていたけれど、こんな時に発揮しなくても良いのに。
俺も、言葉を出し惜しみしている場合じゃない様だ。
しっとりと汗の滲む背中をぎゅうぎゅう抱きしめて、肩口に顎を乗せる。
「好きですよ。好き。すーき」
「や、やめてください」
「ね、顔見せてよ。晴れて両思いになったんだから」
両思いのところを強調して言うと、イルカ先生はそんな、とか、キャラが違う、なんてよく分からないことを言いながらぶんぶん頭を振っていた。
「俺にも言ってよ、いつもみたいに好き好きって」
「言えませんっ。は、恥ずかしい…」
一向に顔を上げないひとに段々焦れてきて、肩をぐ、と掴んで仰向けに押し倒した。
大胆な体位変換にも素早く柔軟に応じる身のこなし、そんなところも良い。
本気で嫌なら手を抑えたくらいの甘い拘束なんて物ともしないはずなのに、こうして俺に縫い留められてくれる事が好意じゃなくて何だっていうんだ。
俺に真っすぐ見下ろされ、逃げ場もなく赤い顔を晒している姿がもう、可愛くさえ見えてくる。
「ね、好きだよ。イルカ先生」
自分の口から出たとは思えないほど甘ったるい言葉は、しかしこの男にならいくらでも伝えられる気がする。
このままもう一度始めてしまおうか、と顔を寄せかけた時、彼の喉が上下するのが見えて動きを止めた。
「俺も、です」
「も、何?」
「……っ、俺も、好き、です」
一言ひとこと区切って告げられた言葉は、これまで何度となく言われた同じ台詞のどれとも違った響きがあった。
通じ合うっていうのは、こういうことなのかもしれない。
まだ、よく分からないけれど。
顔中に口づけを降らせれば、イルカ先生がくすぐったそうに笑った。
そんな風に笑うの、俺の前だけにしてよね。
End
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