――うみのイルカを見張れ
その司令が下ってから早七日が過ぎた。
理由は彼の担当クラスの保護者に草忍の疑いが浮上したからだ。当の子供が他よりも手のかかる生徒だったためか、イルカは頻繁にその保護者とやり取りを交わしており、疑惑の目が向けられたというわけだ。
(まぁ、心配ないでしょ。あの人に限って)
覆面の下、そうひとりごちながらも、一方でカカシもまたイルカを完全に信用しているわけではなかった。顔見知りになってまだ一年と少し。教え子を介し数度言葉を交わしたことはあれど、それ以上でもそれ以下でもない。
特に、木の葉崩し以降はカカシの受け持った第七班が散り散りになったこともあり、イルカとの接点は殆ど無かった。せいぜい、任務受付所で見かける程度だ。
その関係性の希薄さも相まってカカシが拝命することになったこの任務だが、さして面白みもない。
イルカという男は内勤にあるからか、パターン化された生活を送っている。シフト勤務による多少の時間帯のずれはあれど、ほぼ自宅と職場とを往復する毎日だ。
昨日は珍しく同僚連中と飲みに出ていたが、羽目を外しすぎることもなく、日付が変わる前には床についていた。
天井裏から、小さないびきをかいて気持ちよさそうに眠る姿を見下ろし、果たして彼を見張る意味はあるのかとしばし考え込んだのも記憶に新しい。
だが、丸一日を経た今夜、カカシは覗き穴の向こうに広がる思いがけない光景に身をぴしりと固めている。
どうして、こんなことに――
遡ること十二時間前。
短い仮眠の後、もはや定位置となりつつあるイルカ宅の天井裏に潜んだカカシは腹を丸出しにした彼がのそのそと起き上がる様を見下ろしていた。
今日は休日なので、普段よりも三十分ほど寝坊したようだ。昨夜風呂に入らなかったからか、ぼりぼりと尻を掻きながら風呂場へ消えていった。
無論、風呂場でも不審な動きがあれば検知できるよう簡単な仕掛けを施してある。イルカには悪いが、影分身を用いて不在時に家探しもさせてもらった。当然といおうか、特に気になるものは見つからなかった。
ここ七日、職場でも自宅でも、イルカに不審な動きは一切見られない。件の草忍疑いの者についても調査が進み、もう数日経てばカカシもこの役目から開放される見込みだ。とはいえ、次から次に任務が舞い込むのは目に見えている。
(できたらもうちょっとここでのんびりしていたいよね)
埃っぽい天井裏でごろりと寝転びながらそう思っていたカカシだが、夕方になって予想外にイルカが外出の準備を始めた。
いつもの忍服ではない、グレーの地味なスウェットと紺色のボトムを身にまとい、帽子まで被って自宅を出ていくのだ。何だか穏やかではない。しかも、トレードマークの長髪すら帽子の中に隠しているのだから、一言で言って怪しい。
カカシは意外に思いながらもイルカの後をつけていった。まだるっこしい変装をするくらいならば変化をした方が早いのではないかと思いつつ、人目を避けるように裏道ばかり歩くイルカを見下ろす。
彼の職場のある里の中心街とは逆方向に歩いていったイルカが行き着いたのは、とあるさびれた花街だった。本格的な商売どきを前に、まだ開いている店も少ない。
性欲とは無縁そうな顔をしているのに、彼もこういう場所へ来るのか。カカシの中でイルカへの意外性がどんどん上昇していく。
さて、どんな店に入るのかと興味津々で見ていたとき、くるりとイルカがこちらを振り向いた。こちとら探知のプロである。格下に見つかるはずはないが、一瞬どきりとさせられた。
イルカはきょろきょろと辺りを見回した後、扉の隙間に滑り込むようにしてガラス戸の向こうに入っていった。
さて嬢のラインナップでも拝んでやろうかとその店をよく見たカカシだが、またしてもへえ、と鼻を鳴らす羽目になる。
そこは風俗店でなく、いわゆるアダルトグッズの店だったのだ。表に面したガラスはマジックミラーになっているようで、外から中の様子は伺い知れない。ならば潜入するまでよ、と影分身を変化させ、誰の印象にも残らないような男の姿で店内へ入る。中は意外と広く数人の気配がしたが、天井まで高く並んだ棚のせいで他の客は視認し辛くなっていた。
あらゆる性玩具やビデオ作品、コスチューム類を眺めながらそれとなく店内を歩けば、イルカはすぐに見つかった。ある一角で立ち止まり、腕組みをして何かを選んでいるようだ。その周辺には「バイブ」「パール」など、刺激的な見出しが掲げられている。
へえ、イルカ先生も隅におけないねぇ。
胸の中でひとりごちる。おおかた、恋人と使うのだろう。
彼に張り付き始めてから七日の間、恋人どころか親しげな女の影はまるで見えなかったが、里の外へ任務にでも出ているのかもしれない。
いったいどんなくのいちだろう。いや、仕事柄一般の里民とも出会いやすいだろうから、どこぞのたおやかなお嬢さんということもありえる。
彼女をびっくりさせないように、でもほんの少し夜のスパイスになるようなアイテムを選んでいるのだろう。ならばあの長考も頷ける。
イルカはしばらく無言で立ち尽くした後、屈んで低い場所からひとつを選び、そそくさとレジへ進んだ。
会計が終わり、店外へ出たのを見送ってカカシも影分身を解く。
どこかぎこちない足取りでまっすぐ自宅へ向かうイルカと並走するように屋根の上を飛び移りながら、カカシは少し申し訳ないような思いが湧いてくるのを感じていた。
ごめんね、イルカ先生。恋人たちの営みまで覗く気は無いんだけどさ、あなた悪い女に引っかかりそうでちょっと危なっかしいよね。だから俺も見届けないといけないわけ。ほら、一応あなたを監視するのが任務だからさ。分かってくれるよね、先生。
本人が聞けば憤慨ものの台詞を心の中で呟いて、一番星をちらりと見上げる。
そうして自宅へ戻ったイルカが夕飯もそこそこに再びシャワーを浴び、寝室へ戻り、件の購入品を開封したところでカカシは妙なことに気が付いた。
ベッドの上、正座したイルカが手に取っていたのは、どこから見てもアナルパールだったのだ。パッケージにもアナル用と書かれている。
純粋なお嬢さんに使うにしては少し上級者向けすぎやしないだろうか。
もしかしたらイルカは過激なビデオを見すぎて先走っているのかもしれない。いや、もしかしたら既に二人はそういうプレイを楽しんでいるのだろうか?それにしてはイルカの挙動不審さが気になる。
それに、こんなに部屋を暗くしては彼女を迎える準備もできないのではないか。
イルカの寝室は明かりが灯っていない。忍びの目には支障がないが、一般のお嬢さんは何も見えないだろう。今日は下準備だけなのだろうか。いや、何の準備だ?
カカシの頭の中に無数のハテナマークが浮かんだ時、イルカがおもむろにズボンを脱ぎ始めた。
(えっ)
あやうく声に出すところだ。
くたびれた灰色のズボンを何故か下着と共に脱ぎ、畳み、ベッドの足元にきちんと置いたイルカは、ベッドの下へ潜ってごそごそとやったかと思うと、銀色のパウチを数個掴んで起き上がった。
家探しした際にも勿論そこに何があるかは確認してある。箱に入ったコンドームと、バウチ型のローションだ。成人男性の自宅に置いてあって何ら思議はないとその時は気にも止めなかったが、カカシの中で一気にその意味が変わってくる。
(まさか……まさかですよね、イルカ先生)
心のなかですら息を潜めながら、カカシはイルカの一挙手一投足を見守る。
ベッドのヘッドボードに枕を立てかけたイルカは、そこに背を預けるとおずおずと足を開いた。誰に見られているわけでもないのに、いやカカシは見ているのだが、恥じらいの覗く仕草に何故かぐっとくるものがある。
風呂上がりだからって、普段は高いところでまとめられた髪が解かれているのもいけない。まだ乾ききっていない黒髪が一房、顔にかかっているのを掻き上げてやりたいと一瞬思いかけて、何を馬鹿なと頭を振る。
はあ、とイルカが息を吐いた。錯覚だろうか、けぶる色は白い。
暖房といえば石油ストーブしかない彼の部屋で、半裸でいては寒いだろう。しかし、カカシの目にはイルカの周りだけむわりと熱気が立ち込めているように映った。
日に焼けた、無骨な指が銀色のパウチを破る。取り出したピンク色のスキンを中指に装着すると、彼は次に別のパウチを破った。とろりと垂れ落ちる粘液を、スキンをまとった指に絡めていく。
カカシは口布の下、ごくりと喉を上下した。見てはいけないものから、目を離すことができない。
イルカの指がゆっくりと股間に降りる。
既に兆し始めている陰茎を避け、更にその奥へと伸びていった。シーツの上、小刻みに尻や足を動かして姿勢を調整しているのが生々しい。
しっくりくる角度を見つけたのか、イルカの身体からほんの少し力が抜けたのがわかる。膝を立て、大きく開いた足の間で彼の手が蠢いている。
「は……」
吐息のような声だった。
それまでも伏し目がちだった瞳がぴたりと閉じられ、スキンをつけていない手が股間を揉み込んでいる。
カカシは瞬きも忘れ、眼下の光景を注視した。角度の問題で、股間の奥でどんなことが繰り広げられているかまでは見ることができない。かすかに聞こえる湿った音、イルカの控えめな息遣いによって想像するまでだ。
できることなら今すぐ降り立ってあますところなく暴いてやりたい――そう思うと同時に、己の股間が緩く反応し始めていることに気づく。性欲など花街で適当に散らすものだと思っていたカカシにとって、これは驚くべきことだった。イルカの、まだ痴態とも呼べない秘め事を覗き見て、身体が興奮してしまっている。
「ん……は、あ……あぁっ……」
イルカの腰がぴくんと跳ねた。声音がひときわ高く、もう吐息とは呼べないものに変化する。
閉じられていた瞳が薄く開き、股間のものを握る手も大胆さを帯びてきた。ぬちぬち、とねばっこい音が耳に届き始め、カカシは気配を消したまま大きく深呼吸する羽目になる。己の股間は、勘違いでは片付けられないほど形を変えていた。
イルカという人は決して女性的ではない。身長もカカシとあまり変わらないし、適切にトレーニングすればカカシよりも大柄になるだろう。体毛だって薄くは無い。ふさふさと茂る黒髪からも想像できるように股間には黒々とした陰毛が見えるし、ひょっとしたらそれは秘密の窄まりにまで及んでいるのかもしれない。
それでも、カカシの目には眼下の彼がひどくいやらしく映っている。すね毛の生えた脚を引きつらせて快感に悶える様も、ピンク色の亀頭を親指でくじきながら腰を浮かせる様も、この目に焼き付けてしまいたいと思えるほどだ。
昼とのギャップもいいところだ。性とは無縁のような爽やかな笑顔を振りまいておいて、夜はアブノーマルな自慰に溺れるなんて。
「あ……はぁっ……んっ」
甲高い声と共に、イルカの身体がまた跳ねた。股の奥から、ずっとそこに埋められていた指が姿を見せる。ぴったりと指に張り付いたスキンを素早く取り外すと、イルカは億劫そうに上体を動かして脇に置かれた道具を手に取った。あの、アナルパールだ。
暗闇にあっても黒光りする淫具、その根本から先端にかけて細くなるように、球体が連なっている。
イルカはあえてまじまじと見ないようにしているのか、手早くそれに新しいスキンを被せた。パウチからローションを垂らす様子にも、どこか落ち着きがない。
右手に淫具の根本をしっかりと握ったイルカは、シーツの上でずりずりと姿勢を変えた。頭だけ枕に預け、殆ど寝転がるようにして膝を深く曲げるものだから、天井裏で見下ろしているカカシからも彼の陰部があらわになる。
破廉恥そのものの光景に耐えきれず股ぐらを押さえたカカシの下、イルカが大きく開いた腿の間に手を伸ばした。
連なったパールの先端が窄まりに触れる。ああ、という悩ましい声が聞こえた。
イルカはまた瞼を閉じて、半分開いた唇の間からはぁはぁと熱い息を漏らしている。
数度、そこへ押し付けては離してを繰り返した後、ついに先端、一番小さなパールが彼の中へ呑み込まれた。
「はぁん……っ」
控えめな、しかしなまめかしい喘ぎに背筋が震える。
シーツの上を足指がつう、と引っ掻くのを見下ろしながら、カカシは下穿きに手を突っ込むと、股間のプロテクターをずらした。窮屈な中で形を変えていたものが飛び出し、今すぐ突っ込ませろと騒ぎ立てる。
それをどうにか片手でいなしながらも、視線はイルカがふたつ、みっつとパールを咥えこむ姿に釘付けだ。
「んっ、あ……はぁ……ん」
目を閉じたまま、無意識だろうか上体をくねらせる様が卑猥だ。両足は落ち着かなくシーツを滑ったかと思うと宙を掻いたりしていて、彼の感じているだろうじれったい快感がこちらまで伝わってくるようだ。
よっつ目ともなると苦しいのか、少し入れては戻し、を繰り返している。ん、ん、と漏らしながら片手で勃起した陰茎をぬちぬちと擦り、もう片方の手で淫具を抜き差しするイルカの頬はすっかり上気していた。
もし己が彼の目の前にいたならば、と考えて、カカシの中で情欲が渦を巻く。
自分なら、彼の手に手を重ねて淫具を根本まで挿れてしまうだろう。衝撃に仰け反る首筋を舐めながら電源を入れ、淫らな振動で彼の肉壁をめちゃくちゃに掻き回してやるのだ。もちろん抜き差しも忘れない。ぎりぎりまで引き抜いて、吸い付いてくるピンク色の襞を舐めてやってもいいかもしれない。彼がひい、と鳴いたら一気に奥まで突き入れ、射精するまで何度も穿ってやりたい。
己の出したもので白く汚れた彼の腹、胡乱な瞳を想像すると、征服欲に身体が震えた。
無機質な道具を引き抜かれてなお貪欲にひくつく尻穴に、このいきり立った魔羅を咥えさせたらどんなにか気持ちの良いことだろう。
深く呼吸をする。
こんな場所で吐精するわけにもいかないが、カカシの陰茎はこれまでに無いほどだらだらと先走りを零していた。
「あ……、んっ……ん、あっ、あっ」
イルカは深く挿入することを諦めたようで、ちゅぽちゅぽと浅い場所を抜き差ししている。陰茎を擦っていたはずの手はいつしか肌を這い、胸の尖りをすりすりと撫でさすっていた。
ぴくぴくと跳ねる腰が、次第にシーツから浮いていく。男の象徴を愛撫していた時よりもよっぽど顕著な反応にカカシは知らず口角を上げた。一人上手な肉体ほどいやらしいものはない。
イルカが男好きだったとは驚きだ。ひょっとして懇ろな男でもいるのだろうか。いや、もし誰かいたとしても構うものか。こんな飢えた身体を独り寝させるような男、ろくなもんじゃない。そんなやつよりも俺の方がずっと、ずっと――
そこまで考えてはっとする。
己の方が何だというのだろう。監視対象の自慰行為にあてられて頭まで茹だってしまったというのだろうか。自分としたことがどうかしている。
頭の中では冷静な自分がそう罵ってくるのに、身体は昂ぶったままだ。性を覚えたばかりの頃のようにずきずきと痛いほど張り詰めるもののせいで、下着はとっくに濡れていた。
舌打ちでもしたい気分だが、視線はイルカから外すことができない。わかっている。こんなのはもう監視ではない。ただの覗きだ。
「あっ、あ、あぁんっ……んぅ、あ、はぁ……っ」
器用な指がぴんぴんと胸を弾く。尻を穿つ動きも激しくなってきた。絶頂が近いのだろう。よっつめ、太いパールも挿入されそうな勢いだ。
閉じられていたはずの瞳は薄く開き、熱に浮かされたように己の痴態を眺めていた。唇の端から垂れる唾液を、すすることもできないらしい。
ぐぽぐぽと、空気を含んだねばついた音が空気を震わせる。集中しなくとも耳に届くようになった喘ぎ声といい、彼の発する何もかもがカカシの股間を刺激する。
カカシがここに居ることを知っているはずはないのに、見せつけるかのように腰を浮かせたイルカが尻の間から淫具を抜き差しする。足は殆どつま先だけをシーツに突っ張らせて、あ、あ、とヒートアップする自慰に鼻血が出そうだ。
彼の手の動きに合わせ、カカシもまた己の陰茎を上下する。いつだったか、女に遅漏と罵られたのが嘘のように昂り、暴発寸前のそれをぎゅうと握れば、ぐっと下腹に力が籠もった。イルカより先に終わるわけにはいくまい。
口布の下、呼気も荒く覗き見るカカシの眼下で、イルカがあられもなく腰をがくがくと動かし――
「あ、あっ、だめ、いく、いっちまう、カカシさん、カカシさん……っ」
「えっ、はい」
素っ頓狂な声が出る。
時が、止まったかと思った。
***
「違うんです、これには訳がありまして――」
何やら必死に言葉をまくしたてる男を前にして、イルカは大股を開いたまま呆然としていた。
自慰の最中、妙な声がしたかと思うといきなり空から人間が降ってきた。
はたけカカシ。イルカとは多少の縁のある男であり、密かに思いを寄せる相手でもある。
最後に会ったのはいつだっただろう。確か受付で、他の事務官に報告書を提出しているのを見た時だ。
特に挨拶を交わすこともなく、視線すら合わなかった。イルカは何があっても良いように、とこっそりと様子を窺っていたのだが、振り返りもせず受付所を立ち去った彼は知人が隣のカウンターに座っていたことを気にも留めていないようだった。
そのカカシが、何故いま己の部屋にいるのだろう。焦ったように身振り手振りを交えて何か喋っているけれど、ひとつも頭に入ってこない。
「ですから……ね、聞いてます?」
カカシがこちらを見ている。真っ直ぐ視線が合う。振り向け、と何度念じても背中しか見せてくれなかった男が、困ったように目尻を下げて自分を見ている。
ああ、夢か。
そう思うとすとんと腑に落ちた。
あのはたけカカシが自分の家になど居るはずがない。ろくに喋ったこともないのに、ましてこんな夜更けに空から降ってくるわけがないだろう。
身体からふっと力が抜ける。同時に、尻に埋めたままだった道具がにゅぽんと抜け落ちて、イルカの鼻から「んっ」と甘い声が漏れた。
イルカが緊張を解くのと反対に、目の前でカカシがぴたりと動きを止める。
べっとりとローションをまとったスキンを剥ぎ取り、道具をベッドの下に転がした。散々悩んで購入したものだが、自分で根本まで挿入するのは中々に難しかった。指や日用品である程度開発したつもりでも、まだ修行不足といったところか。
しかし、いいところで水を差された身体が物足りなく疼いている。最近自慰を控えていたから、今夜は物凄く気持ちの良い絶頂が迎えられるはずだったのに。
ちらり、と視線を下げる。
術にでもかかったかのように動きを止めたカカシの股間は、何故か膨らんでいた。冷静沈着なカカシにあるまじき姿に、知らず口角が上がる。夢は、どこまでも都合が良いものらしい。
ふ、と熱い息が唇の間をすり抜ける。習うより慣れよとはよくいったものだ。あるじゃないか。目の前に、良いものが。
イルカは芯を失い始めた己の陰茎を軽く扱くと、その下にぶらさがる陰嚢ごと片手で右に除けた。ずいと腰を突き出し、もう片方の手指で尻肉をぐにぃ、と左右に開く。ローションに濡れたそこが、空気に触れてひやりとした。
ごくり、と誰かが喉を鳴らす音が聞こえる。
我ながら大胆な格好だが、夢ならば構わないだろう。きっと、朝になればすべて忘れる。
「カカシ、さん」
久しぶりに、彼の前でその名を呼ぶ。声は掠れていた。
カカシがびくりと肩を震わせるのが見える。あの歴戦の猛者が、こんな小胆な姿を見せるだろうか。この夢を構成する己の思考に適当さを感じ、イルカの頬がにんまりと持ち上がる。
「ねえ、カカシさん、夢ならこっちに来てください」
自分からこんな声が出るのかと思うほど、ねっとりした甘ったるい声音だった。何故かカカシが一歩、後ずさる。
「いや、俺は」
「どうして? 嫌ですか、夢なのに」
「夢って、何の話です。イルカ先生、俺はただ、あなたを――」
またぶつぶつと何かを語り始めたカカシに焦れて、イルカは片手で上衣を脱ぎ捨てた。風呂に入った後だというのに、脱いだ衣服からはほのかに汗の匂いがする。
最近少し鍛錬を怠っていた腹から順にゆっくりと肌を撫で上げていけば、ぷくりと勃ち上がった乳首に指が引っ掛かり、あん、と媚びた声が出た。
「っ……駄目ですよ、先生」
「そんなこと言わないで、俺もう待てません」
膝を大きく折り曲げ、カカシにすべてを見せつける。中指と人差し指をしゃぶり、唾液を絡めたそれをひくつく穴にずぶりと埋めた。
「あぁ……っ、んっ、あ、はぁっ」
片手で胸を弄りながらもう片方の手で己の恥肉を掻き混ぜる。卑しい行為だとわかっていても、想い人に見られていると思うと感じて仕方がない。
夢の中でも触ってくれないのならそれでもいい。せめて、この姿を見ていてほしい。浅ましく快楽を求めて己を穿ち、虚しく絶頂するこの姿を。
「んあっ、あっ、や、いい、気持ちいい……っあぁん、すごい、いい……っ!」
乳首をすりすりと擦りながら同じリズムで尻に埋めた指を動かせば、あまりの良さに勝手に腰が浮いていく。じんじんとした快楽が肌を伝い、中指の先があの場所を掠めた時にはぶわりと汗が噴き出した。
堪らなくなって、そこをめがけて乱暴に指を抜き差しする。同時に胸の尖りをぎゅう、と摘むと、放置したままの陰茎からびゅるりと白濁が飛び出した。
「あ、あ、んひぃ……っ、ん、あ、はぁん……」
空に浮いたままの腰が、びく、びくと細かく跳ねる。口の端からどろりと涎が溢れるのがわかった。気持ちがいい。けれど、もっと気持ちよくなりたい。
尻の穴が、咥えたままの指をきゅうきゅうと締め付ける。未だ渦を巻く絶頂感をやり過ごそうと、深く息を吸い込んだ時だ。
「あぁんっ」
強い力で手首を掴まれたかと思うと、後ろに挿れた指を二本とも引き抜かれた。驚いて瞬きする間に、大きな手で腰を掴まれぐいぃ、と持ち上げられる。
「へ、あ、ぐぅ」
喉が押しつぶされる勢いで高く掲げられた尻の向こう、白皙の美丈夫がこちらを見下ろしていた。
「自分が犯されるとこ、よく見てなさいよ」
それがカカシの素顔だと、理解するのに時間がかかった。
***
「えっ、あっ、待って」
むっちりと肉の詰まった尻を片手で掴む。それまでどこかぼんやりとしていたイルカの瞳が、一転して慌てた様相を浮かべた。制止のため伸びてきた手を払い、痛いほど勃起した己の一物を尻の合間にずりずりと擦り付ける。粘液にまみれた窄まりが裏筋にしゃぶりつくようで、焦らされ続けた身体がぶるりと震えた。
「んひっ! やっ、だめ、やっぱいれちゃ、だめっ」
「何言ってんの。今更やめられる訳ないでしょ」
つう、と口をすぼめて垂らした唾液を己の陰茎に絡め、充血した先端をひくつく穴へ押し付けた。未だじたばたともがく彼とは反対に、そこは物欲しそうにカカシへ吸い付いてくる。
「ねえ、欲しかったんでしょ? これ。もっと喜べばいいじゃない。笑いなよ、ほら……入っちゃうよ」
「う、おぉ……っ、ん、あっ、んぉっ」
狙いを定めて体重をかければ、ぬちりと音を立ててイルカがカカシを呑み込んでいった。あまり慣れていないのか、締め付けはぎゅうぎゅうと痛いほどだ。
カカシは逆さまになった彼の陰茎を摘むと、指で輪を作りそれを扱いてやった。もともと勃起していたものが、カカシの指の合間でますます勢いを増していく。
雄の快楽に彼の意識が奪われ、ふっと力の抜けた瞬間にずぶりと砲身を収めてやると、イルカが掠れた悲鳴を上げた。
性感帯をみっちりと包み込まれる感覚に思わず吐息が零れる。
久々の交合相手が男とは想像もしていなかったが、どっしりとした尻を真上から貫いている状況に、己の中で知らず持て余していた征服欲がちりちりと刺激された。涙を浮かべた瞳が睨みつけてくるのもまた妙味がある。
「っあー、気持ちい……すっごい熱いね。わかる? 俺の、今ここだよ」
「んあぁっ!」
くい、と腹側に向けて腰を動かせば、ぴゅるりと彼の陰茎から白いものが飛び出してくる。
「すごいね、またいっちゃったの? 駄目じゃない、いくときはいくって言わなきゃ」
「っ……うぁ、やだ、言わな、い……っあ、あぁっ、動かないで、いやだぁっ」
「どうしてそんなヤダヤダ言うのよ。さっきまであんな欲しがってたくせに」
からかいついでに浅い場所で腰を揺さぶる。勘を頼りに男の悦いところを探して先端を擦り付けていると、あ、あ、と短く鳴きながらイルカが再び射精した。カカシを挟むようにして、両足がぴん、と天を向く。
「おぁ……、は……」
強い締め付けを深呼吸してやり過ごす。男に突っ込むのは初めてではないが、こんなに具合の良いものだっただろうか。気を抜けばすぐに持っていかれそうだ。
ぴくん、ぴくんとイルカの腹が震えている。己を犯す男から目を逸らし、シーツに散らばる長い髪を指にくるりと巻きつける姿がやけにあだっぽく見えて、カカシは小さく舌を鳴らした。
イルカがちらりとこちらを見やる。舌打ちをどう捉えたのか、涙ぐんだ視線をよこした後、だって、と呟いた。
「お前なんか、偽物のくせに」
「……は? 偽物?」
「ほ、本当のカカシさんは、俺なんか興味ねぇんだ……うぅ、くそ、夢なんて嫌いだ……っ」
ぐすぐすと鼻を鳴らし始めるイルカを見て、やっと合点がいった。どうやら彼は本当にこの状況を夢だと思っているらしい。
登場が突飛すぎただろうかと反省しつつ、それにしても単純で心配になってしまう。
見れば、彼の性器も持ち主と同じようにしょんぼりと縮んでしまっていた。
「夢、ねぇ……」
「あうんっ!?」
ぬぷり、と彼の中から己を引き抜く。驚いたのか声を裏返させたイルカの腰を支え、シーツにそっと下ろしてやった。
「お、終わり……?」
呟くイルカに背を向けてベッドを下り、装備を解いていく。素顔を晒すのと同様、他人の前で裸になるなどここ数年記憶にないほど珍しいことだった。
「あのさ、ここで終わるわけないでしょ」
寝室の床に、二人分の衣類が乱雑に積み上がる。再びベッドへ乗れば、イルカが起き上がり、じりじりと後ろへ逃げていた。カカシから距離を取るつもりらしい。
「だめだよ」
身を守るように胸の前で揃えられた手首を掴む。本気の抵抗など感じさせないその弱々しさに、自然と口角が上がった。
こちらを伺うように顰められた眉の間にちゅうと唇を押し当てる。頭を抱き、ちゅ、ちゅ、と髪へも唇を落としていけば、腕の中でイルカが震えた。
「夢ならもっと楽しめばいいのに、損な性分だねぇ」
縮こまる身体を撫でていると、次第にイルカから力が抜けていく。閉じられた両膝を割り、その間にカカシが身体を滑らせてもイルカはもう拒まなかった。
「ほら、手貸して」
両脇にだらりと垂れ下がった腕を、片方ずつ背中に回させる。そのままカカシが彼の背を抱く手に力を込めれば、イルカもまたぎゅうぎゅうとしがみついてきた。とても成人男性とは思えないそのぎこちなさに、胸がじわりと熱くなる。
「あなた、可愛いね」
思ったことをそのまま言えば、「男です」とぶっきらぼうな声が返ってくる。カカシの肩に顔を埋めたイルカは、しかし耳まで赤く染めていた。
「男だっていいじゃない。可愛いよ、イルカ先生は」
「やめてください……」
ぐりぐりと額を肩に押し当てられ、笑ってしまう。その拍子に互いの股間がずり、と擦れ合い、イルカが小さく跳ねた。
「ね……せんせ」
赤い耳朶を食む。後頭部と腰を支えながらゆっくりと体勢を変え、彼をシーツに押し倒す。
「今度はちゃんと玄関から入るから、そうしたら信じてくれる?」
返事を待たずに口づける。初めて触れた彼の唇はふわりと柔らかく、差し込んだ舌を迎え入れた腔内はひどく熱かった。
うぶな舌を誘い、深く絡め合う。教師である彼が、呼吸法も忘れて息を詰めていることに胸をくすぐられた。皺の寄った眉間を指先で薄く擦ってやると、きつく閉じられた瞳をさらにぎゅう、と瞑ってしまう。
不慣れな口づけ、未だ緊張の取れない身体。ひょっとすると、何もかもが初めてなのかもしれない。
そんな人にいきなり突っ込んでしまって申し訳なかったな、と胸の中でひとりごちるが、かといってここで止めてやる気はさらさらない。
イルカから微かに漂う汗の香りを吸い込み、髪を撫でる。無意識だろうが、彼は今両手だけでなく両脚までもカカシに絡め、ぎっちりとしがみついていた。
ふん、ふんと鼻を鳴らしながらカカシの舌を吸うイルカが愛しい。もっと可愛がり、無限に甘やかしてやりたいとも思う。いわゆる恋、というものはこういう感覚なのかもしれない。
口づけたままずり、ずりと腰を押し付ける。イルカの鼻から、ん、と甘い声が抜けた。
いつの間にか彼の陰茎もすっかり芯を取り戻している。ふたつを擦り合わせると、甘い気分に押されていた欲がむくむくと主張し始めた。
それはイルカも同じなのか、カカシの動きに合わせてゆらゆらと腰が揺れている。
片手で腰をぐっと掴み直せば、イルカがうっすらと瞳を開いた。しかし、至近距離でこちらと目が合うやいなやすぐに閉じられてしまう。物慣れない仕草に胸がくすぐられるが、あの黒々とした瞳が隠れてしまうのは勿体ない。
名残惜しく唇を離す。最後までついてきた舌を舌先でつん、とつついてやると、ゆっくりと彼の眼差しが現れた。
「呼んでごらん、名前」
言いながら尻の肉を揉む。ぴく、ぴくと反応する彼は、カカシに顔を向けたまま、そっと視線だけを外した。
「でも……」
「いいから、ねえ、呼んでよ」
イルカの視線を遮るように、枕元に散らばっていたパウチをひとつ取る。片手だけで封を切り、中のローションをひねり出した。
「ね、これでイルカ先生のあそこをぐちょぐちょにするのは誰? 教えてよ、先生」
わざといやらしい手つきでローションを揉み込む。粘度の強いそれは肛交用なのは明らかで、彼が自宅に隠し持っていた事実に興奮させられる。
「カカシ、さん……」
「ちゃんとこっち見て」
促せば、やっとイルカが正面からカカシを見つめた。
「カカシさん、です」
「うん、俺だよ。イルカせんせ」
引き締まった尻を割り、奥の窄まりに触れる。先程までカカシを受け入れていた穴は未だ柔らかく、僅かに力を込めるだけで指を二本、呑み込んだ。
「あっ……あ、あ…カ、カカシさん……っ、んっ、んんっ」
「すっごい、ほら、気持ちいいね。きゅんきゅんしてる……」
うねる肉壁を掻き混ぜる。指に吸い付く熱に、カカシの口からもおあずけを喰らった犬のように熱い息が吐き出された。
「せんせ、ここどうして欲しい? 濡れぬれで、あっつくなってるここ、このまま指でほじってほしい?」
答えたくないのか、黙ったまま首を振るイルカの膝頭に口づける。指を根本まで挿し入れてぐるりと回すと、ふっくらと膨らんだ箇所を見つけた。自然と口角が上がるのを感じながら、揃えた指の腹でぐりぐりと押し込んでやる。
「んおっ! や、やだ、そこぉっ! 押さない、で、……だめです……っ!」
「だめなの? どうして?」
「へ、変になっちまう、……っいく、いくから!」
「いいじゃない、もっといくとこ見せてよ」
じたばたと暴れる足をいなしながら指を動かす。彼の弱い場所を優しく押し込み、指先で挟んで揉んでやると、びくびくと大きく身体が跳ねた。
「お……っ! あっ、あっ、や……っン、あぁ……っ!」
仰け反り、喉仏を晒す肢体を見下ろす。両膝を擦り合わせ、足の指先をぴん、と突っ張らせて深い絶頂に浸るイルカは、カカシの指を痛いほど締め付けていた。
断続的に跳ね上がる彼の中でぬちぬちと甘く指を前後させる。ひぃん、と子犬のような鳴き声が聞こえたところで、ゆっくりと指を引き抜いた。
「ん、ひぃ……」
ぴく、ぴくとイルカが四肢を痙攣させている。目尻から零れる涙を唇で吸い上げると、黒い睫毛までもがちりりと震えた。
「……カカシさん、俺」
言いづらそうに、何度も唇を舐めながらイルカが口を開いた。「ん?」と間近で首を傾げてみせると、潤んだ瞳の縁を赤くして、今度ははっきりと彼が言う。
「ほしいです。カカシさんの……お✕✕✕を、入れてほしいです。ここに」
イルカの両足がカカシに絡みつく。股間にずりずりと尻のあわいを押し付けられ、カカシは口元に笑みを浮かべてイルカを抱きしめた。
「よく言えたね、嬉しいな」
「もう、こんなひどい人だと思わなかった」
ぐす、と鼻を鳴らしながら眉を寄せるイルカに短く口づける。誘われるまま窄まりに先端をあてがえば、にゅるりと天国へ招き入れられた。
「はぁ、あぁ……硬い……」
イルカの手が背中に伸びる。引き寄せられるようにしてカカシも身を乗り出すと、更に深い場所まで導かれていった。
「あっ、んあぁ、すごい、すごい……っ」
下生えが会陰に触れるほどみっちりと己を納め、その悦さに背筋が震えた。先程の強引な挿入とはまた違う、繋がった場所から全身に充足感が満ちていくような感覚がある。
興奮して上ずっているとはいえ、耳に聞こえるのは男の喘ぎ声だ。背中に回された手も鍛え上げられた男のそれで、間近で見る顎にはうっすらと髭すら生えている。
それなのに、カカシの雄は彼の中でますます力を漲らせた。ぴたりと抱き合っているために大胆な動きはできないが、その分奥を小突き回してやれば、イルカがまた頼りない声で鳴いた。
「いや、あぁ、それつらいぃ、いく、いくぅ……っ、ひぃん……っ!」
肩に、イルカの指先が食い込む。両膝でカカシをぎゅうぎゅうと挟んだまま、彼の身体がびくびくと震えた。
カカシにしてもそう余裕は無い。彼が弛緩するのを待って、今度は少し大きくストロークする。
両膝を掴んで腰を打ち付けると、繋がった場所が丸見えだ。カカシの動きに合わせて、真っ赤に充血した縁が蠢いている。出て行くなとばかりに吸い付いてくるものだから、時折、見えてはいけない恥肉までもが覗いていた。
ばちん、ばちんと肌のぶつかる音に混ざってイルカが高く喘ぐ。己の息遣いもうるさいほどで、無遠慮に腰を突き上げるのを抑えられなかった。
「ああっ、あ、カカシさん、カカシさん……っ! だめ、です、俺また……! あ、あぁ……っ!」
ぎゅう、と強く締め付けられた後、まるで搾り取るようにイルカの中がうねるのに堪らず放出する。目の裏がちかちかと光るほど激しい快楽が背筋を駆け抜け、思わず両手に力が籠もった。
本能のまま二度、三度と突き上げ、はぁ、と大きく息を吐く。イルカは片手を口に添えたまま、ぴくぴくと痙攣していた。
「イルカせんせ……」
汗の滴る前髪を掻き上げ、彼の中から己を引き抜く。あっ、と鳴いたイルカに覆いかぶさり、半端に開いた唇に吸い付いた。
肉厚の、ぷるりとした唇を順に吸い上げ、腔内へ舌を差し込む。緩慢に舌を絡め合い、余韻の残る身体を抱きしめ合った。
指で汗を拭い、髪を撫でているうちにイルカの瞼がだんだんと落ちていく。
とろんとした瞳がすっかり隠れてしまっても、カカシはしばらく彼から離れることができなかった。
***
「す、すごい夢を見てしまった……」
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、イルカは見慣れた天井に向かって呟いた。起きたばかりなのに動悸がする。それだけ奇想天外な夢だったのだ。
あのはたけカカシと自分が同衾するなど、ありえる訳がない。大して話したこともないし、あちらは自分のことなど気にも留めていないのだから。
全てイルカの願望だとしたら、ずいぶんリアルで贅沢な夢だった。何だか破廉恥なこともたくさんした気がするが、夢ならば許されるだろう。
そういえば昨日は自慰の途中で寝落ちてしまった気がする、と、横になったまま身体を確かめるが、きちんといつものスウェットを身に着けている。
ホッとして起き上がろうとしたところで、むぎゅう、と鼻が圧迫された。
「ふがっ」
「せーんせ、遅刻するよ」
「ふんぎゃ! んへっ! カカヒひゃんっ!?」
咄嗟にベッドを飛び降り、ずざざ、と後退る。壁に背をぴたりと貼り付けて、目を見開いた。
「危ないよ、せんせ」
「ゆ、夢じゃなかったんですか!?」
「だから、夢じゃないって言ったでしょ」
肘をつき、布団からむき身の肩を覗かせてそう言うのは、あのはたけカカシだ。イルカが夢で見た、やけに整った素顔をそのまま晒し、あまつさえあくびをしている。
「えっ、でも、あれっ!? 本当に!?」
驚いて叫んだ拍子に、ずきりとあらぬ場所が悲鳴を上げた。思わず内股になり、腰を押さえる。
「大丈夫? 薬塗ってあげましょうか」
「け、結構です……!」
ずきずきと痛むのはまぎれもないあの場所で、夢が事実であるならば原因はひとつだった。
「だったら、これ持ってってよ。あんまり痛かったら塗った方が良いですよ」
どこから取り出したのか、カカシが小さな丸いケースを投げて寄越した。べっ甲のような柄をした蓋をおそるおそる開けて見れば、中身は独特な匂いの軟膏だった。
「ありがとう、ございます……」
おずおずと頭を下げる。カカシが、ふ、と笑うのがわかった。顔を上げると、目を細め、見たことのない程柔らかな表情の彼がいる。
「八日目で初めて、あなたの寝顔が可愛く見えましたよ」
「へ?」
「まあまあ、いいじゃない。ほら、もう出かける時間でしょ。朝飯、弁当にしといたから持っていってね」
「えっ、あ、ありがとうございます……って嘘だろ、やっべえ!」
時計を見て愕然とする。普段自宅を出る時刻をとっくに過ぎていた。
どたばたと支度をするイルカとは対象的に、カカシはのんびりとベッドで寛いでいる。スウェットを脱ぎ捨てて支給服に着替えるとき、膝に見慣れない痣があった気がするが、ゆっくり確かめる時間は無かった。
居間のちゃぶ台の上には彼の言った通り弁当包みが置いてあり、思わずおお、と呟いてしまう。誰かに弁当を作ってもらうなど、何年ぶりかも分からない。
感動しかけて、しかし、と思い直す。カカシは見る限り裸のようだった。いや、下穿きくらいは身につけているのかもしれないが、少なくとも上半身は裸のままで弁当を作ってくれたのだろうか。
うーん、と顎を擦ってはっとする。そんなことを考えている場合ではない。
イルカは包みをそっと通勤鞄の中へ入れると、寝室のカカシに声をかけた。
「行ってきます! 鍵、かけなくてもいいですから」
「はーい」
ひらひらと手を振るカカシに一礼し、サンダルをつっかけて玄関を出る。外は目に痛いほどの晴天で、イルカは弁当入りの鞄を脇に抱えて里の中を疾走した。
彩り豊かな手作り弁当を前に頭を抱えるのは、それから数時間後のことである。
***
「あーあ、行っちゃったねぇ」
家主不在のアパートの一室で、カカシは呑気な声を出す。しかし、いつまでもこうしてはいられないのも現実だ。
のっそりと身体を起こし、ベッドの上で印を組む。ぼふん、と煙を立てて目の前に現れたのは己の影分身だ。
「ひとっ走り行って来てくれない」
ひらり、と手渡したのは封をされた一枚の紙だ。うみのイルカに疑義無しの旨をしたためた、監視任務の報告書である。
隙なく装備を身につけた影分身はそれを受け取り、小さく頷いた。
「お前はどうすんの」
自分のコピーにお前、と呼ばれながら、カカシはうーん、と背伸びをする。
「俺はもうちょっとここでごろごろして行こっかな」
イルカの枕を抱え、すう、と息を吸い込んだ。寝ている間に身体は拭いてやったが、当然シャワーまではしてやれなかった。寝具に染み付いた、汗の匂いが肺の中いっぱいに満ちていく。
「あー、良い匂い……」
両腕に枕を抱えたままごろりと転がる。影分身がどこか呆れたような視線を寄越した後、登場した時と同じように煙を立てて姿を消した。
イルカの寝顔を眺めるのに忙しかったせいで、結局カカシは眠れていない。このまま少し仮眠を取ろうと布団をたぐり寄せるうち、ふと天井が目に入った。
ずれたままの天井板に、己の焦りを思い出して苦笑が浮かぶ。急遽飛び降りたのだ。イルカに名を呼ばれ、気が動転したともいえる。
昨夜までは、自分が彼のベッドで寝転がる姿など想像もできなかった。
それが、今はあわよくば帰宅した彼をこの家で出迎えてやろうと思っているのだから、人間とは分からない。
イルカにしてもそうだろう。あの驚き様は大変可愛らしかった。
あまり寝かせてやれなかったし、散々無体を働いたはずなのに、ぴんしゃんと元気に飛び出して行ったのも素晴らしかった。健康的で、可愛らしくて、いやらしい。最高の恋人ではないか。
しかし、恋人とはどうやって成るものなのだろう。彼が帰ってきたら聞いてみようか。
ふふ、と微笑みながら目を閉じるカカシは、動揺したイルカが花束片手にプロポーズしに来る未来をまだ、知らない。
終
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